OLAF’S Diary in 京都 (’10/4/3 ②伏見桃山城・藤森神社・墨染寺) 

明治天皇稜を後にして、伏見桃山城へ。
その後、藤森神社、墨染寺へまわる。


伏見桃山城は豊臣秀吉が晩年の居城として桃山時代の粋を集めてつくった大城郭だった。
現在の伏見桃山城は、かつての伏見城のお花畑山荘に昭和39年再建された大天守閣と小天守閣をもつ連結式城郭だ。
昔はテーマパーク”キャスルランド”と呼ばれて、乗り物など揃えた遊園地だったらしい。
お城の中にはエレベータがあり、天守閣まで行けたそうだ。
今は内部には入ることが出来ない。
周囲をぐるっと回って、お花見を楽しむだけ。
家族連れがお花見を楽しんでいた。
市民のための公園。

青空に浮かびあがった天守閣は綺麗だった。
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赤いボケの花も咲いていて、桜のピンクとの対比が美しい。
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その後、ダラダラ登ってきた坂道を下った。
帰りは楽だ。
京阪の伏見桃山駅へ行く途中にJR桃山駅があった。
そこから、JRで藤森駅まで。
藤森神社へ到着。
藤森神社は、今から約1800年前に、神功皇后によって創建された皇室ともゆかりの深い古社。
本殿は正徳2年、中御門天皇より賜ったもの。
菖蒲の節句発祥の神社としても知られ、曲乗りの妙技「駈馬神事」が有名。
そこから、勝ち運と馬の神様の信仰が大きくなり、今日では勝運と馬の神様として、競馬関係者(馬主・騎手等)、また、競馬ファンの参拝者でにぎわっている。
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競馬の絵が飾られていた。
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本殿。
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「いちのきさん」というお願いすると腰痛が治るという新木。
新撰組の近藤勇もここで腰痛を治したと言う言い伝えがある。
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最後は、墨染寺
墨染寺(ぼくせんじ)はその名の通り墨染桜(すみぞめざくら)で有名。
地元の人は桜寺と呼び、入口の石碑にも「墨染桜寺」と書いてある。
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日蓮上人の辻説法。
京都の日蓮宗のお寺では良く見られる銅像だ。
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墨染桜だが、現在のは三代目で植え継がれて20年に満たない若木である。
境内のソメイヨシノの開花より少し遅れて咲く。
平安時代に太政大臣藤原基経が亡くなった際、歌人上野峯雄(かんつけのみねお)が悲しんで歌を詠んだ。
すると桜がその心を感じて薄墨色に咲くようになったと言われる。
「深草の野辺の桜し心あらば今年ばかりは墨染に咲け(古今集)」。
実際は無色で真っ白に咲き、その後次第に墨色を帯びてくるという。
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未だ白い墨染さくら。
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欣浄寺(ごんじょうじ)へ行ってみた。
墨染寺を出て5~6分で欣浄寺の裏口へ来る。
当寺は、鎌倉時代の寛喜2年(1230)頃に、道元禅師が布教に務めた地とされ、道元禅師の聖地「深草閑居の史跡」とされる。
今は、公開されていなかった。
しかたなく、塀の隙間から覗いてみた。

「不許葷酒入山門」の結界石が目に飛び込む。
「不許葷酒入山門」とは、にら、にんにく、ねぎなどのにおうものを食べたり
酒気を帯びたりして山門に入るべからずという事だそうだ。
律院の名残りをとどめている。
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この場所は、かっての「深草少将の邸宅」址だそうで、少将はここから山越えに山科の小野小町のもと(随心寺)へ百夜通ったという事になっている。百日通ったあげく、その百日目に雪の中で野垂れ死にしてしまった。
境内には「小町姿見の池」があり、池の畔には少将と小野小町の供養塔や、深草少将遺愛の墨染井がある。
これがそうなんだろう。
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一日歩きまわった。
いささか疲れた。
伏見桃山城等幕末の歴史をもっと感じられるかと思ったが、意外とそう言った説明などなかった。
香宮神社等で垣間見ただけ。
源氏物語の雰囲気も最後にチョコットあっただけ。
仕方がないことだが、今は、普通の街中に散在してしまった様だ。