OLAFのQEクルーズ(’13年3月23日 ①キュラソー島観光)

キュラソー(Curaçao)は、ベネズエラの北約60kmのカリブ海に位置するオランダ王国の構成国。
面積は448km²。
人口142,180人(2010年)で、主都はウィレムスタッド。
キュラソーとはポルトガル語で「聖心」という意味である。
キュラソー島は貿易などで戦略上、重要な場所だったため、フランスやイギリスなどに襲われたりもしたが、オランダは守り、1815年パリ条約により、再びオランダ西インド会社の管理下に戻った。1854年奴隷制は廃止される。
しかし、それにより、キュラソー島の経済は崩壊的打撃を受ける。
1915年ベネズエラで原油が発見されると、ロイヤル・ダッチ・シェル社がキュラソー島にベネズエラ産の原油を扱う、石油精製所を建設。
1920年にはベネズエラの沖合で原油も発見された。
1954年キュラソー島はオランダ領アンティルに組み込まれ、オランダ領アンティルの行政上の中心地となった。
1970年代のオイルショックはキュラソー島の石油精製所に大きな打撃の影響を受けた。
さらに追い討ちを掛ける様に、1985年ロイヤル・ダッチ・シェルがキュラソー島の製油所を閉鎖した。
日本との関連では、以下の話が有名である。
”第二次世界大戦前、ナチス・ドイツに迫害されたユダヤ人たちが出国するために用いられたのが、キュラソー島へのビザであった。当時のオランダは、ユダヤ人への偏見が比較的少なかったため、他の欧米諸国が発行していなかったユダヤ人向けビザを発行していた。
(もっとも、本国はナチス・ドイツに占領されたため、植民地であるキュラソー島向けビザを発行する、という変則的なことになった)
実際には「キュラソー島へ行くためのビザ」というのは「嘘の方便」であり、「途中経由地」であるアメリカや上海に居つくユダヤ人が多数であったのであるが、そのウソを承知の上で、当時のリトアニア、在カウナス日本国領事杉原千畝は日本国通過ビザを発行した。
結果、ユダヤ人難民の数千人の命を救うことになる。
この逃亡のための方便のビザは「キュラソー・ビザ」と呼ばれる。”


そこに今日は上陸する。
画像

画像


毎朝の様にTVで航行場所を確認する。
画像


もう既に島影が見えている。
画像

入港していく。
工業地帯の様な煙突やタンクが見える。
画像

画像

船が接岸するのは工業地帯の様な場所からは離れていた。
画像

画像

人工的に作られた沖の桟橋に接岸していく。
画像

ロープはそれ用の場所に結び付けられた。
画像

今日のツアーはお昼からなので、午前中は添乗員さんが港町の散策の案内をしてくれると言う。
徒歩で街へ向かう。
画像

画像

クイーンエリザベスの全景が見えた。
これだけ離れないと勇姿が見えない。
画像

色の綺麗な建物が迎えてくれる。
オモチャの街の様だ。
画像

昔の要塞を利用した見晴らし台へ登る。
画像

画像

画像

お土産屋の前を通り、街を目指す。
画像

街に入るためには橋を渡らなければならない。
この橋が、船の上に設置されていた。
船を何艘も並べ橋げた代わりにしている。
画像

画像

画像

この海に灌いでいる川を船が上流から下流へ、下流から上流へ移動する時にこの橋は動いて船の道を開けている。
画像

片側を支点として反対側が動き道を空ける。
ブザーが鳴り人が渡れないように塀が閉まる。
画像

船が行ってしまうと何もなかったかのように元に戻り人の往来が始まる。
画像


街はカラーが綺麗でほんとにオモチャの様な街だ。
画像

画像


立体的な花が描かれた壁。
画像


画像


車のプレートが面白い。
Noの下に綺麗な街が描かれている。
画像


時間になったので船に戻りランチを食べて、昼からのツアーに備える。
画像


画像


(次ブログへ続く)