OLAFの諏訪大社「御柱祭」ツアー④(’16年4月4日 御柱祭り、上下諏訪大社、高島城)

(前ブログからの続き)
いよいよ木落しが始まる。


上社御柱の主要な行事は以下の通り。
①御柱の見立て(仮見立て~本見立て)
諏訪大社に曳き建てする御柱御用材(樅)を八ヶ岳御小屋神林において伝統の旧儀のもとに神職、山作り衆、氏子総代、関係氏子により選定する作業をいう。
御柱年の約2年前に仮見立て8本の選定を行い、その後「本見立ての儀」を行って御柱用材を最終決定をする。
②御柱抽籤式
上社本宮・前宮、合計8本の御柱曳行地区を決める神事。御柱年の2月15日、上社本宮神前において、関係各市町村千有よの氏子が見守る中で抽籤式が行なわれる。
各組から古例によって選ばれた8名の抽籤抽籔総代は、1ヶ月余にわたってそれぞれ抽籤に向け精進を重ねる。
例えば、家人と別火の食事にしたり、あるいは風呂は必ず一番風呂に入ったり、または連夜に亘って冷水を浴びたり、連日諏訪大社に早朝詣出をするなど、抽籤人各自の考えの元、あらゆる方法によって心身を浄めこの日の神前に臨む。
そして厳寒の2月15日上社御神前において、宮司の祝詞奏上の後にいよいよ抽籤式が開始されます。
一人づつ神前に正座し抽籤を待つ抽籤人。
そして結果は如何にと見守る氏子の群衆。 
抽籤人は次第に見も心も引き締り、かすかにふるえる人、顔が蒼白にかわる人、まさに神人一体、願いが叶うなら本宮一の御柱! 諏訪大神の御神意を仰ぐ瞬間に臨みます。
とにかく木はでかくて重い。
長さが18メートル、総重量は10トンを優に超える。
「四乃柱」から徐々に重くなって、一番重いのが上社の場合は「本宮一乃柱」で、参加地区はどこもこの「本一」を取りたい。
③火入式
当日は山作り当番の家に集合して、床の間に御小屋明神、諏訪大明神、金山彦神の掛軸をかけて、その御前に神斧をはじめ御柱伐採用器具を供え祭事をおこない御柱伐採の奉告と無事故を祈願する。
④御柱伐採
御柱本見立てにより決定された御柱御用の巨木を、早春の八ケ岳御小屋神林で行います。 この日午前5時に出発、降り積もった雪を踏みわけ、御小屋明神の祠の前において山作り衆をはじめ、氏子総代など関係者全員が参列して伐採奉告祭を行います。
その後伐採場所に到着後、樹齢数百年に及ぶ本宮一の巨木の前に集り、修祓式を行い山作りの当番が伝統の朱塗の神斧をもって、斧入れの儀をすませます。
⑤山出し祭
諏訪地方20万人の氏子たちが奉仕し7年目ごとに行われる「諏訪大社式年造営御柱大祭」は、原村柳沢地区の御柱置き場から出発する上社御柱祭山出しから始まります。
天下の三大奇祭と称されるこの祭りは、数年がかりで準備を重ね、御柱年4月初旬の早朝、「御小屋山の椛の木は、里へくだりて神となる」と木遣一声によってその幕がきっておとされます。
八ケ岳の御小屋神林から伐り出された8本の御柱御用の巨木は、上社関係旧18ヶ村の氏子の人々の奉仕によって行なわれ、まず清祓い、綱渡りの神事のあと、諏訪の男の晴姿と血気にはやる若者たちが、御柱の左右のメドテコに先を争ってとりつき、声自慢の木遣唄が謡いわたると数千の曳子の歓声がドットあがり、ラッパ隊の進軍ラッパの響きと共にオンベの波がゆれ、曳綱がピント張られるとさしもの御柱の巨木もにぷい地響きをたてながら動き始めます。

⑥御柱木落し
上社の御柱山出し祭の一番の見所となるのは壮観な木落しであります。
木落しとは中央東線の鉄道に添ってたつ宮川小学校側の50m余の大断崖の上から、御柱を曳落とすのでありますが、この時、御柱と共に乗り下ることは、諏訪の男衆の度胸の見せどころで、御柱の先端やメドテコの両側に鈴なりに取り付いている勇み肌の若者たちは、いずれも奥山から曳き出される山出しの最初からメドテコに乗り続けて来た勇者揃いです。
全長100m余りに及ぷ2本の曳綱がピンと張られ、ラッパ隊の演奏が、ひときわ高くなり響く時、今までゆれ動いていた御柱が急にその先端を下げて、一瞬あがる土煙りとともに落下します。
周囲の田畑も上川の河原も人家の屋上にも万余の大観衆が群がり、折から通りかかりの急行列車さえもが最徐行してこの壮観を見守っています。


⑦宮川川越し
豪快であった木落しがすむと今度は御柱川越しの壮観があります。川越しとは一名御柱洗いと称して宮川の清流の中を御柱を曳き渡すことであります。
翌日関係者によって、曳きそろえられた8本の御柱の周囲に注連縄(シメナワ)を張り、修祓式を行って里曳祭りの日まで1ケ月間ここに休めておきます。
⑧御柱休めの儀
御柱の山出しが終ると4月中の寅または申の日を選んで御柱休めの儀が行われます。
これは今まで建っていた御柱を取除くことで、この役目は昔から中金子村(諏訪市中洲字中金子)が奉仕するのを例としています。
⑧御柱里曳き
緑の苗代にさわやかな風が渡る5月初旬の3日間。
いよいよ御柱里曳き祭の始まりです。宮川安国寺区の御柱屋敷に曳き揃えられてあった本宮と前宮の御柱合計8本! 
御柱曳出しの綱渡りを終えそれぞれ本宮と前宮に向けて曳き出します。
町内には江戸情緒豊かな大名行列の御騎馬が繰り出し、社頭では御祭神の御神徳にちなんで龍神の舞がその妙技を演じ、さしもの広い神域も町並も参集した大観衆で埋まって、身動きもできないほどとなります。
古来より「人を見るなら諏訪の御柱へ行け」といわれるように、この人波をわけて、木遣り唄やテコ方の掛声にあわせて、さしも巨大な御柱も除々に前進して、7年一度の御柱大祭はここに最高潮'を迎えます。
⑨建御柱
御柱が境内に曳きつけられると「山の神返し」の木遣歌と万才があり、引き続き古式にのっとり「冠落し」の儀が行なわれます。
これは御柱の先端を三角の錐形に整えることで、これによって御柱が冠をつけ神の柱になったことを意味するといわれています。
血気の若者たちが徐々に曳き建てられてゆく御柱にまたがって、2ヶ月にわたる御柱大祭の名残りを惜む最後の華を飾って、万雷の拍手にこたえ、やがて垂直に建てられた御柱の冠の上に幣束を打ち、御柱の根元につめ木を打ち込んで曳建一切の行事を終わり、翌日御柱固めの祭事が古例に従って中金子部落の奉仕によってとどこおりなく執り行なわれます。
⑩式年造営と遷宮
上社の御柱の曳建てか終わってから一ケ月余りたった6月15日に、式年遷宮の儀、宝殿遷座祭の儀が行なわれます。
式年遷宮とはある一定の年限を定めて御本殿を改築して、御神霊を新造の御殿に奉遷する神事で、諏訪大社他神社にとっては最も重要な祭事であります。

2年以上かかる御柱祭の最大の見どころ木落し(上記緑部分)がいよいよ始まる。

平成28年、上社の本宮と前宮に立てる御柱8本の曳行担当地区を決める抽籖式(ちゅうせんしき)が2月15日に諏訪大社上社本宮で行われ、次のように決まりました。

4月3日:本宮一之御柱  担当豊田・四賀、本宮二之御柱 中洲・湖南、本宮三之御柱 境・本郷・落合、
4月4日:AM10時から 本宮四之御柱 原・泉野(諏訪郡原村・茅野市)・・・この木落しを見ます。

見学席に着くともう既に御柱が木落しを待ってます。

画像


メドデコは上社の御柱のみ有り、御柱の前後に角のように取り付ける棒のことで、人が乗って曳行される。
木の皮を剥き、足場となる縄を巻き結びなどで繋ぎ、更に上から玉縄で何重にも巻き補強してある。
メドデの天変は3階と同じくらいの高さになります。
数万の大観衆を眼下にして「ここは木落しお願いだー」の木遣りのひと声が響き渡ります。
メドデコに大勢の若衆を乗せたまま、御柱は一気に急坂を下ります。

青いハッピは地元の氏子さんで、黄色や赤の半纏衣装は地元の大工や鳶職の代々このお祭りを支えてきた方々だそうです。

御柱に向かって右が男メド、左を女メドと呼び、命綱が結ばれています。

メドデコに乗っている若い衆はおんべを振ってます。
「おんべ」とは 御柱祭で人々が手にしている、棒の先に房の付いたもの。
一種の御幣のことで、神が宿ると言われ、氏子や木遣り衆はこれを振って気勢をあげます。
房は、エゾマツやとトウヒをカンナで薄くスライスしたもので、頂点部分から垂らします。
一見ビニール製のように見えるが、実は職人の手による手作りの木製で、カラフルに着色されている。
木遣り衆の持つものは、房の上に諏訪大社の御札を備えた最も立派な大おんべで、その房数は250枚、長さは1.5メートルもあり、着色はされていない。
御柱の上に乗る若い衆のメドのりおんべは70㎝程、房だけのシンプルな形で、主に黄色や赤の単色に着色されたものを使う。

画像

画像

画像

ラッパ隊が揃って勢いをつけています。

4月4日の「信濃毎日新聞」夕刊に以下の記事が載っていました。
~ラッパ吹くと気持ち一つに 「本宮四」原村の女性初参加~
「楽しくてあっという間の3日間だった」。
諏訪大社御柱祭の上社山出しに、「本宮四」を引く原・泉野地区(諏訪郡原村・茅野市)のラッパ隊員として初めて参加した原村の会社員小林真利那さん(26)は4日、山出しを終えて満足そうに話した。
ラッパを吹きたいと村消防団に入団。
御柱祭でも吹きたいという気持ちが高まったという。
最終日も金色のラッパで勇壮な音色を響かせ、氏子を鼓舞した。
御柱祭に向け、原・泉野地区が結成したラッパ隊に入ったのは今年2月。「トランペットと口の使い方が似ている」というラッパの演奏技術を高めてきた。
4日も地区のラッパ隊約40人と一緒に行動し、「協力一致でお願いだー」といった木やりに合わせて演奏。
綱を引く氏子たちは、「よいさ、よいさ」の掛け声で応えた。
上社山出しの見せ場「木落とし」「川越し」の開始もラッパで告げた。
小林さんは「大変だったけれど、ラッパを吹くと曳(ひ)き子の人たちと気持ちが一つになれた」。
5月3〜5日の里曳(び)きにも参加する予定で、「みんなの力を出せるような演奏をしたい」と意気込んだ。

この写真の中に写っていたのだ。


木落しで通る坂道の中央の町名が書かれた旗が坂下に降りて行った。
いよいよらしい。
画像

大おんべを持った木遣り衆も坂下に移動を始めた。
画像

10数キロ曳かれてきた御柱は、急に落ちないようにと、後ろに止め綱をかけ、多数の氏子を乗せた御柱は徐々に大きく迫り出され、いよいよ木落しが実行される。
だいぶせり出してきた。
画像

メドデコに乗りおんべを振る若衆。
画像

OLAFが見た木落しは本宮四之御柱で前宮二とは違うが

4月4日の「信濃毎日新聞」夕刊に以下の記事も載っていました。
~女性、念願のメドデコてっぺん 「前宮二」茅野の21歳新社会人~
諏訪大社御柱祭上社山出し2日目の3日、米沢・湖東・北山地区(茅野市)が担当する「前宮二」の柱の前部に付いたV字形の「メドデコ」最上部に、茅野市北山の歯科衛生士篠原友紀さん(21)が乗った。
女性が御柱祭に参加できるようになったのは戦後とされ、花形の最上部に乗るのは今でも珍しい。
3地区の氏子でつくる「三友会」に入って練習を重ね、念願を果たした。折しも1日、社会人に。
人生の門出と重なる貴重な経験を胸に歩み続ける。
昨年3月、三友会に入会。
メドデコに女性は乗れないと思っていたが、会員から「いいぞ」と言われた。
鼓笛にも引かれたが、メドデコに乗った氏子の姿を思い出し、「格好良かった。できるならば自分も」と望んだ。
3日の曳行開始直後の午前8時すぎ、茅野市の長峰交差点付近でメドデコ最上部へ上り、「よろしくお願いします」と大きな声であいさつ。
木やりやラッパに合わせて「よいさ、よいさ」と声を張り上げ、左手のおんべを力強く振った。
約30分。大役を終えた篠原さんは「興奮や緊張で何をしたか覚えていないが、次回も乗りたい」と声を弾ませた。


坂の両側へ八の字に開いた曳き綱がピンっと張り、斧の一振りで御柱を支えていた追掛け綱が切られると、柱は頭をグッと下げ、後部を跳ね上げて坂下へ向けて一直線に突っ込んでいきます。
左右のメドデコのバランスを取り、安定した姿で綺麗に落そうと心がけるが、バランスが大きく崩れ、メドデコから若者が投げ出されたりする事故も起きる。
いよいよ落ち始めた。
画像

残念なことに大きく傾き始めた。
画像

倒れた。
画像

倒れたまま下へ。
そして団子状態に。
画像

画像



時間通り終了。
見学席の入れ替えが開始された。
(次ブログへ続く)