OLAFの京都滞在(’14年1月6日 ③奈良駆け巡り 薬師寺)

(前ブログからの続き)
薬師寺は「法相宗[ほっそうしゅう]」の大本山です。
天武天皇により発願(680)、持統天皇によって本尊開眼(697)、更に文武天皇の御代に至り、飛鳥の地において堂宇の完成を見ました。
その後、平城遷都(710)に伴い現在地に移されたものです。(718)

石碑が立っていた。
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中門。
昭和59年(1984)に西塔に引き続き復興されました。
平成3年(1991)には二天王像も復元されました。
回廊は、藤原京薬師寺では単廊であったとされていますが、平城京薬師寺では複廊と呼ばれる2重構造になっているのが特徴です。
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中門・回廊から西塔を望む。
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西塔。
西塔は昭和56年(1981)に復興されました。
塔の連子窓[れんじまど]に使われている色を「青[あお]」色、扉や柱に使われている色を「丹」色と呼び、万葉集の一節に

あおによし ならのみやこは さくはなの におうがごとく いまさかりなり

と歌われている事からも当時の平城京の華やかさを表現する意味もあったのではないかと思われます。
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東塔は改修工事中でした。
金堂。
金堂は享禄元年(1528)この地域の豪族の戦火に巻きこまれ、西塔などと共に焼け落ちてしまいました。
その後、豊臣家が金堂の仮堂を建て、その後本格的な金堂の再建に取りかかる筈でしたが、豊臣家滅亡などの事情で400年近く仮堂のままの状態でした。
金堂の再建は歴代の薬師寺住職にとって悲願中の悲願でした。
昭和42年(1967)高田好胤師が晋山し、百万巻写経勧進による金堂再建を提唱、全国に写経勧進に歩かれ、その結果昭和46年(1971)金堂の起工式を行い、そして昭和51年(1976)4月に白鳳時代様式の本格的な金堂として復興しました。
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薬師三尊像。
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鐘楼。
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大講堂。
大講堂は正面41m、奥行20m、高さは約17mあり伽藍最大の建造物です。
大講堂が金堂より大きいのは古代伽藍の通則で、これは南都仏教が教学を重んじ講堂に大勢の学僧が参集して経典を講讃したためです。
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東院堂。
養老年間(717~724)に吉備内親王[きびないしんのう]が元明天皇[げんめいてんのう]の冥福を祈り、建立されました。
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参拝者の休憩所となっている東僧坊に薬師如来台座・西面(模型)が置いてありました。
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玄奘三蔵伽藍へ移動しました。
玄奘三蔵[げんじょうさんぞう](600または602~664)は、『西遊記』で有名な中国唐時代の歴史上の僧侶です。
17年間にわたりインドでの勉学を終え、帰国後は持ち帰られた経典の翻訳に専念、その数1335巻に及びます。
玄奘三蔵の最も究めたかった事は、「瑜伽唯識[ゆがゆいしき]」の教えでした。
その教えの流れを継承している宗派が法相宗[ほっそうしゅう]です
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あと唐招提寺・朱雀門を残すのみです。
だいぶ歩き疲れてきましたが頑張りましょう。
(次ブログへ続く)