OLAF in 五月大歌舞伎・新橋演舞場

久し振りに、新橋演舞場の歌舞伎を見に行く。しかも千秋楽。演舞場には、確か2003年のスーパー歌舞伎、市川右近さんの『三国志』を見にきてからの事。あいにくの雨だったけど、なんのその。いそいそ出かけた。

夜の部で四時開始。少し前に到着。
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お弁当を買いにいけなかったので、入り口のお弁当屋さんで買う。(ちょっと高め?)
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中に入って早速パンフレット購入。ナンダ~~~。歌舞伎座より大きい。大きさぐらい揃えてヨ~~。保管しにくいヨ~~~。
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席は、花道のすぐ横。OLAF大満足。花道を引き上げてくる、役者さんの汗までよく見える。化粧の香りまで感じる。表情もこれ以上見える所は無し。
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出し物は、二つ。大喜利も入れると実質三つ。

一つ目は、
妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん) 三笠山御殿の場
大和国三輪の里の酒屋の一人娘お三輪は、近くに住んでいる求女に思いを寄せつつ、着物の裾に苧環の白糸をとめつけて、その糸を頼りに三笠山にある御殿に辿り着きます。
そこでは、自ら帝と称する悪逆非道な蘇我入鹿が酒宴を催していました。
お三輪は意地悪な官女達に散々いじめられた挙句、求女が入鹿の妹橘姫と祝言を上げたと知り逆上し、奥へ踏み込もうとしますが、そこへ現れた漁師姿の男に突然刺されてしまいます。
その男の正体は藤原鎌足の家臣金輪五郎で、嫉妬心が凝結した「擬着の相」のあるお三輪の生血が入鹿を滅ぼすために役立つと伝えます。それを聞いたお三輪は、恋い慕う求女の役に立てたことに満足し、未来で添い遂げることに望みを託し、息絶えるのでした。格調高い時代物狂言にふさわしく、福助のお三輪、吉右衛門の鱶七をはじめ、染五郎の求女、高麗蔵の橘姫、歌六の豆腐買と、豪華な配役の舞台にご期待下さい。
極めて歌舞伎らしい出し物。『じつわ・・・・』と言う後に続くのは奇想天外、驚き!漁師鱶七は、藤原鎌足の家臣・金輪五郎今国で、五郎は子に恵まれない蘇我蝦夷が白い牝鹿の生血を妻に与え、その結果生まれたのが入鹿であると語り、入鹿の心を溶かすには・・・・と言う事だそうです???歌舞伎、歌舞伎していて好きです。庶民文化なんでしょうネ。
(歌舞伎HPより転載)

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この後の幕間が食事時間です。やはり、30分だけ。何時も思うんですが、もっとゆっくり食事時間を作ってくれないかな~~~。急いで、飲んで、急いで食べる。勘弁してよ~~~。食事も文化です。楽しみです。飲みながら食べる。きっと江戸時代の庶民は、そんな楽しみをして楽しんでたんでは無いでしょうか~~~???ヨーロッパの夜の文化的生活は、ゆっくり食事する時間は当たり前!考えてヨ!!!

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休み時間。OLAFそんな所にいたら叱られますよ。

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新橋演舞場でも小倉アイスが有りました。
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OLAFそろそろ席に付きなさい。
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二つ目は隅田川続俤(すみだがわごにちのおもかげ)  法界坊 
 浄瑠璃 双面水照月
願人坊主の法界坊は、大阪屋源右衛門の娘おくみに恋慕していますが、おくみは手代要助と恋仲で、法界坊などまるで眼中にありません。
要助は、実は御家再興を目指す吉田家の若殿・松若丸で、野分姫という許嫁がいる身でした。法界坊は、その要助を陥れようと、あの手この手と策をめぐらしますが、吉田家の下僕で、今は道具屋に姿を変えている甚三に見抜かれ、あえなく失敗してしまいます。
怒りが収まらない法界坊は、おくみの誘拐を企てるものの、これまた失敗。そして、かどわかそうとした野分姫に拒否されるや斬り殺す始末。
しかし、そんな法界坊も甚三の手によりついに絶命しますが、今度は現世に恨みの残る野分姫と合体霊となり、松若とおくみの前に現れます。悪党なのに、どこか憎めない、人間的魅力あふれる破戒僧の法界坊吉右衛門が十年ぶりに演じます。歌六の源右衛門、芝雀のおくみ、歌昇の五百平、福助の渡し守おしづ、錦之助の要助に、法界坊をやりこめる甚三を富十郎が演じる充実の配役です。(歌舞伎HPより転載)

先月歌舞伎座で襲名披露をした錦之助さんが、良い役をこなしてました。

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途中で『花やしき』と言った台詞が沢山出てきました。現代では『花やしき』と言えば浅草の遊園地。江戸時代の隅田川を舞台にした物語では、何を指しているんだろう?
ネットで調べると、こんな事のようです。(勉強になりました。)

上野輪王寺の宮家に仕える造園師森田六三郎が宮家より浅草の地に1800坪の土地を賜った。六三郎はここに四季折々の花を植え、支那から取り寄せた珍しい鳥なども飼った。いつか江戸の人々は、ここを「花やしき」と呼ぶようになった。明治19年に、創始者森田六三郎から経営権が山本松之助に移った。松之助は明治21年五層の楼閣建築をこの地に建てた「奥山閣」と呼んだ。その後、経営権は大滝勝三郎の手に渡り、園内に像やライオンなどの猛獣を飼い、ますます世人の人気が高まった。しかし、大正12年の関東大震災によって、猛獣たちはほとんど死滅し、園の経営も壊滅状態になり、「食堂遊園地浅草楽天地」となり他人の手に渡った。
昭和16年に松竹の大谷竹次郎に委ねられることになり「合資会社浅草花屋敷」として再建された。しかし、太平洋戦争でまたまた被害を受け、昭和22年松竹と東洋娯楽機械の経堂経営で再び開園された。この時、いままで有料であった入園料を無料にした。
昭和24年、「浅草楽天地」を「浅草花やしき」に名称変更し、東洋娯楽機械に経営の全てを委託することになった。東洋娯楽機械の創業者、山田貞一は、現在
の高い初恵園長の父親である。(歌舞伎HPより転載)

さらに大喜利の舞踊『双面』では、染五郎が法界坊と野分姫の霊を演じるなど随所に趣向をこらした必見の舞台です。
福助さんの踊りは、美しい姿に惚れ惚れ。染五郎さんも良い味出してました。
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今回の五月大歌舞伎は吉右衛門さんの一人舞台と言った感じがします。TVで見る鬼平の渋い姿と、妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)の鱶七の凄みの有る姿と、願人坊主の法界坊の軽妙洒脱の姿はさすが一流の役者と感心させられました。
幽霊になって出てくる宙吊りの舞台は圧巻でした。

千秋楽の最後は、女将さん達の艶やかな姿も見所です。楽しい一時でした。