OLAFの飛騨の里ライトアップ&雪見ローカル列車・白川郷・高山ツアー②(’17年1月6~7日)

(前ブログからの続き)

6日の観光行動の流れ。
現在は④にいる。
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であい橋を渡り世界遺産の世界に入ると最初に「明善寺」が有る。
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延享(えんきょう)5年(1748)創立 浄土真宗。
本堂・鐘楼門・庫裡(くり)ともに 茅葺き 全国的にも珍しい。
江戸時代末(1817年頃)に、高山の大工副棟梁与四郎によって建てられた。

明善寺鐘楼門
屋根は茅葺きですが、1階に板庇(ひさし)をつけた珍しい建築物。亨和2年(1801)加藤定七により、延べ人数1425人を要して建てたと伝えられている。
梵鐘(ぼんしょう)は第二次大戦中に供出されたため、現在のものは戦後に鋳金工芸作家の中村義一氏(高岡市)によって作られたものだ。
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明善寺本堂
文化3年(1806)より欅材の伐採に着手し、20年近い歳月を経た文政10年(1827)に高山の大工水間宇助により、延べ9191人を要して建築されたといわれている。
現在は工事中?
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周囲には大小様々な合掌造りが沢山建ている。
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◎長瀬家
5層建ての合掌造り家屋。平成13年に80年ぶりに行われた屋根の葺き替えの模様がTVで放映され、話題になった。
長瀬家は250年つづく旧家で、初代から三代目までが医者でした。そのため、江戸期の医療道具が残されています。
5層建ての合掌造り家屋で、約11メートルの一本柱(合掌柱)が屋根の勾配の上から下までを貫き、大きな屋根を形作っています。
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家の周りの掘割には魚が泳いでいた。
綺麗な水だ。
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◎神田家に入って見ることにした。
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神田家は和田家(現国重文)の次男である。
和田佐治衛門が分家し、この地に居を構えたのが始まりです。
この地には産土八幡宮の「神田(しんでん)」があったことから、苗字を神田と改め、神田吉右衛門を襲名しました。
当合掌造りは江戸後期に石川県の宮大工により十年の歳月をかけて建造されたと云われています。
それまでの合掌造りの構造を受け継ぎながらも、新しい技術を取り入れ改良し、完成度の高いつくりと評されています。
入口。
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受け付けは一階に有りました。
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一階は「おえ」と呼ばれる1階大広間は、昔、居間や客間、農作業の場所として使われていました。
囲炉裏があり、暖をとったり煮炊きをしたりと家族団欒をする生活の中心の場でした。
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神田家自慢の囲炉裏(いろり)です。
年中、火が絶えることはありません。
後ろにブル下がっているのは、おばあちゃん(4代目妻)がお嫁入りの着物を暖簾にした「花嫁暖簾」。
今では神田家の名物です。
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中二階です。
急な階段です。
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中二階は独身の男兄弟や使用人の寝起きをする場所でした。
火の安全を確かめる為の火見窓があり、中から囲炉裏の様子が見られます。
合掌造りは非常に火に弱く、火の扱いには特に注意をしてました。
この「火見窓」と呼ばれる小窓から囲炉裏の様子を確認することによって、
火事になるのを防ぎました。
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二階は主に養蚕の作業場でした。
現在は昔使われていた民具等を展示しています。
一階の囲炉裏から昇る煙に燻されます。
茅葺屋根は、茅葺きは「わらぶき」とも呼ばれ稲藁、麦藁を用いるところもある。
茅葺屋根の建造物内には、居間に囲炉裏が作られており、火をたいて暖を取り、又は煮炊きをしている。
この囲炉裏で燃やす薪が燃える際には、木材煙が発生する。
この煙は茅等の表面 を樹脂膜状にコーティングして、外部からの雑菌などが進入するのを防止したり雑菌を殺す働きの他、油脂の酸化防止などの効果 がある。
いわゆる囲炉裏効果 による耐用年数をたかめた。
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酒造りに必要な道具が置かれていました。
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窓から明りが入ってきます。
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三階も二階と同じように養蚕作業が行われていた場所でした。
今は養蚕道具、機織機等を展示しております。
上階に行けば良く程、徐々にに幅が狭くなってきます。
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四階は主に物置きとして使われていました。
此処まできちんと煙が上がって来てます。
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一年中囲炉裏が焚かれていました。
自家製の野草茶を無料でいただいた。(囲炉裏の鉄瓶で沸かした湯を使用)。
お茶を頂いて表に出ました。

◎国重文 和田家
築後約300年が経過した今も生活が営まれ続けている、白川郷の代表的茅葺き合掌造り住宅です。
間口14間、奥行き7間の建坪は、白川村に残された合掌造りの家屋としては最も規模が大きい。しかも、庭や生垣、周囲の田畑や水路などの周辺環境の保存状態も良いことで知られ、代表的な合掌家屋として御母衣(みぼろ)の旧遠山家と並び称される風格と美しさを誇っています。
主屋に加え、土蔵や便所を含めて文化財に指定されており、現在、1階の一部と2階が公開され、和田家代々で使用された遺物や民具が展示されています。
和田家は、古文書や鑑札などの遺物の記録から番所の役人を勤めながら、煙硝(火薬)や生糸の取り扱いを行っていたことがわかっています。
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お土産屋さんもありました。
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マンホールの蓋も特色が有って面白かった。
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ほんとはこんなポスターの様な景色が見たかった。
でも、雪は無かった。
歩き易くて正解・・・・
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これから、ライトアップを見に行きます。
(次ブログへ続く)