OLAFの相馬野馬追祭り見物②(’14年7月27日 相馬中村神社 出陣式 )

今日は最初に相馬中村神社へ、出陣式を見に行く。
相馬中村神社は馬陵城(ばりょうじょう)とも呼ばれた中村城の境内にあり、相馬地方の代表的な古建築として、国の重要文化財の指定を受けています。
出陣式は相馬中村神社の妙見神社で行われ、総大将を擁する相馬中村神社では、出陣の儀式はとりわけ厳かである。
それぞれの神社に参拝し、祝杯をあげ、やがて出陣の準備が整うと大将が出陣を命じる。
軍者の振旗を合図に螺役が高らかに螺を吹き、いざ出陣となる。


朝8時半から出陣式が行われる。
鳥居をくぐり儀式が行われる境内へ入っていく。
もう既に多くの人が集まっている。
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藩主、つまり総大将自ら率いるのがこの神社です。
1日目の朝、宇多郷の騎馬武者は、妙見相馬中村神社に集結します。
そして、総大将をお迎えして、出陣式が執り行われます。
見どころは、何と言ってもここでしょう。
総大将は、藩主の子孫が勤めます。
総大将は、赤いほろと三本扇を装着しますが、この三本扇は藩主直系の者にのみ許されているものです。
御一門の場合は三日月短冊。

出陣式に続いての総大将閲兵は、文字通り「相馬野馬追」の始まりです。
その後に御鳳輦と総大将を擁して市街地を行列する「お繰り出し」を経て、北郷本陣(鹿島町)で北郷騎馬と合流し、雲雀ヶ原(原町市)を目指します。

野馬追は相馬中村藩の「総合軍事訓練」であった。

武田流軍法「御駆引」と称され、総大将の御前で陣形を取り騎馬隊・鉄砲隊・弓隊・槍隊・歩兵隊が日頃の訓練の成果披露し、総大将が検分したものである。
武田流陣螺術、關流砲術、日置流印西派弓術などの継承者が「御駆引」を忠実に再現する歴史的イベントなのです。
今では、その一部を前日に行われる「総大将出陣の宴」の中で「相馬中村藩古式炮術」が、見ることが出来ます。


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神社の出口です。
出発の準備で主人を待っています。
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その後長友グランドに勢揃いした騎馬は、総大将の閲兵を受けて出発します。
騎馬がそろっています。
勇壮です。
圧巻です。
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総大将が境内から出てきました。
相馬の殿様の33代目と言う事でした。
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出発地では背中に旗をさした騎馬武者が集まっていた。
相馬は、藩政時代には、禄高6万石の小藩で、隣に10倍に余る大藩の伊達氏があり、けっして安閑としてはいられなかった。
いつ何時攻められるかわからないので、常に武器を傍らに置いて働き、敵が攻めて来ると聞けば、一同妙見社に集り、御神水を飲んで結束を固くすると同時に、小藩なのでとても武力でかなう訳がないので、日頃、学問から礼儀作法にいたるまで、きめ細かな精神的しつけを怠らず、緊張感を持続し、武士道精神をさかんにすることに全力を注いだのである。
 一方、武具の充実と武術の鍛錬を怠ることが出来ない相馬にとって、野馬追行事は、幕府の厳しい監視の目を逃れる格好のかくれ蓑として、武術の訓練を図る場となったのである。
 相馬の武士道の源は、すでに戦国時代の顕胤(あきたね)などに現れている。
伝記に、天資英邁、至行端正、特に信義に厚く、妻の父に当る伊達稙宗(たねむね)のために、稙宗の子晴宗と度々戦を交えたのも信義のためであった。ある時阿武隈川を挟んで対戦し、多くの戦死者を出した時、敵味方塚をつくって一緒に葬ったことは、敵方に感動を与え、語り草になっている。
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甲冑も素晴らしいものばかりです。
兜の飾りはみんな違いますがどれも歴史を感じさせられるものばかりです。
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午後からは総大将お迎えの儀式を見に行きます。