OLAFの四国旅行③(’15年11月19日~21日 最終日 足摺灯台、四万十川遊覧)

(前ブログからの続き)
今日は早くも最終日。
天気は良い様だ。
今日のスケジュールは以下の通り。
○足摺岬(四国最南端の断崖岬/約40分)==○ジョン万次郎像(約10分)==
▲四万十川遊覧船(約60分)==〇八日市護国重要伝統的建造物群保存地区散策
==宇和島真珠会館(真珠物産店)==松山空港==羽田空港(19:15)
さあ楽しみましょう!

朝食。
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足摺岬。
足摺宇和海国立公園に指定されている足摺岬は、四国最南端の岬。
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展望台へと続く入り口広場には、坂本龍馬をはじめ、多くの幕末の志士に影響を与えた郷土の偉人・ジョン万次郎の銅像がありました。
150余年前、日本人として初めてアメリカに渡り、測量や航海術などを学んだ後、鎖国時代の日本に帰国し、日本の夜明けや国際交流に多大な功績を遺したジョン万次郎という人物が、にわかに注目を浴びるようになりました。
民主主義や外国での生活・考え方など、坂本龍馬の開眼も万次郎の体験によることは明らかで、ほかにも板垣退助、中江兆民、岩崎弥太郎などに多大な影響を与え、後に中浜万次郎と名乗った彼は、 1827年、現在の土佐清水市中浜に漁師の子として生まれました。
その数奇な運命と独自の才覚によって、近代日本の夜明けともいえる時代に日米の架け橋となる幾多の業績を残しました。
14才の時、出漁中に漂流し、アメリカの捕鯨船に救助され、やがて船長にその才能を認められた万次郎は、船長の故郷マサチューセッツ州フェアヘーブンで英語、数学、測量、航海術、造船技術などを学びます。
やがて日本に帰国し、それらの貴重な知識や技術、体験は幕末から明治にかけての日本の夜明けに、日米の友好をはじめとする国際交流の礎に多大の影響を与えています。
現在、日本と最も友好関係にある国といえるアメリカ合衆国。
その国の歴史に、おそらく日本人として一番最初に名を留めた人物、ジョン万次郎です。
手には航海や測量には欠かせない三角定規とコンパスを持っています。
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展望台に登りました。
展望台からの視界は270度!!行き交う巨大な船や、彼方にのぞむ水平線がアーチ状に見え、地球が丸いことを実感!
足摺岬灯台もあります。
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四国最南端の第38番札所 金剛福寺が有ります。
第37番札所 岩本寺から約90km。
第39番札所 延光寺まで約60km。
ここまで歩いてきて、ここから歩いて行くのは大変だナ。
弘仁13年(822年)、嵯峨天皇の勅願によって、弘法大師が三面千手観音を本尊として弘仁14年(823年)にできたものです。
歴代天皇の勅願所で皇室や藩主の尊崇あつく、境内には多宝塔、十三石塔、逆修の塔など多くの文化財が伝えられています。
山門。
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三門を潜ると大きな「亀石」が。
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右側には御朱印場所が。
お遍路さんが頂いていた。
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本堂にもお遍路さんが。
般若心経を唱えていた。
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御堂の屋根には鬼瓦が。
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嵯峨天皇より「補陀落東門」の勅願を賜わった弘法大師は、弘仁十三.年(八二三) 足摺岬に来錫し、三面千手観世音菩薩を刻み、それを本尊として寺を開創され日輪山・金剛福寺と号し四国第三十八番札所に定められた。その月輪山の山号を現在のものに改めたのは金峰上人が住職をしていたときのことである。
その頃、岬周辺で暴れ狂っていた天魔を上人が法力をもって蹉柁して退かせたことにちなんで現在の蹉蛇山と改号した。当山は嵯峨天皇以来、代々の天皇の勅願所となり、室町時代には京都の尊海法親王が下向されて住職をしていたこともある。
また、武将たち、とりわけ源家一門との縁が深く、多堂塔をはじめ諸堂の建立を受けている。ちなみに、境内の広さは三万六千坪、それは岬一円を覆っていて、突端周辺と寺内には大師七不思議の遺跡もある。
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三鈷杵。
空海(弘法大師)が唐へ留学し密教を学んだ後、日本へ帰国する際に明州(現在の寧波)の港から三鈷という密教法具を投げ、それが落ちたところに後の高野山金剛峰寺を建てたそうです。
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大師堂。
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途中のベンチで根性松が生えていました。
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池を巡ってきました。
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四万十川へ向かいます。
途中に大阪の海遊館の施設で飼われているジンベイザメの飼育施設が有るそうです。
高知県土佐清水市以布利(いぶり)、センターです。
目の前に広がる太平洋には、ジンベエザメをはじめとする大型回遊魚をはじめ、黒潮とともに多くの生き物たちがやってきます。
ここで、海遊館で展示する生き物の収集と飼育、周辺海域の調査研究をおこなっています。また地元の漁業関係の方々と協力し、展示に必要な生き物を捕獲し、センターの水槽や港内のイケスで飼育して、餌付けや健康状態のチェックを行います。
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いよいよ日本最後の清流と言われる四万十川クルーズです。
不入山(1,336メートル)の東斜面に源を発し、主な支流35、支流総数319、四国西南地域を大きく蛇行しながら、落差のない流れとなって、四万十市下田で太平洋に注ぐ清流です。
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四万十市にある中村城が見えました。
応仁の乱を避けた一条教房が、荘園(幡多荘)であった中村に下向しそのまま戦国大名として土着し、元々この地にいた豪族の為松氏が家老として取り立てられ、その為松氏により築城されたのが始まりと考えられている。
代替わりして一条兼定の時、兼定は素行が悪く家臣により豊後へ追放され、その後一条家は長宗我部元親に攻められ滅亡する。
関ヶ原の戦い後、戦功により山内一豊に土佐一国が与えられ、山内一豊の弟康豊が入るが元和の一国一城令に伴い廃城となった。
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四万十川クルーズです。
「なっとく」と言う遊覧船の船着き場に着きました。
傍には今成橋(通称/佐田沈下橋)が有ります。
四万十川最下流で最長の沈下橋。
もっとも観光客になじみのある沈下橋です。
(前回来た時の遊覧船から綺麗な船に変わっていました。)
http://olaf-mama.at.webry.info/200909/article_5.html

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佐田沈下橋の下を通ります。
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紅タデの花が咲いていました。
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ゆったりしたクルーズです。
川底が綺麗に見えて、最後の清流と言われるゆえんでした。
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後は松山空港へ行く途中に「江戸や明治の面影を残す町家や屋敷が建ち並ぶ八日市・護国地区」を散策します。
(次ブログへ続く)