OLAFの能楽鑑賞(’11年6月1日 定例公演 狂言「磁石(じしゃく)」 能「半蔀(はしとみ)」)

梅雨の合間となった1日に能の定例公演を国立能楽堂へ見に行った。
最近は能を楽しむ事が多くなった。

今日の公演は狂言は「磁石(じしゃく)」、 能は「半蔀(はしとみ)」だ。
能の「半蔀」は源氏物語の夕顔を題材にしたものと言うことで楽しみだ。
初めて見た能も夕顔が題材となっていた。

(6月のプログラム)
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何時ものようにプログラムを買い込む。
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初めは狂言の磁石。
あらすじは下記の通りだ。

田舎者が都へ行く途中で、見物をしていると人買が田舎者に近づいてきて、知り合いだと言う。
そして「自分が都を案内してやる」という。
田舎者は丸め込まれて宿屋まで連れて行かれる。
人買は宿屋の主人と人身売買の話をまとめるが、それを田舎者は一部始終聞いてしまう。
翌朝、田舎者は先回りをして宿の主人を騙して金を受け取って逃げる。
それに気がついた人買は、宿屋の主人に刀を借りて田舎者を追いかける。
田舎者を捉えて、刀を振り上げると田舎者は、大口を開けて刀を飲もうとする。
田舎者は「自分は、磁石の精である」と言い出す。
人買が刀を鞘におさめると目を回して倒れてしまう。
慌てた人買は、田舎者のそばに刀を置いて、なんとか治してやろうとする。
このすきを見て田舎者は刀を奪って逃げていく。

奇想天外の狂言だ。
急に「磁石の精」などと言い出しそれに騙される人買い・・・
事前に筋を読んでいなければついていけない!

休憩時間になる。

中庭のもみじが青もみじとなり初夏を感じさせられる。
京都で見てきた青もみじには竹とんぼのような形の赤い種が沢山付いていたが、能楽堂の中庭の青もみじには一つも付いていなかった。
もみじの木ならば総て種をつけると言うことは無いのかナ~~~~~?
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休憩時間に資料展示室へ行った。
何時もと違う展示に戸惑った。
何時もの伝統芸能”能”にちなんだ展示ではなく訳の分からない衣装や飾り物の展示だ。

説明文によると以下の通りらしい。

内容 国立能楽堂では古典を上演することにとどまらず、「復曲」や「新作」の試みを通じて能楽の新たな魅力を発掘しています。
スーパー狂言もその一つです。
諫早湾の潮受け堤防問題に材を取った「ムツゴロウ」(平成12年)、生命倫理を扱った「クローン人間ナマシマ」(平成14年)、戦争をテーマにした「王様と恐竜」(平成15年)。
人間の愚かしい所業を梅原猛氏が描き、横尾忠則氏が舞台空間にデザインし、茂山家の芸系でおかしの世界を明るく軽妙に表現した作品たちをご紹介します。

特に面白そうだったのは、”クローン人間ナマシマ”

マツキ選手ほか主砲選手をメリケン国グランドリーグに引き抜かれた東京ジャイガンツ。
窮地に陥った球団社長は、何とナマシマ前監督の「クローン人間」を造り出してしまいました。
しかも調子に乗って7人も…。
試験管の中でたった一本の髪の毛から生まれた、スーパースターの才能と全盛期の力強さを持った同じ顔の七人の侍。
彼らクローン選手たちの大活躍でオープン戦は100対0の大勝利。
順風満帆!…と思いきや、7人全員が4番サードを主張して大乱闘となり…。

スーパー歌舞伎は見た事があるが、スーパー狂言なるものがあったことすら知らなかった。
今度またあったら是非見てみたいものだ。


能は「半蔀」だ。
「半蔀」は上半分を外側へ吊(つ)り上げるようにし、下半分をはめ込みとした蔀戸(しとみど)のことを言う。
(プログラムより転載)
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あらすじ

京の都の紫野雲林院の僧が、90日にわたる夏の修行も終わりが近づいたので、修行の間に仏に供えた花々の供養を行います。
すると、白い花が開いたかのように、どこからともなく一人の女が現れて、花を捧げます。
僧が女に名を尋ねると、ただ夕顔の花と答えるだけで、その名を明かしません。
僧がさらに問いただすと、五条あたりの者とだけ言って、活けられた花の陰に消え失せてしまいます。

<中入>

僧が不思議な思いをしていると、ちょうどそのあたりの者がやって来て、光源氏と夕顔の物語を聞かせ、その女性は夕顔の幽霊であろうと述べて、僧に五条あたりへ弔いに行くことを勧めます。
僧が五条あたりを訪ねてみると、荒れ果てた一軒の家に、夕顔の花が咲いています。
僧が、夕陽が落ち、月がさし込むこの家の風情を眺め、『源氏物語』昔を偲んでいると、半蔀を押し上げて、一人の女性が現れます。
女は、光源氏と夕顔の花の縁で歌を取り交わし、契りを結んだ楽しい恋の思い出を物語り、舞を舞います。
そして、夜明けを告げる鐘と共に僧に別れを告げ、また半蔀の中へ消えてしまいます。
しかし、そのすべては僧の夢の中のことでした。

解説によると

この能は、この源氏と夕顔の恋物語を基としていますが、物語を描くよりも、夕顔の花そのものの可憐さに、はかなく逝った夕顔の君のイメージを重ね、花の精のような美しい夕顔を造形しています。
すべては僧の夢、という結末につながる、幻のようなしっとりした優美さが際立つ能です。

と言う事のようです。

解説の様に舞の美しさを十分に感じる心境にまでなれないが、能面の美しさ変わることが無いはずなのに変わるように見える表情など能に対する面白さが増えてきた。
今月は普及公演にも来る予定だ。
「熊坂」が楽しみだ。