OLAFの九州世界遺産登録地 6つの構成資産巡り③(’15年9月8日~10日)

(前ブログからの続き)
これから長崎港からこのツアー最大のイベント『軍艦島(端島炭坑)』が始まる。



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クルーズ船に乗り込む長崎港に到着。
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思ったより小型のクルーズ船。
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『三菱長崎造船所関連施設』のジャイアント・カンチレバークレーンを船上より見学できると言う。
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乗船。
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女神大橋。
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橋の下を通過して港が小さくなってくる。
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三菱重工の100万トンドック。
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豪華クルーズ船が修理に入っていた。
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パンフによると
”端島(はしま)は、長崎県長崎市(旧高島町)にある島である。
明治時代から昭和時代にかけては海底炭鉱によって栄え、東京以上の人口密度を有していたが、1974年(昭和49年)の閉山にともなって島民が島を離れてからは、無人島である。

1916年(大正5年)には日本で最初の鉄筋コンクリート造の集合住宅「30号棟」が建設された。この年には大阪朝日新聞が端島の外観を「軍艦とみまがふさうである」と報道しており、5年後の1921年(大正10年)に長崎日日新聞も、当時三菱重工業長崎造船所で建造中だった日本海軍の戦艦「土佐」に似ているとして「軍艦島」と呼んでいることから、「軍艦島」の通称は大正時代ごろから用いられるようになったとみられる。

端島は本来は、南北約320メートル、東西約120メートルの小さな瀬であった。
その小さな瀬と周囲の岩礁・砂州を、1897年(明治30年)から1931年(昭和6年)にわたる6回の埋め立て工事によって、約3倍の面積に拡張した。

島の中央部には埋め立て前の岩山が南北に走っており、その西側と北側および山頂には住宅などの生活に関する施設が、東側と南側には炭鉱関連の施設がある。

人口が最盛期を迎えた1960年(昭和35年)には5,267人の人口がおり、人口密度は83600人/km²と世界一を誇り東京特別区の9倍以上に達した。

炭鉱施設・住宅のほか、小中学校・店舗(常設の店舗のほか、島外からの行商人も多く訪れていた)・病院(外科や分娩設備もあった)・寺院「泉福寺」(禅寺だがすべての宗派を扱っていた)・映画館「昭和館」・理髪店・美容院・パチンコ屋・雀荘・社交場(スナック)「白水苑」などがあり、島内においてほぼ完結した都市機能を有していた。”

島に近づいてきた。
まさに海に浮かぶ軍艦だ。
波は高いが上陸は出来そうだ。
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朽ちた島の建物が迎えてくれる。
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ドルフィン桟橋に船が繋がった。
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上陸。
傍に小中学校跡が見える。
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住宅跡。
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石炭の積み込み桟橋橋台。
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いよいよ上陸。
現地ガイドさんが3か所の見学広場で説明してくれる。
このガイドさん達は元は此処に住んでいた人だとか。
実に詳しい!
社宅。
個別の浴室設備(内風呂)を備えるのは鉱長社宅の5号棟(1950年)および幹部職員用アパートの3号棟(1959年)、職員用集会宿泊施設の7号棟(1953年)、そして島内唯一の旅館「清風荘」だけであった。
トイレも多くが落下式であった[55]が、閉山時には半数ほどの住宅で水洗式が導入されていた。
炊事場は閉山まで共同のところが多かった。
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倉庫。
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灯台。
岩山の南端、貯水槽の隣に灯台があるが、これは閉山によって夜間の島の明かりが無くなったため、その翌年(1975年)に建てられたもので、正式名称は『肥前端島灯台』。
灯台は、1998年に強化プラスチック製の「2代目」に建て替えられた。
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アパート。
社宅。
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記念撮影。
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離島。
寺院「泉福寺」が良く見えた。
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火葬場と墓地、十分な広さと設備のある公園は島内になく、これらは端島と高島の間にある中ノ島に(端島の住民のためのものが)建設された。
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次の船が直ぐに着岸。
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上陸証明書を頂けた。
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今夜は雲仙温泉で温泉に入れる。
ホテル東洋館。
到着後温泉に入る。
夕食。
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1960年以降は、主要エネルギーの石炭から石油への移行(エネルギー革命)により衰退。
1965年(昭和40年)に三ツ瀬区域の新坑が開発され一時期は持ち直したが、1970年代以降のエネルギー政策の影響を受け、数百万トンの石炭を残したまま1974年(昭和49年)1月15日に閉山した。
閉山時に約2000人まで減っていた住民は4月20日までに全て島を離れ、端島は無人島となった。
今から40年前まで稼働していた軍艦島。
40年前から無人島になって、此処まで荒れてしまうのか・・・
当時の島は活気が有ったんだナ。
この島を見て工業化を進めた原動力が石炭に有った事が良く分る。
劣悪な環境で頑張った日本人がいて、今の日本があるのだ。
(世界遺産登録にもイチャモンをつける韓国にはわからないだろう。
この日本から国家予算の2倍もの金を貰い何とか工業化を進めたが、またどうしようも無い国に成り下がりつつある。韓国よ。良く考えろ。世界の孤児に成り下がる前に)