OLAFの九州世界遺産登録地 6つの構成資産巡り①(’15年9月8日~10日)

予約してあった”明治日本の産業を支えた 九州世界遺産登録地 6つの構成資産をめぐる 3日間”のツアーに悪爺さん2人組で参加した。
関東には丁度台風17号、18号が来ると言う。
この台風が避けられて、九州旅行はラッキー!と言う感じだった。


今回は地図の赤マークを6か所まわる。
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出発の朝は台風の影響で雨が降っていた。
雨の中、羽田までモノレールで。
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出発までビールでこれからの旅に乾杯。
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10時5分の便で北九州空港へ。
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北九州空港で現地添乗員とバスガイドさんが迎えてくれる。
最初の見学場所『官営八幡製鐵所関連施設』へ出発。
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福岡県北九州市まで。
明治維新後、政府により「殖産興業」の政策が進められる中、1880(明治13)年に釜石にイギリスの技術を導入し我が国初の官営製鐵所を建設しました。
明治20年代に入ると、鉄道敷設や造船などの鉄鋼需要が急増。
日清戦争(明治27年~28年=1894~1895)を契機として鋼を生産する近代製鉄所設立の機運が高まりました。
石炭の確保及び輸送、国防上の問題、水や労働力、地震が少ないことなどの条件のもと、八幡村は、我が国で最大の石炭産出量を持つ筑豊炭田に隣接していたことや地元の熱心な誘致活動が実を結び、1897(明治30)年2月に製鐵所の設置が決まりました。

傍には絶叫マシーンで有名なスペース・ワールドが有りました。
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最初に『北九州イノベーションギャラリー』でボランタリーガイドさんから説明を受ける。
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明治34年(1901)2月5日には東田第一高炉への火入れが、同年11月18日作業開始式が行われた。
なお、現存の東田第一高炉は第10次改修高炉であり、公称能力900トンを誇る日本最初の高圧高炉として建設され、昭和37年(1962)8月の火入れから昭和47年1月の吹き卸しまで操業した。
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当時の作業者の人形。
高炉から流れ出てくる鉄を台車まで流す。
熱かったろうな。
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コークスを燃やして熱風を高炉へ送り込む。
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高炉の中。
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天井。
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『旧本事務所』
1899(明治32)年、八幡製鐵所の創業2年前に建設された建物で、長官室、顧問技師室、技監室、主計室などがあり製鐵所の中枢の事務所です。赤煉瓦組積造の2階建で、延床面積1,023m²、桁行(建物の長さ)33m、スパン(建物の短手方向長さ)15m、軒高10.38mです。
中央にドームを持つ左右対称の意匠で,和瓦葺、洋小屋組(クイーンポストトラス)、イギリス式のレンガ積となっています。
設計建設は製鐵所が行っています。1922(大正11)年まで本事務所として使用されていましたが、新しい本事務所の完成以後は研究所(世界でも極めて早い時期に設立された鉄鋼の研究所です)としても使用されました。
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『三重津海軍所跡』がある現在の佐賀市諸富町・川副町の一帯は、幕末当時、三重という地域区分でした。
その地域に江戸時代を通して、佐賀藩は、御船屋(おふなや)という佐賀藩の船を管理する場所を設けていました。
安政2(1855)年に幕府が長崎海軍伝習所を開設すると、佐賀藩は多くの藩士を派遣して航海や造船の知識・技術を学ばせました。
安政5(1858)年、佐賀藩は長崎海軍伝習所で学んだことを藩内に広めるため、御船屋があった三重津に御船手稽古所(おふなてけいこしょ)を設けました。
ここが三重津海軍所の始まりです。船の操縦や射撃等の訓練を行うほか、船を修理したりつくったりする機能を次第に整備し、今の早津江川西側の河川敷に約600mにわたり広がっていました。
慶応元(1865)年に日本初の実用蒸気船となる「凌風丸(りょうふうまる)」をここで完成させました。
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今は当時の面影は無い。
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今夜の宿は『矢太楼会館』。
長崎までかなり長距離を走ってきたので、7時過ぎ。
風呂に入る前に夕飯。
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ビールが旨い。
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北九州市から長崎まで長距離を走った。
バスに乗り疲れた。

明日は朝はゆっくり出発なのでユックリ寝ましょう。
(次ブログへ続く。)