OLAFの諏訪大社「御柱祭」ツアー①(’16年4月3日 上田城跡公園、象山地下壕、あんずの里)

OLAFは「7年に一度の諏訪大社「御柱祭」松代大本営跡と信州上田真田丸大河ドラマ館2日間」のツアーをネットで見つけ、早速行ってみることにした。
これを外すとあと7年後はどうなっているか・・・
”動けなくなっている”かも知れないし”ツアー参加は無理かもしれない”と言う思いがよぎる。
そんな年になったのだ!
一泊二日のツアーだが、一日目のスケジュールは以下の予定となっている。
東京駅(9:56発) → (北陸新幹線) → 上野駅(10:02発) → 大宮駅(10:22発)
→ 上田駅 → (バス) → ○上田城跡公園(真田氏の居城・上田城を核とした公園)【約60分】  ◎信州上田真田丸大河ドラマ館(今話題のドラマの世界に浸る)【約40分】 →(バス)
→ ○あんずの里(「一目十万本」ピンクのじゅうたん)【約60分】 → (バス)
→ ○松代大本営象山地下壕(太平洋戦に備えて首都機能を移すために作られた)【約40分】 → (バス) →  白馬アルプスホテル(泊) 17:50着 [露天風呂有]


OLAFは上野から途中乗車。
さほど早い時間では無かった。

今回のメインは2日目の「御柱祭」。
”御柱祭とは諏訪大社では、七年に一度の寅と申の年に宝殿を造営し、社殿の四隅にある「御柱」と呼ばれる樹齢200年程のモミの巨木を建て替える祭りを行います。
この祭りを「式年造営御大祭」、通称「御柱祭」と呼び、諏訪地方6市町村、約21万人がこぞって参加する諏訪大社最大の神事です。”
良くTVのニュースなどで見る勇壮なお祭りだ。

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一日目は上田を中心とした観光だ。
上田駅を降りるとバスが待っていた。
添乗員の挨拶からバスはスタート。
若い男性の添乗員だ。
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少し走ると最初の観光「上田城跡公園」に到着。
早速観光開始。
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上田城は真田昌幸によって築かれた城で、城郭自体の規模はさほど大きくはないが、南方は千曲川の分流である尼ケ淵(あまがふち)に面した断崖に臨み、他の三方は城下町と河川を巧みに配して、周囲一帯を極めて堅固な防御陣地としている。
二度にわたって徳川軍を撃退した「上田合戦」が行われたことで有名な城です。
「関ケ原の戦い」で真田昌幸、信繁が属した西軍が負けたため、上田城は徳川家康によって徹底的に破却され堀も埋められましたが、上田藩主として入城した仙石氏によって再建されました。
櫓(やぐら)や石垣が当時の遺構として残っています。現在は旧二の丸内が上田城跡公園として整備されており、櫓門や塀などが木造復元されています。

駐車場から「二の丸橋」を渡り園内に入るために歩きます。
桜が咲き始めています。
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「二の丸橋」です。
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信州上田真田丸大河ドラマ館はNHK大河ドラマ『真田丸』放送にあわせて、ドラマで使用された衣装など『真田丸』についてのさまざまな資料を展示した施設です。
武者溜まり跡に建てられていた上田市民会館を改装してオープンしており、約1年間の期間限定となっています。
OLAFは大河ドラマは見た事が無いので、あまり興味が有りません。

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大河ドラマ館。
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入口。
かなり混雑してました。
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館内はほとんど撮影禁止ですが、唯一このドラマで堺雅人さん演じる真田信繁が「大坂の陣」で着用した甲冑のレプリカは撮影可能です。
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本丸堀の桜。
本丸堀の水面に映るしだれ桜のすばらしさが、上田城跡公園の春の魅力でした。
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本丸東虎口。
本丸東虎口には復元された櫓門と、移築された南櫓・北櫓があります。
本丸東虎口の2棟(南櫓・北櫓)は、明治初期に民間へ払い下げられ、市内に移築されていたものを市民の寄付により買い戻し、昭和18~24年にかけて現在の場所に復元したものである。
これら三棟の櫓は、江戸時代初期の貴重な城郭建造物として、昭和34年に長野県宝に指定された。
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北櫓は明治維新後に民間に払い下げとなっていたものを1949(昭和24年)に移築復元されました。
移築前は上田遊郭にあった金秋楼(きんしゅうろう)と万豊楼(まんぽうろう)という遊女屋(貸座敷)として使われていたそうです。
なお、もともとこれらの櫓2基がこの場所にあった北櫓と南櫓だったかは定かではなく、民間に払い下げられた西櫓以外の6基の櫓のうちの2つであるということだけがわかっています。
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本丸東虎口の復元櫓門横の石垣に真田石と呼ばれる直径3mの巨石があります。
真田昌幸が上田城築城の際に太郎山から掘り出したこの大石を「真田石」と名付け、のちに上田領を引き継いだ嫡男・信之が松代へ移封となった際にこの石を家宝として持っていこうとしたが微動だにしなかったという伝承が残っています。
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眞田神社。
ネットによると”古代よりこの地には、天地四方を祭る「六所明神」が鎮座せられ、国のまほろばとして尊ばれておりました。
天正の時代に至り、戦国の雄 眞田幸公は、この霊地を当地方の礎となすべく、築城の適地として定め、天下の名城「上田城」を築かれました。
その後、上田合戦、関ヶ原籠城と二度にわたって大軍を相手に眞田の智恵を示しました事は、今も歴史に燦然と輝いております。
以来、城の主は仙石氏、松平氏と替わり、やがて明治維新を迎えますが、城の建物も土地も明治政府の方針により、ことごとく売却されることになりました。
この時にあたって敢然と立ち上がった人々がおりました。由緒ある名城、当地方の誇りでもある上田城が、まったくその姿を消すことを惜しむ郷土を愛する人々。
その志に感じて一度買い取った本丸の土地を寄付した篤志家。先人たちの努力により、本丸に代々の藩主を祭る神社が建立され、それによって城跡も今日見る姿に残ったのであります。
現代まで続く当地の繁栄は、眞田昌幸公の築城に始まり、その近代化は、上田のシンボルであります上田城本丸に、この神社を祭る事から始まったと申せましょう。”
との事。
入口。
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神社境内。
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眞田井戸。
城内唯一の大井戸でもあった。この井戸からは抜け穴があって、白の北方、太郎山麓や藩主居館跡にも通じていたとの伝説もある。
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本丸西櫓。
西櫓は尼ヶ淵の河岸段丘上に築かれた本丸隅櫓で、上田城唯一の現存遺構です。
なお、西櫓という名前は戦後につけられたもので、江戸時代には「西川手櫓」と呼ばれていました。
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振り返った風景。
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巨大な朱色の兜(眞田赤備え兜)が飾られていた。
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そろそろ駐車場へ戻ろう。
櫓と桜。
美しい。
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OLAFママのおやつ。
味噌おにぎりをパクつく。
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甲冑姿のパフォーマーが歩き回っていた。
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駐車場へ戻って来た。
そこから見えた南櫓。
石垣は、上田城の南面を護る天然の要害「尼ヶ淵」より切り立つ断崖に築かれています。
中段石垣は、長雨により一部崩落したことから修復工事を実施しました。
中央部の崖面露出部分は、崖が張り出しており石垣が無かった部分であることから、原形に基づきモルタルで修復しました。
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本丸西櫓。
西櫓は尼ヶ淵の河岸段丘上に築かれた本丸隅櫓で、上田城唯一の現存遺構です。
なお、西櫓という名前は戦後につけられたもので、江戸時代には「西川手櫓」と呼ばれていました。
規模は東虎口に再移築された北櫓・南櫓とまったく同じで、1階は桁行9.85m、梁間7.88m、2階は桁行8.64m、梁間6.67mとなっています。
建物全体と通した心柱はなく、2階は1階より二尺(60.6cm)ずつ内側に入れた梁の上の土台に柱を立てており、箱の上にひとまわり小さな箱を重ねた構造になっています。
西櫓の中心の丸柱には、仙石氏の「仙」という字の刻印がいくつも押されています。
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次は松代大本営象山地下壕へ行く。
(次ブログへ続く)