OLAFのスパリゾートハワイアン旅行①(’16年12月5日~6日 スパリゾートハワイアン)

寒い日が続き体が硬くなっている。
暖かい温泉で体を思い切り伸ばしてゆっくりしたくなった。
ネットで温泉を探していたらスパリゾートハワイアンズがヒットした。
昔、「常磐ハワイアンセンター」と言った頃行った事が有る。
此処だったらのんびり出来そうだしその後どうなっているか見てくるのも面白そうだ。
しかも、無料送迎バスも走っていて往復も楽そうだ。
早速手配して行ってみることにした。


わりと暖かい日だった。
東京駅発北千住経由のバス送迎場所に行く。
手配した時には割と混んでそうな様子だった。
月曜日にも拘らず若いカップルや小さな子供を連れた家族、女性の友達同士、老夫婦等バライティに富んでいた。
此処で満員状態だ。
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10時15分、予定通り出発。
常磐自動車道を途中トイレストップ2回でいわき湯本出口よりホテルへ。
1時半、ホテル着。
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受付でチェックイン。
子供が喜びそうなアーチと雪だるま。
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ホテルロビーにはお土産売店が有り出発時は大混雑しそうな雰囲気だ。
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部屋に入りアロハに着替えて館内散策。
昔来た時とは大きく違っているはずだが昔の覚えは無い。
和室に泊まったと思ったが・・・・
ウォーターパーク(大プール)へ行ってみる。
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途中、南1号館アロハ横丁のラーメン屋「来々軒」や居酒屋『八兵衛』がある。
まだ、人はろくにいない。
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お土産屋さんを通り抜けプールサイドへ出てくる。
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ハワイの雰囲気を醸し出しているプールサイド。
暖かい。
アロハで十分だ。
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カメハメハの像まで作られている。
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大きなステージと観覧席が目に飛び込んで来る。
此処で、ショーが行われるのだ。
まだ、誰もいない。
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プールも大きい。
泳いでいる人は少ない。
やはりシーズンオフなのだ。
でも、大きなウオータースライダーには滑っている人達がいた。
子供は大喜びなのだろう。
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ステージの裏にも大きなスライダー。
人気が有る様だ。
滑っている人が多い。
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プールが若い人、子連れの家族向けだとすると老人向けの大露天風呂はどんなものか覗きに行った。
江戸情話「与市」。
風呂が庶民の文化だった江戸時代の湯屋(銭湯)の風情と、温泉の原点である露天風呂がたっぷり堪能できる、新しいテーマパークだそうでう。
江戸時代にタイムスリップしたかのような湯屋を進むと、目に飛び込んでくるのは浴槽面積男女合わせて1000m2、世界最大の露天風呂だそうです。
洗い場はありませんでした。
入口はやはりお土産屋さんの奥に有りました。
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プールの周囲を歩いていると「フラ・ミュージアム」があった。

以前宿泊したのは、1992年(平成4年)or1993(平成5年)年頃だった。
当時OLAFはある異業種交流会に参加していた。
この異業種交流会で海外は旧ソ連、インドネシア等に旅行したり、国内も色々な企業に勉強に行かせてもらったりした。
(海外旅行のブログ)
インドネシア旅行
http://olaf-mama.at.webry.info/200710/article_2.html
http://olaf-mama.at.webry.info/200710/article_3.html
ソ連旅行
http://olaf-mama.at.webry.info/200711/article_1.html
http://olaf-mama.at.webry.info/200711/article_2.html
http://olaf-mama.at.webry.info/200711/article_3.html
その時に「レジャーサービス業のTQCへの挑戦―常磐ハワイアンセンターの実践の記録」と言う単行本を読んで是非行ってみようと言う事で宿泊に来た。
サービス産業で小集団活動をしていると言う珍しい企業であった。
この本は山野辺 京子〔YAMANOBEKYOKO〕さんと言う人が書いたものだった。
この方の経歴は
1956年 福島県立磐城女子高等学校卒業
1956年 常磐炭礦株式会社入社〔現:常磐興産株式会社〕
1964年 常磐ハワイアンセンター入社〔現:スバリゾートハワイアンズ〕以来ホテルルーム主任・人事課厚生係,教育係
TQC推進室課長・品質保証課課長 を担当
1997年 常磐興産株式会社嘱託
と言う小集団活動に全力を傾けてきた人だ。

”人の運命は、人とのめぐり合いで大いに左右される。
もし、時あたかも東京オリンピックの真最中に,石炭産業からサービス産業への一大転換期のメンバー構成を炭鉱出身という全くズブの素人集団を結成し,現在のスパリゾートハワイアンズをスタートさせた創設者がいなかったら、私も女子野球の主将からホテルルーム主任へと型破りな転職を命ぜらることもなかった。
もし、サービス業にTQMを導入した社長がいなかったら、私もQCサークルにめぐり合うこともなかったかも知れない。
好きな野球がハワイアンズヘつながり、サービス業やTQMの世界を知り、デミング賞や今回の受賞にっながった。
奇しき縁である。”と言った言葉を残していた。



当時は「常磐ハワイアンセンター」から「スパリゾートハワイ」へ名前が変わったばかりの時だった。
1989年に常磐炭鉱が閉山された。
明治からの日本の近代化を推進してきた石炭産業が終焉を迎えていたころであった。
その時にあふれ出ていた温泉を利用してハワイアンセンターに転身した。
それから、最近の東日本大震災を乗り越えて現在のスパリゾートハワイアンの大成功につながっている。
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「オラの娘の裸など見せられるか!」と言った怒声が聞こえそうだ。
此処から始まった。
そして、小集団活動も始まった。
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ステージも変わってきた。
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この頃に宿泊に来ていたのだ。
8時になると宴会を終えショーを見に行く。
宴会がその時間にみんな終了するのでその頃から後片付けが始められる。
夜遅くまで後片付けする必要がない。
提案活動から生まれたアイデアだと当時聞いた。
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フラレディーも変わってきた。
歴代のソロダンサーが紹介されていた。
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昔の炭鉱から大きくサービス産業へ転身した歴史とそれを支えた人達。
TQC活動でそれを後押しした歴史を思い出し感無量であった。

(次ブログへ続く)