OLAFのナイル川クルーズ (’12年10月7日 ②ギザの3大ピラミッド観光)

ギザは、エジプトの都市。
ナイル川中流の西岸に位置する。
同国の首都であるカイロからみてナイル川を挟んでおよそ20km西南にあり、現在では拡大したカイロの都市圏に内包されているが、行政上はカイロから独立したギーザ県の県都である。
人口はおよそ200万人。
古代エジプト以来の町であり、クフ王のピラミッドをはじめとするギザの三大ピラミッドと、ギザの大スフィンクスがある遺跡の町として世界的に有名である。
その一帯からダハシュールにかけてのピラミッド地帯は、メンフィスとその墓地遺跡として1979年に世界文化遺産として登録された。


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朝8時バスで朝食を食べ一休みしたピラミッドパークリゾート・ホテルを出発。
薄いピンクのなかなか瀟洒なホテルだった。

エジプトには80基以上ものピラミッドが存在する。
それらはすべてナイル川の西側に位置している。
西へ沈む太陽と共に王であるファラオは、永遠の旅へでると考えられていた。
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街中を走っていくと突如街中のビルの向こうにピラミッドが見えてくる。
お~~~~~~~!
現代と数千年の昔が同居する不思議な光景だ。
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しばらく走るとピラミッド群の入口の到着。
入場券を購入する窓口に人が並んでいる。
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入場券。
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形だけの持ち物検査を受け、ピラミッドへ歩いていく。
ダラダラ坂になっている。
昔はナイル川がこのすぐ側まで流れていたという。

最初はクフ王のピラミッド見学だ。
この世界最大のピラミッドは正四角錐で、底辺の長さは230メートル。
高さは137.5メートル(創建当時は146.6メートル)であり、正確に東西南北に面して建てられている。
傾斜角は51度52分。

初期のピラミッドは、石を内側に傾けて積んだため、地盤沈下を起こした。
その失敗にならい、クフ王の大ピラミッドは、230万個の石全てが水平に積まれた。
何とも凄い。
威容を誇っている。
「よくこんな物を作った!!」
と言う印象だ。
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途中に内部見学用の穴が開いている。
なんでも、墓泥棒が作った内部の宝を持ち出した穴の様だ。
人が積まれている石に比べると蟻のように小さい。
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内部を見られるのはこのクフ王のピラミッドだけだった。
内部は腰をかがめなければ通れない程度の穴で不自然な姿で登っていくのは辛い歩行だった。
そこで登ってくる人と降りる人がすれ違うのだから大変な混雑だ。

薄暗く、もし停電にでもなったら大パニック間違い無いといった印象だ。
出てくるとホッとしたが、足の痛みが残った。
普段使っていない筋肉を使わされたといった感じ。
バスの乗り降りもつらくなった。

クフ王のピラミッド南脇には、王の葬儀の際に使用されたと思われる巨大な木造船をおさめていた「船坑」を保存した博物館が建っている。
この博物館は船坑をそのまま覆ったもので、中にはここから発見された木造船を組み立てたものが展示されている。
次は太陽の船博物館見学だ。
その向こうに見えるのはクフ王の次男カフラー王のピラミッドだ。
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入場券売り場。
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入場券だ。
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内部見学には靴の上に分厚い布のカバーを付けなければならない。
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この博物館は船坑をそのまま覆ったもので、中にはここから発見された木造船を組み立てたものが展示されている。
木造船は1954年に発見されたもので、全長43.3メートル、全幅9メートル、高さ7.9メートルのレバノン杉(レバノン杉とは杉ではなく松)製で、1224個のパーツに分解して収納してあった。
太陽信仰によれば王は死後、船に乗って太陽神のもとに向かうとされるので、この船は葬儀の際に昇天の儀式のために使われたものと推定された。

大きいので模型で全体像を確認できるようになっていた。
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復元された船の周りに沿って通路が出来ていた。
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船の穂先にはエジプトの象徴”ハスの花”がデザインされていた。
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カフラー王のピラミッドはピラミッドは高さ136.5メートル、底辺210メートル、傾斜角53度10分。
並べてみると父クフ王のピラミッドより高く見えるが、カフラー王のピラミッドはそれより高い場所に建っているからそう見えるだけなのである。
実際には創建当時の父のピラミッドより10メートルも低い。
今でも頂部を9メートルも失った父のものよりもまだ1メートルも低いのである。
おそらくカフラー王は父を意識して、わざわざ父よりも高い場所を選んでピラミッドを建造したのだろう。
カフラー王のピラミッドは父クフ王のものとは違い、ピラミッドそのものに内部構造物はない。
入口は北側に2カ所あり、それらは内部で合流する。そこからほぼまっすぐ平らな通路が続き、玄室に至るが、今では花崗岩製の簡素な石棺があるだけである。その玄室はピラミッドの頂点からちょうど真下にあたり、地表とほとんど同じ高さにある。
つまりピラミッドそのものは単なる積み石であり、あらかじめ造られた玄室の上に「乗っている」だけなのである。
だがカフラー王のピラミッドにおいて特筆すべきなのは、創建当時の「ピラミッド複合体」を今でもそのまま見ることができるという点であろう。
完成時にピラミッド複合体を構成していたピラミッド、葬祭殿、ピラミッド参道、河岸神殿、そしてスフィンクス像とスフィンクス神殿のすべてが今でも残っているのである。

このピラミッドだけが上部の表面に化粧岩が残っていた。
他のピラミッドも同じように化粧岩でキラキラでしたがぜーんぶ盗まれて、今ではごつごつの石がむき出し状態。
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OLAFもパチリ。
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観光用ラクダがウロチョロ。
糞が落ちていて臭い!

ガイド曰く「乗らない方が安全です。
乗るときはワンダラーと言うけど降りる時はテンダラーという。
払わないと降りられなくなってしまう。」
だって。
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最後はメンカウラー王のピラミッド見学。
ギザにある3基の大ピラミッドの中でも、もっとも小さいのが、カフラー王の息子メンカウラー王のピラミッドである。
高さ約66.5メートル(創建時は70メートル)、底辺約108.5メートル、勾配51度20分という規模のピラミッドだが、大きさだけでいえば祖父クフのものと比べればおよそ半分しかない。
その理由はさまざまに考えられるが、財政逼迫説、メンカウラー王人格者説、そして彫像の作りすぎによる建造費用の払底説などがある。
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この後は三つのピラミッドが美しく見えるビューポイントへ移動する。
途中、ギザの街が眺められた。
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クフ王のピラミッドの前に3つの小さな王妃のピラミッドも含め良く見える。
良く眺める写真などの撮影場所の様だ。
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カフラー王のピラミッドの側には、創建当時の「ピラミッド複合体」を今でもそのまま見ることができる。
完成時にピラミッド複合体を構成していたピラミッド、葬祭殿、ピラミッド参道、河岸神殿、そしてスフィンクス像とスフィンクス神殿のすべてが今でも残っているのである。
河岸神殿はピラミッド建造時に石材積み下ろし基地として整備され、ピラミッドの完成後は死せる王を死者の世界に送り出すための儀式の場として跡地に神殿が建てられた。
ピラミッド参道は石材を運搬した斜道の跡であろうと思われる。
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スフィンクス像は高さ20メートル、全長73メートルで、人間の頭部にライオンの胴体という「人面半獣」の姿をしている巨大な「彫刻作品」である。
スフィンクス像は別の場所で作られてここに運ばれたのではなく、もともとその場所にあった石灰岩の岩山を彫り抜いたものなのである。
定説では、ピラミッドを築くのに使う石材を採取した岩山の残りだとされている。
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後ろから見たスフィンクス。
尻尾は無いみたい。
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OLAFここでもパチリ。
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ギザの3大ピラミッド観光終了後は昼食だ。
メンフィス・サッカラ・ダハシュール観光へ向かう途中のレストランで昼食をするが、バスの窓から露天商が沢山見える。
水煙草をくゆらせながら商売をしている。
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果物売りが多い。
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昼食は”シシケバブ”だと言う。
トルコの代表的な焼肉料理だと言うが?
バルカン半島の国々でも食べられているが、トルコが本場である。
「シシ」は金串(かなぐし)、「ケバブ」は焼肉という意味だそうだ。

トルコ音楽を奏でる楽団に迎えられる。
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テント下のテーブルへ案内される。
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「アシーエ」(どんなお料理にも必ず出てくるナンのようなパン)がテーブルに乗っている。
さらに「ババガヌーク」というナスのペースト(あっさり味だった。)とタヒーナ」というゴマのペーストが乗っていた。
「アシーエ(パン)」 に漬けて食べるほとんど毎回出てくるバター替わり?

一番手前の料理は「ターメイヤ」。
つぶしたそら豆のスパイスが効いたコロッケ。
これが一番美味かった。
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此処ではビールを飲むことが出来た。
ただしびっくりする値段!!
小瓶で7$。
40℃の砂漠の中でピラミッドを見てビールは必需品。
料理は全般的に塩味が強かった。
金串にさされた焼き肉は出てこなかった・・・
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料理は大した事が無いと思わされた。
こんな物なんだろう・・・
覚悟を決めよう。

昼食の後はメンフィス・サッカラ・ダハシュール観光へ行く。