OLAFの日吉台地下壕見学 (’15年3月2日 慶應義塾日吉キャンパス)

「慶應義塾日吉キャンパスに壮大な地下壕が掘られ、連合艦隊司令部が置かれていたのを知っていますか?」
新聞でそんな事を知って見学会に参加することにした。
ネットによると
”横浜市の港北区日吉台の慶応義塾大学日吉キャンパスは、旧帝国海軍の中枢が太平洋戦争末期にその本拠地としたところである。
従来、海上艦隊内の先頭艦上で指揮を取るべき連合艦隊司令部が、主要な艦船を失いながらなお、「国体護持」を目的に「本土決戦」に備えた作戦を指揮するために陸上に上がった。
そこが日吉台である。
そこには空襲を避けながら活動を続けるための巨大な秘密の地下施設が築かれ、約1年実際に機能した。
それが、今も残る「日吉台地下壕」である。
そこから戦艦「大和」の出撃命令等、特攻作戦の指示が出されている。”
との事だった。


集合場所は東横線日吉駅前。
慶應義塾大学日吉キャンパスへ来るのは初めてだ。
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午後1時。
駅前スタート。
第一校舎横から説明スタート。
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第一校舎の教室で説明会が開かれた。
1934年にこの校舎は開校されたと言う。
今で80年経過していると言う。
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1944年に海軍軍司令部第三部(情報部)が入ったと言う。
この頃には第二次世界大戦でレイテ沖海戦があり日本軍が負け本土空襲がまじかに迫っていた頃でした。
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海上艦隊内の先頭艦上で指揮を取るべき連合艦隊司令部は大和から日吉の寄宿舎、地下へと動いて行った。
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45年4月6日の戦艦「大和」の出撃命令などはこの日吉の司令部から発せられた。
更に特攻作戦の指示もここから出されていた。
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敗戦。
連合軍に接収され4年間使われた。
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日吉台地下壕とは

①「本土決戦」準備のための司令部
②旧海軍の連合艦隊司令部が太平洋戦争末期にその本拠地としたところ。
③連合艦隊司令部以外にも、海軍中枢部が戦争末期に集中したところ。
という意味を持つ。

何故日吉だったかと言うと

①海軍省のある東京と、横須賀軍港の中間にあって交通の便が良い
②「学徒出陣」と勤労動員で学生が激減した慶應義塾の堅固な校舎がそのまま使える
③キャンパスが広く小高い丘になっているので地下壕が掘りやすい
④海抜40メートルの高台にあり、無線の受信状態が良い
との理由だったそうです。

こんな経過説明の後地下壕の見学へ移った。

頂いたパンフによると
見取り図はこんな物でした。
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配置図Aの地下壕入り口です。
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入ってすぐは、写真のようま急な坂道なっていました。
階段にしなかったのは大型機材の出し入れのためとのことでした。
両脇に地下水の流れる溝が掘られちょろちょろと水が流れていました。
中はジメジメしてるかと思ったら乾燥していて違和感はそうありません。
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壁は木枠の跡が付いたコンクリでした。
穴を掘り木枠を作り地上からコンクリを流し込んで固めたそうです。
工期が短くて済む工法だそうです。
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水が流れる程度の勾配が付いていますがほぼ平らです。
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通路を進むと、右側にくぼんだ所がありました。
これは竪穴空気坑の跡(見取り図B)です。
非常脱出坑としても考えられていたようです。
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竪穴空気坑の地上部分は、キノコのような形をした分厚いコンクリートの耐弾式竪穴坑になっていました。
深さは30メートルあるそうです。
(地下壕見学の後見学に行きました。)
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司令長官室へ移動していきます。
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連合艦隊司令長官の執務室(E)です。
他の部屋より綺麗なつくりで、入口のドアの跡や照明用と思われるい電気のコンセントの跡がありました。
和室になっていたとの事です。
日常、司令長官や幕僚たちの執務の場は地上の作戦室でしたが、空襲などの緊急時には寄宿舎から地下壕の安全な場所に移動したようです。
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地上作戦室に通じる階段(F)で、現在は閉じられていました。
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通信室(J)です。
約30台の短波受信機が置かれていました。
戦艦大和が沈められていく様子や、海上地上部隊の戦況、特攻機が艦船に体当たりする時の通信も受信していました。
連合艦隊司令部は、深い地下施設のなかで、自分達が命令した結果がどうなっていたのか、日本軍の切望的な戦況を正確につかんでいたようです。
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作戦室(L)です。
幅4メートル、奥行き20メートルで、この地下壕で最も大きな部屋です。
当時、民間では使われていなかった明るい蛍光灯が取り付けられていたようです。
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これで見学終了です。
明るい外へ戻ってきました。
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此処までして戦わなければならなかったのか・・・

知覧の特攻隊の基地も見てきた。
(記録)
http://olaf-mama.at.webry.info/200606/article_30.html
http://olaf-mama.at.webry.info/201311/article_6.html
此処からの命令で死んでいった特攻隊の若い人達が重なって見えてきた。

「この人達の死を無駄にしないためにも、繁栄している日本を次の世代にも繋いでいかなければならない」とつくづく感じる。

現在の世界情勢は中国、ソビエトを中心に力で既存秩序を変える試みが強くなってきているし、秩序が変えさせられた地域も出てきている。
日本にもそれらの力が加えられている。
自分の国は自分で守る!
それこそが、死んでいった人達に報いる国になる事だろう。