OLAFの年末年始の京都滞在(’12年12月31日 本能寺・蛸薬師堂 大根炊き・古川町商店街)

今日は大晦日。
夜は除夜の鐘など沢山ありそうだが、昼間はあまり行事はなさそうだ。
その中でもネットによると”蛸薬師堂 大根炊き”があると言う。
今まで大根炊きは京都では”三宝寺の大根炊き”に行った事がある。
http://olaf-mama.at.webry.info/200912/article_8.html
東京では”待乳山聖天の大根祭り”に行った。
http://olaf-mama.at.webry.info/201001/article_3.html
今回初めての蛸薬師堂の大根炊きを楽しんでこよう。


河原町三条のバス停の近くだという。
バス停から市役所の方へ歩いていくと本能寺がある。
そこにも行った事が無いので見てこよう。

寺町通りに面して本能寺があった。
本能寺は、織田信長が上洛時に宿所として使っていた寺である。
そしてこの寺で信長は重臣の明智光秀により自害に追いやられたのである。
天正10年(1582)5月29日、信長は少数の護衛を伴い、いつもどおり上洛時に宿所としていた本能寺へ入った。
一方、光秀は信長の命令により備中高松城で毛利家と戦っている羽柴(豊臣)秀吉の援軍のため、坂本城(大津市)から丹波亀山城(亀岡市)へ移動した。
光秀はそこから西へ向かうはずのところ踵(きびす)を返して「敵は本能寺にあり・・」と本能寺へ向かう。
これが、広く知られた「本能寺の変」で、この事件により本能寺は四度目の焼失となった。
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門の左側に石碑がありそこに文章が書かれていた。

<本能寺跡>石碑に書かれている言葉
応永22年(1415)御開山日隆聖人は、本門八品の正義を弘通せんがため、油小路高辻と五条坊門の間に一寺を建立して「本応寺」と号されたが、後に破却されたので、永享(えいきょう)元年(1429)小袖屋宗句の外護により町端に再建、次いで永享5年(1433)如意王丸の発願により、六角大宮に広大な寺地を得て移転再建、本門八品能弘の大霊場として「本能寺」と改称された。
その後、天文5年(1536)天文法乱によって焼失、天文14年(1545)第八世伏見宮日承王上人によって旧地より四条西洞院のこの地に移転、壮大なる堂宇の再興をみた。
しかるに天正10年(1582)かの「本能寺の変」によって織田信長とともに炎上、天正17年(1589)この地に再建せんとし、上棟式の当日、豊臣秀吉より鴨川村(現在の寺町御池)の地に移転を命ぜられる。一山の大衆声を放って号涙すと。
ちなみに「本能寺」は度々火災に罹りたるをもって、能の右側の「ヒヒ」(火)と重なるを忌み、火難から去る意を込めて「去」と書くのが慣わしである。

日蓮上人の立像。
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本堂の前の”臥牛石”があった。
確かに牛に似ている。
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本堂。
31日4時から除夜の鐘法要が行われると言う。
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京都の中では新しい感じのお寺だった。

そこから歩いて蛸薬師堂へ。
ネットによると
「病気平癒や厄難消除に霊験のある蛸薬師堂で、大晦日恒例の大根炊きが行われます。
蛸薬師如来を参拝する人々で賑わう境内では、年越しそば(有料)も味わえます。」
との事。

京極通りを下っていくと行列が出来ていた。
大根炊き目当ての人の行列だった。

蛸薬師如来の由来
後深草天皇の御世、建長(1249~1256年)の初めの頃善光と言う僧がこの寺に住しておりました。
ある時、母が病気になり寺に迎えて看病していましたが、一向に病はよくなりませんでした。
母は、「子供の頃から好物だった蛸を食すれば病が治るかもしれない。」と善光に告げました。
しかし、善光は僧侶の身で、蛸を買いに行くことを躊躇しておりましたが、病弱な母のことを思うといてもたってもいられず箱をかかえて市場に出かけ、蛸を買って帰りました。
これを見た町の人々は僧侶が生魚を買った事に不審を抱き、善光のあとをつけて寺の門前で、箱の中を見せるようにと彼を責めました。
善光は断ることも出来ず、一心に薬師如来様に祈り「この蛸は、私の母の病気がよくなるようにと買ったものです。
どうぞ、この難を助け下さい。
箱を開けると蛸はたちまち八足を変じて八軸の経巻となり霊光を四方に照らしました。
この光景を見た人々は皆合掌し、南無薬師如来と称えると不思議なことに、この経巻が再び蛸になり、門前にあった池(今の御池通の由来となった御池)に入り、瑠璃光を放って善光の母を照らすと、病気はたちまち回復しました。
それ以来、蛸薬師堂の蛸薬師如来様と称されるようになり、この地で病気平癒を祈れば、身体の病だけでなく心の病もたちまち回復し、子を望めば生じ、財を願えば叶い、嘉吉元年(1441年)に、後花園院の天聴に達し勅願寺となりました。

豊臣秀吉の時代、都の東の端の城壁代わりに、大きなお寺ばかりが集められた時、蛸薬師堂永福寺も、二条室町から移された。
また、病気平癒や厄難消除に霊験のある蛸薬師如来様を参拝する人々で賑わった参道を蛸薬師通と呼ぶようになった。
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大きなお鍋に大根とおあげさんが煮てあった。
それをどんぶりに取り分けてくれる。
寸志と書かれたざるが置いてあった。
10円玉も多く入っていたが100円玉を置かせて頂く。
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熱い。
ふうふうしながら大根をパクつく。
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狭い境内に、たくさんの人達。
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帰りは神宮道でバスを下車。
一度歩いたことがあるが三条通りから白川に沿って下っていく。
柳が美しい。
知恩院まえに手すりの無い橋があった。
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その側に、古川町書店街があった。

この商店街は、”京都地検の女”で名取裕子が買い物をする商店街で有名だ。

京都、東山。古川町商店街は、古くは東の錦と呼ばれ、栄えました。
その時代から、人と人とのつながりを大切に守り続け、気がつけば昔と変わらない、ゆったりとした時間が流れる、レトロな商店街になっていました。
お客さんと商店主がほとんど知り合い同士、買物なのか、おしゃべりなのか・・・。
そんな光景が古川町商店街の日常です。
昭和の雰囲気漂うレトロな商店街、古川町商店街に、是非おこしやす。
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TVで見慣れたレトロな商店街だ。
今日は、お正月用のおせち料理などが置かれていた。
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蛸薬師堂の名前の由来は面白い。

そこで頂いた大根炊きは美味だった。
寒い中暖かい大根。

一度ホテルに戻って晩に備えよう。