OLAF思い出のアルバム(’89/8 ヨーロッパ7ヶ国周遊 16日間 ③)

8月6日

スイスの観光は地図の通り。ルッツルンからインターラーケン、ユウングフラウ、ジュネーブ。

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今日はスイスのユングフラウ登頂観光。朝食後宿泊地のルッツルンから登山電車で、アイガーを眺めながら頂上へ。
頂上は万年雪。

「ユングフラウ」は「若い女性」と言う意味だそうです。
ユングフラウ鉄道(全長9.3km)のラック式鉄道が標高3,454mのユングフラウヨッホまで運行している。
ユングフラウヨッホ駅はヨーロッパで一番高い位置にある鉄道駅である。
ヨッホとは山のピークとピークの間の鞍部をさす。
クライネ・シャイデックを出発すると直ぐにアイガーの東側からアイガー、メンヒを貫くトンネルに入る。
ここから先は終点までトンネルである。
列車は北壁の内側を通過している途中のアイガーヴァンド(Eigerwand:アイガーの絶壁)という北壁の裏にある高さ1m幅8mほどの展望用の窓において一度停車する。この窓はトンネル工事の際の土砂の排出や、登山者の救助のアクセスポイントとしても使用されてきた場所である。
ここでは5分ほど停車するため、列車を降りて窓の外の景色を見ることができる。
その後トンネルは西に向きを変えユングフラウに向かう。
ユングフラウヨッホに着く前に2度目の停車がある。

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8月7日

今日は宿泊地ジュネーブからTGVで5番目の訪問国フランスのパリへ向かう。
パリは5月に来たばかり。違った所が見られるか?
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(ジュネーブの駅でTGVへ乗り込む。)

日本の新幹線のスピードを更新し、別システムで超高速運転を始めたフランス国鉄を代表する高速列車で、TGVとは、Train a Grande Vitesse(超高速列車)の略称である。
開業当初は、「TGV-PSE」型車両がパリ南東線(パリ~リヨン)を270km/hで運転し、これは当時の世界最高速度だった。
現在はフランス全域に多数の路線を擁し多数の在来線にも乗り入れ(左図はTGV乗り入れの在来線も含んだ代表的な営業区間)、1993年に登場した「TGV-R」型車両などは300km/hで運転されている。


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(パリのリヨン駅へ到着。乗り心地はナカナカのものでした。)

到着後早速パリの観光へ。

初めは、ノートルダム寺院。
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(外壁を飾るモンスターの彫刻の雨どいだとか。)
次はルーブル美術館。
本来はフランス王宮だったが、その後1793年にフランス共和国によって美術館となる。
モナリザ、ミロのヴィーナスが有名。

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ホテルはエッフェル塔の近くだったので、夜エッフェル塔を見物に行く。
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(夜のエッフェル塔をバックにパチリ。)
エレベーターで展望台に昇ることにする。
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8月8日

今日はベルサイユ宮殿とバトウムッシュ(遊覧船でのディナー)がメイン。

「ヴェルサイユ宮殿」はパリ南西の郊外にある、イル・ド・フランス地方のイヴリーヌ県に、「太陽王」と言われたルイ14世が、先祖代々からの狩猟場に造らせたバロック様式の宮殿です。
1661年に着工しまして、ほぼ現在の形に出来上がるまでに約半世紀の時間が費やされました。
その間に毎日2万人の人夫と6千頭の馬が動員され、多くの資金が導入されたといいます。
この宮殿の建設工事はフランス史上においても大工事のひとつと言われております。
その後ルイ16世と妃のマリー・アントワネットもここに住み、内装などの改修を施しました。
又ナポレオン1世も一時期ここに住んでおりました。1919年に第一次世界大戦を終結させた。「ヴェルサイユ条約」は、この宮殿にある「鏡の間」で締結された事で有名です。

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(ルイ14世の像)
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(正門をバックにパチリ。)

鏡の廊下の天井とシャンデリア
長さ73m、幅10.5m、高さ13mの豪華な宴会場の「鏡の間」ですが、ガイドブックによっては、
ここは「部屋」として見ておらずに「回廊」としている物も有ります。
実際にここは部屋というよりも幅の広い廊下という感じです。
窓の反対側にある壁には578枚の鏡がはめ込まれております。


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(宮殿の南側)

夕食は、おしゃれをしてセーヌ川に浮かぶバトームッシュでディナーを楽しむ。
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(セーヌ川にも自由の女神が立っていた。NYと比べ物にならないくらい小さな像でしたが。)
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(OLAFは?)

8月9日

今日は、6番目の訪問国オーストリアのウイーンへ。

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この町の歴史は、神聖ローマ帝国、オーストリア・ハンガリー帝国の支配者となったハプスブルク家と重なり合う。
ハプスブルク家が絶大な権力を握った時代、「音楽の都」とも呼ばれたウィーンでは、モーツァールト、ハイドン、ベートーヴェンらが活躍した。
しかし、ウィーンが真に芸術の都たる底力を見せつけたのは、19世紀の末である。ハプスブルク家の時代は遠くに去り、政治的にも混乱していたこの時期に、退廃的ともいえる世紀末芸術が華開く。
絵画ではクリムトやシーレ、音楽ではシェーンベルクらがいる。そして、現在目にできる名建築の大部分もまた、この時代に造られたものだ。


到着後ベルベデーレ宮殿観光。
オスマントルコ軍との戦いでウィーンを救った英雄オイゲン公の夏の離宮だった美しいバロック建築の建物。
住まいがあった下宮と迎賓館として使われた上宮から成る。
見事なシンメトリーの美観を見せるこの宮殿は上宮と下宮からなり、間に色鮮やかな花が咲き誇る美しい庭園が広がる。
上宮は現在19・20世紀オーストリア絵画館になっていて、グスタフ・クリムトの代表作「接吻」やエゴン・シーレの「家族」をはじめとする分離派の作家たちのコレクションが充実している。
下宮の中世・バロック博物館ではメンテナンスの肖像画やロットマイヤーのフレスコ画など、バロック美術が開花したウィーンならではのコレクションが見られる。

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次はシェーンブルン宮殿
マティアス帝(在位1612年 - 1619年)が狩猟時にシェーン(美しい)ブルン(泉)を発見した為にシェーンブルンと命名したと伝えられている。
ハプスブルク王朝の歴代君主が主に離宮として使用した。
現在同宮殿と庭園群は世界遺産に登録されている。
ハプスブルク王朝の歴代君主が夏の離宮として使用してきた、ヨーロッパ有数のバロック建築による宮殿。
宮殿には1,441室もの部屋があり、両翼の長さは180m。
庭園群は東西約1.2km、南北約1kmと広大な規模を誇り、1779年頃から公開されている。

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派手さの無い、どんよりした国。あまり好きになれなかった。

次の訪問国はイタリア。明るい雰囲気が楽しめるであろう。(次ブログへ続く。)