OLAFの尾道・広島旅行①(’18年4月28日~30日)

GW前半に広島で結婚式が有り、広島に行く事にした。
折角行くのだから、未だ行った事が無い傍の尾道を観光してこよう。
そんな訳で、朝新幹線で出かけた。


4月28日:尾道
瀬戸内海に面した気候穏やかな街、尾道。
「坂の街」「文学の街」「映画の街」として有名な街の様だ。
駅を降りると、そこにはしまなみ海道「向島」へ渡るフェリー乗り場が有った。
画像


話題の脱走受刑者が潜潜伏している「向島」が有った。
「未だ直ぐ目の前の島にいるのだ。」と思っていましたし、警察も毎日パトロールをしていた。
ところが、24日には海を泳いで渡って尾道の空き家に潜伏していたとの事。
向島は近い。
流れは、干潮、満潮の時は激しそうでしたが、塩泊まりの時は静かな感じだった。
画像


丁度、「尾道みなと祭り」が行われていた。
ネットによると
“尾道は、荘園米の積み出し港となって以来、対明貿易等内外航路の重要な港町として発展してきました。
翌年1935(昭和10)年に第1回尾道みなと祭を開催し、2002(平成14)年、尾道駅前再開発の完了を期に、駅前をメイン会場とし、若者の参加型の祭りへと移行し、現在では創作踊り「ええじゃんSANSA・がり」を中心とした尾道を代表する催しとなっております。
今年で、75回目を数える歴史ある祭りに発展してきました。“
との事。

祭りは28日~29日。
まさに祭りの盛り上がりの真っただ中。
駅前ステージでは、和太鼓の演奏が行われていた。
真夏のような暑い日にも関わらず見物人で大混雑。
画像

「尾道本通り商店街」は今時珍しい長い商店街。
此処には、露店が出ていてこれまた大混雑。
画像


途中で「ええじゃんSANSA・がり」の列に遭遇。
色々な団体が、上位を目指して踊りまくっていた。
画像


昭和レトロな街だった。
古い店と新しい店のごった煮感が嬉しい。
途中に「林芙美子像」、「部屋が記念館」が有った。
“海が見えた。海が見える。五年振りに見る尾道の海はなつかしい”
そこに林芙美子の代表作『放浪記』の一節を刻んだ文学碑があった。
九州に生まれ各地を転々とした芙美子は、十三歳から高等女学校を出るまでの約六年間をこの地で過ごした。
“私は宿命的に放浪者である”と語る芙美子にとって、多感な少女時代を過ごした尾道は古里と呼べる特別な地だった。
画像

画像

画像


「尾道本通り商店街」を通り抜けるとロープウエー乗り場が有った。
このロープウエーで、千光寺山頂へ。
画像


ロープウエーを降りると展望台があり街が一望できた。
最近はやりの「恋人の聖地」のモミュメント。
画像

しまなみ海道のスタート地点も良く見えた。
(昨年、四国から帰ってくる時に、通ってきた。
http://olaf-mama.at.webry.info/201704/article_14.html )
画像

千光寺をお参り。
急な坂道を下り、千光寺裏の岩場に。
そこには、石像が置かれていた。
画像

画像

画像


鏡岩(かがみいわ)
昔、玉の岩の宝珠または太陽、月の光を鏡のように反射させていたと伝えられており、鏡には神が宿るという信仰の対象であったと言われています。
画像

梵字岩(ぼんじいわ)
この曼荼羅図絵は徳川五代将軍綱吉公の帰依僧、東京の霊雲寺開基、浄厳大和尚当地へ御留錫の砌、書き遺されたものなりと云う。
円形の中に光明真言、大日如来真言の梵字が刻まれており光明真言曼荼羅であります。
画像


本堂(ほんどう)
俗に赤堂と呼ばれる千光寺本堂の本尊千手観世音菩薩は、33年に一度開帳の秘仏です。俗に火伏せの観音とも称されています。
画像

鐘楼(しょうろう)
大師堂前の小門をくぐると目前に朱塗り唐づくりの鐘楼が断崖絶壁に建っています。
この鐘は「時の鐘」として名高く、元禄初年より時刻を近郷近海に報じ近年はテレビ、ラジオを通じて「除夜の鐘」としてひろく人々に親しまれ、尾道の名物の一つにもなっています。
画像


お参りをした後、元の山頂駅まで戻った。
疲れた。
足がつりそうになった。
坂の街はもうたくさんだ。