OLAFの大阪散策 (’11年11月2日 通天閣・法善寺)

今日は京都をブラブラするのではなく大阪へ行ってブラブラしてみる。
大阪は何回も行っているが、あまり昼間観光地をブラブラした事が無い。
通天閣・法善寺等昔行った事があるが最近はどうなっているのだろうか?
大阪を代表する二大観光地?へ出かけよう。


京都から阪急で梅田へ。
特急で40分足らずで梅田へ到着。
関西は関東と違って都市間が近い。
山手線は一周するのに60分。
関西の循環線は30分。
これ程の違いがある。

梅田から、地下鉄堺筋線恵美須町駅へ。
駅を降りると通天閣が目に入ってくる。
通天閣南本通商店街はガラガラだ。
なんだか寂しい観光地だ。
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塔の足元に入口があった。
暇そうなお兄さんがエレベーターを操作して、お客を呼び込んでいた。
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2階は、5階展望台へのエレベーター乗り場、売店、ゲームコーナーがあった。
2階で展望台へ行くエレベータに乗り換える。
入場料は600円。
展望台へ着くと大阪の町が良く見える。
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5階の展望台には、足の裏を撫でると幸運が訪れるという言い伝えがある幸運の神様「ビリケン(Billiken)」の像が安置されていた。
これは新世界にかつて存在していた遊園地である「ルナパーク」が開業した1912年(明治45年)当時、世界的に流行していたビリケンの像をルナパーク内に作られたビリケン堂に安置したのが始まりだそうだ。
写真を撮って販売するグループが写真を撮ってくれた。
「は~~~~~い!ビリケン」
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帰りのエレベータは3階のイベントホールどまり。
降りてみると通天閣の歴史を知る事が出来る展示が多数。

1903年(明治36年)に開催された第5回内国勧業博覧会の会場跡地に、パリのエッフェル塔と凱旋門を模した初代通天閣が1912年(明治45年)7月3日にルナパークと共に建設された。設計は設楽貞雄。
建設費用は約9万7000円で、当為の入場料は10銭。
300尺(91メートル)という触れ込みで、その当時東洋一の高さを誇っていた。
通天閣は、ルナパークと「ロープ・ウエィ」で結ばれており、人々に親しまれていた。大阪で2番目(非貨物専用としては最初)の昇降機が設置され評判となった。
その後、火災に遭って解体されたが、昭和31年(1956)市民の要請を受けて再建され、現在に至る。
2代目の通天閣は103m、初代より39m高い。
こんなことらしい。
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当時の模型が飾られていた。
かなり大掛かりなテーマパークだった様だ。
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見物を終え傍の”通天閣南本通商店街””新世界本通商店街”等を眺めてみた。
大阪の看板にはビックリの連続。
関東では見られない大型模型の様な飾りがぶる下がっている。
「さすが、大阪!!」
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帰りは無料シャトルバスで難波まで移動する事にした。
派手なバスに乗り込む。
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難波でシャトルを降りて、法善寺横丁へ。

もともとこの地は浄土宗天龍山法善寺の境内で、参拝客相手の露店がいつしか横丁に発展したもの。
太平洋戦争の空襲で寺も横丁も焼失したが、戦後、盛り場として復活。織田作之助の小説「夫婦善哉」の舞台として知られ、歌謡曲「月の法善寺横丁」にも歌われた。
戦火をくぐり抜けた不動尊は、願いを込める人たちがかけた水で、全身に緑の苔がびっしり。旧中座の2回にわたる火災を乗り越え、復活を遂げた法善寺横丁は、かつての風情を残しつつ、浪速の人情も守りつつ、今も活気溢れる街だ。

こんな説明に誘われてこの辺をブラブラする事にした。
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法善寺の門もあった。
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戦火をくぐり抜けた不動尊は、願いを込める人たちがかけた水で、全身に緑の苔がびっしり。
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今を遡ること、百十年以上前。
法善寺境内に、ちょっと変わった善哉屋が開店します。
文楽の太夫、竹本琴太夫こと「木文字(きもんじ)重兵衛」という人がはじめた「お福」という名のお店です。
何が変わっていたかというと、一人前なのに二杯のお椀に分けて善哉が出てきたからです。「へぇー、こら変わっとる。なんで二つや」。
聞かれると、実際にお店を切り盛りしていた重兵衛の妻「こと」と娘「かめ」はニッコリ笑って、「おおきに。めおとでんね」と答えたといいます。
実際は、二つのお椀に分けた方がたくさん入っているように見えると考えたからなのですが、これが大当たり。
その後の「夫婦善哉」へと繋がっていったのです。
その店に入ってみる事にした。
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店内には既にカップルが。
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これが、有名なぜんざい。
塩コブがついていて「お口直しに」との説明。
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食べ終わってから、周りの商店街をブラブラしてみる。
やはり大阪のノリの看板。
牛がぶら下がっていたり、タコが壁にはっていたり。
関東人から見るとビックリの連続。
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一時一世を風靡したくいだおれ太郎が立っていた。
2009年7月「中座くいだおれビル」の店先に、1年ぶりにくいだおれ太郎が復活。
オープンの記念式典には、大阪府知事・橋下徹、大阪市長・平松邦夫らも出席し、道頓堀に帰ってきた「くいだおれ太郎」を祝福した。
テープカットの際は、「太郎」と「次郎」が一緒に店頭に並んだ。
また、同ビルオープニングでは、くいだおれ太郎がDJネーム「DJ KTaro」として登場した。
現在は中座くいだおれビルの正面で連日、くいだおれ太郎と観光客との記念写真の撮影を実施している。
と言う事の様だ。
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大阪の町の看板に圧倒された一日だった。
銀座では決して見る事無い風景!
関東に住んでいて良かった!