OLAF in 冬の京都 (食べ歩記① 初音寿司)

今回の京都滞在中のB級グルメ食べ歩記。
記録として残しておこう。


初音寿司
平安神宮の傍の寿司屋さん。
ご主人は信楽出身のニンジャの末裔か?
京都の隠れ家的な美味しい寿司屋。

関東の寿司とは趣が違う寿司が食べられる。
稲荷寿司は傍のお寺から注文が多い様だ。

今回の滞在中2回も行ってしまった。

一回目はお友達ご夫婦の紹介で初めて行った。
なかなかのグルメで楽しいご夫婦だ。
関東の人だが、京都にコンドを持っていて凄い頻度で京都を楽しまれている。

そのご夫婦が予約をしてくれて、お座敷で楽しませてもらった。

店の入口。
信楽焼きの狸が迎えてくれる。
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お友達ご夫婦と。
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最高に美味な「鯖ずし」と「とり貝の辛子味噌あえ」「うざくの酢の物」。
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京都らしい「箱寿司」。
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これまた美味な「鰻チラシ」。
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二回目はカウンターで楽しんだ。
何気ない寿司屋だがとても美味。

歴史はある店だと奥さんが雑誌を見せてくれた。
「栗田神社大祭だより」と言う雑誌の表紙に昔の写真が載っておりそこにこの初音寿司の看板が見える。

なんでも粟田神社大祭は
”京都の七口のひとつ「粟田口」で、旅人の守護神として信仰を集める粟田神社。
10月に執り行われる大祭は1000年以上の歴史をもつ神事であり、巡行前夜の「れいけん祭」と「神輿と剣鉾の巡行列」が見所です。
「れいけん祭」は、神仏習合を今に受け継ぎ、祭りの素朴な風情を味わうことができる神事。
粟田神社を出発した「夜渡り行列」が知恩院前の瓜生石の前に到着すると、知恩院の黒門が開かれ、僧職がおごそかに階段を降りて来ます。新しく神霊を迎え入れる儀式が神職・僧職の合同で執り行われると、行列は町内を練り歩いて粟田神社へと帰って行きます。
翌日、「神輿の渡御行列」に先立って町内の清祓いをする「剣鉾」は、祇園祭における山鉾の原形です。
「剣鉾」とは、長さ6~7mにおよぶ棒に剣先が取り付けられたもので、重さは30~40kg。
剣鉾を腰につけた差し革で支え、バランスを取りながら練り歩くことを「鉾差し」と呼びますが、一人前になるまで3年前後を要する伝統技能です。
粟田神社の大祭では、京都で最大数の6基の剣鉾が練り歩きます。”
との事。
(参考)
「京七口」はやはり、元々は京都の周囲にある主要各街道の七ヶ所に出入口が設けられていた。
三条口(三条橋口・粟田口・大津口)→ 江戸への東海道(三条街道)、途中で中山道に分岐
伏見口(五条口・五条橋口・宇治口)→ 伏見街道、伏見を経て大和・大坂へ
竹田口 → 竹田を経て伏見への街道(大和・大坂につながる)
東寺口(山崎口)→ 山崎・高槻・西宮を経て西に向う西国街道
鳥羽口(東寺口・八幡口)→ 鳥羽・淀・八幡を経て大坂へ行く鳥羽街道
丹波口(七条口)→ 亀岡を経て丹波へ行く山陰街道
長坂口(清蔵口)→ 京見峠・杉坂に至る長坂越え、周山街道につながり若狭への道
荒神口(今道の下口・今出川口)→ 山中越えで西近江への街道 
大原口(龍牙口)→ 大原・朽木を経て若狭に至る若狭街道 
鞍馬口 → 鞍馬を経て丹波に至る鞍馬街道
しかし、京七口の呼び方が一般的になる前、すなわち、中世にも既にいくつかの口地名が文献に見られるそうです。
平安時代の中期の文献には、
粟田口が、『栄華物語』卷七、長保3年(1001)9月の「石山詣で」に。
九条口が、『為房卿日記』寛治6年(1092)2月6日の条に。
室町時代の文献には、
鞍馬口、長坂口が、山科家古文書『山科家礼記』延徳3年(1491)6月30日の条に。
大原口、粟田口が、同じく山科家文書の『言継卿記』永禄10年(1567)10月2日の条に。
丹波口が、『東寺執行日記』嘉吉元年(1441)9月5日の条に。

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「マグロのわさび和え」「たこ酢」「タイの辛子味噌和え」
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「おさしみ盛り合わせ」
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「うざく」
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仕上げは「鯖ずし」「鯖しそ巻」。
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ついつい美味しい摘みにお酒飲み過ぎ。
べろべろ。
正月そうそう大酔っ払い。

今年は飲み過ぎに注意!