OLAFの四国旅行①(’15年11月19日~21日 一日目 羽田から室戸岬へ) 

OLAFは四国高知県を中心にしたツアーに参加した。
四国は16年前に周遊ツアーに参加したことが有った。
http://olaf-mama.at.webry.info/200909/article_5.html
久し振りの四国ツアー旅行だ。
一日目は
羽田空港(9:40発)==徳島空港(11:00着)==○室戸岬(美しい白亜の灯台が立つ岬)== ○室戸世界ジオパークセンター(パビリオン)==○中岡慎太郎像
==高知市内(17:30~19:30着)
のスケジュールだ。


朝、羽田空港へ8時30分集合。
搭乗。
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定刻通りに徳島阿波おどり空港へ到着。
毎年8月12日から15日までの4日間行われる阿波おどりにちなんで愛称が付いている。
空港の前には阿波踊りのモニュメントが立っていた。
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早速添乗員兼バスガイドの案内で観光開始。
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道の駅「日和佐」でトイレ休憩。
この道の駅は町の中心地に位置するJR牟岐線日和佐駅と国道55号に接して立地しています。
そのため、道路利用者だけでなく、町民等も利用しやすい「道の駅」です。
敷地内に、情報コーナー・物産コーナー・姉妹都市交流コーナーを備えた「物産館」、お遍路さんの足をいやす「足湯館」、 地元の特産物を購入することができる「産直館」を備え、県南部の中核観光ゾーンとして整理されています。
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ここから、阿波 日和佐城が良く見えた。
日和佐湾に突きだした半島の先端にある城山、この山頂に日和佐城が築かれている。
削平地と思われる所に建つ展望台からは、日和佐港、紀伊水道を見ることが出来る。 
現在、観光用の三層模擬天守が建てられている。
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反対側には薬王寺(やくおうじ)の瑜祇塔が見えた。
四国八十八箇所霊場の第二十三番札所。
医王山(いおうざん)、無量寿院(むりょうじゅいん)と号す。
宗派は高野山真言宗、本尊は薬師如来で厄除けの寺として知られる。
本尊真言:おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
ご詠歌:皆人の 病みぬる年の 薬王寺 瑠璃の薬を 与えましませ

瑜祇塔とはネットによると
「昭和39年は弘法大師が四国八十八ヶ所の霊場を開創してからちょうど1150年に当たり、また、翌40年は高野山開創1150年に当たるのでこれを記念して建立されたものである。
瑜祇塔は真言宗所依の経典である。
瑜祇経の教理を形にあらわしたものであり、経文には世の中のものみな二つの相対したものからできているが、これが一つになることによって世界の平和や家庭の幸福の基礎があると説かれている、天と地が和合して万物が豊かとなり、労使が相寄って社会の平和ともなる道理である。」との事だ。
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室戸世界ジオパークセンターへ。
美しい自然とそれを守りながら活かす活動が高く評価され、室戸市全体が、日本で5番目の「世界ジオパーク」に認定されたそうです。
室戸ジオパークは、大地が盛り上がり続ける.場所で人々がどのように賢く暮らして来たかをテーマにしているそうです。
このパビリオンはジオパークについて、来訪者や室戸の観光スポットなどの問い合わせ者にお応えするインフォメーションセンターや室戸ジオパークビジターセンターの機能を集約した施設です。
大型スクリーンを備え、臨場感あふれる体感が可能な「ジオシアターゾーン」をはじめ、グッズ販売や各種体験プログラムの案内も行うインフォメーションカウンターを備えた「ジオガイダンスゾーン」、人と大地をつなぐジオストーリーを紹介した「大地との共生ゾーン」、「大地と歴史文化ゾーン」、「大地のいとなみゾーン」など、室戸世界ジオパークの魅力を伝える展示がいっぱいです。
今年の5月に学校の校舎跡を利用して作られた施設です。
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展示室です。
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若き日の弘法大師空海がこの地を修行地として選び、難行苦行の末、悟りをひらかれたと伝えられている。
その姿が浮かび上がる。
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青年大師像(明星来影寺)
この像は昭和 59 年 11 月大師の徳を慕う信者や一般の方々の寄進によって建立されたもので青年空海の力強い生き方がしっかりと刻み込まれています。
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御厨人窟(みくろど)
今から1200余年前、弘法大師が阿波の大滝獄から来て、難行苦行を重ねて虚空蔵求聞持法を修められ、かの有名な三教指帰びおさとりを開かれたと伝えられ る由緒有る地です。
神明くつ(東のくつ)みくろど(西のくつ)。
みくろどの中にあるお社は五所神社と呼ばれています。
「日本の音風景百選」に選ばれていま す。

法性の 室戸といえど 我が住めば
   有為の浪風 よせぬ日ぞなき
                  (空海)

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中岡慎太郎銅像
太平洋を見つめる龍馬の盟友 ・ 慎太郎
中岡慎太郎は、海援隊(日本の貿易会社)の坂本龍馬とともに明治維新に向けて活動した勤王の志士。
慶応3年(1867年)11月15日、京都河原町の近江屋で龍馬とともに刺客に襲われ、志半ばで生涯を閉じた話は有名です。
この時、慎太郎は30歳でした。のちの昭和10年、生誕地である安芸郡青年団が主体となって室戸展望台のふもとに銅像を建立。
以来、室戸岬の先端に立ち堂々とした姿ではるか太平洋を見つめています。
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室戸岬灯台
レンズの大きさは直径2m60cmで日本一。
銘じ2年4月1日初点灯、当時の工事費約2万円、白色回転10秒かんにせん光、光源、1kwレンズを通 すと190万カルデラ、光達距離約56kmだそうです。
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灌頂ヶ浜(かんじょうがはま)。
中岡慎太郎像からまっすぐ海へ向かうと、灌頂ヶ浜にでます。
ゴツゴツした岩が魅力でした。
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土佐の捕鯨は寛永元(1624)年に安芸郡津呂浦(現室戸市室戸岬町)で始まったとされます。
当時の“捕鯨会社”の名前にも「津呂組」「浮津組」と室戸の地名が付けられていることからも、室戸が本県の捕鯨の中心を担っていたことがうかがえます。
藩政時代も多い年には90頭以上を捕獲。
国内有数の捕鯨基地でした。
捕鯨は土佐藩の直轄事業で、1頭捕れれば解体作業などで周辺の漁村すべてに利益が回り、数千両の経済効果があったようです。
クジラは食べるだけでなく、鯨油は灯火用の燃料に、骨やヒゲは手工芸品の材料にと、捨てるところなくすべてを有効利用していました。
あちこちに鯨のモニュメントが有ります。
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展望台に登ってみました。
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中岡慎太郎銅像と同じ高さで同じ目線で太平洋が眺められます。
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此処にも鯨のモニュメントが有りました。
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吉良川の町並み。
明治中期から昭和初期にかけて、良質な土佐備長炭の積み出し港として栄えた吉良川。
海岸に近い下町には回船問屋や米穀商、炭屋など商家も多く、往時をしのぶレトロな町並みが残っています。
切妻造りで土佐漆喰の白壁や、水切り瓦、「いしぐろ」と呼ばれる石垣など、どれも美しく、土佐の厳しい気候風土に対応した建築様式。
水切り瓦。
台風銀座と呼ばれる土佐独特の強い雨風などから、家屋を守る。
幾重ものひさしが、壁面に直接雨がかかるのを防ぎ、漆喰の白壁を保護しています。
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5時半にホテルへ到着。
良く走りました。
夕食は6時半。
その前にはりまや橋を見に行ってくることにした。
路面電車で行く。
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停留所。
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江戸時代に、高知の豪商である播磨屋と櫃屋(ひつや)は、互いに本店が堀で隔てられていた。
この両者の往来の為に架けられた私設の橋が、「播磨屋橋」(はりまや橋)の名称の由来である。
城下町・高知の中心部に位置しているので、橋の付近には、江戸時代初期に、遠江国掛川(現・静岡県掛川市)から移住した山内家の家臣たちの住居が集まっていた。
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旧はりまや橋?
親水公園に有りました。
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夕食です。
皿鉢料理。
カツオのたたきもありました。
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ゆっくり食べて飲んで明日に備えます。
(次ブログへ続く。)