OLAFの春のツアー参加 ③ (’12年4月4日 出雲大社・倉敷美観地区・鷲羽山展望台)

(前ブログよりの続き)
昨日の天気は嘘の様だ。
今日は最終日。
出雲大社・倉敷美観地区・鷲羽山展望台と走り、岡山空港から羽田へ戻る。


玉造温泉は歴史ある温泉の様だ。
この温泉の評判は「枕草子」にも登場。
平安時代には「玉造」の名は京の都まで届き、貴族の間でも評判になっていたと清少納言は「枕草子」で触れているという。
朝日が宍道湖に写って眩しい。
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レストランで朝食。
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ブッフェスタイルで無い朝食は久し振り。
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8時。
バスで出発。
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出雲大社までは近い。
出雲大社も二回目になる。
あまり良く覚えていない。

(鳥取砂丘、出雲大社のブログ)
http://olaf-mama.at.webry.info/200711/article_4.html

駐車場に到着するとお土産屋さんからのガイドさんが説明についてくれる。
スタートは細石。
木の彫り物は、出雲大社に全国の神が集まって一年の事を話し合うため神様が出雲大社に集合する時の姿だそうだ。
世間でいう”神無月”(10月)は、ここ出雲では”神在月”と言うそうだ。
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石に出雲大社と刻まれている。
此処だけしか無いそうだ。
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社務所の前を通る。
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ガラスに鳥の切り抜きが貼ってあった。
何でも鳥がガラスに激突をする事を避けるためだと言う。
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大国主大神の因幡の白ウサギにちなんだ銅像が立っていた。
ウサギがなんとも愛らしい。
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松並木が有った。
昨日の強風でその内の一本が根っこからひっくり返っていた。
昨日は樹齢300年とも言われる松がひっくり返るほどの強風がここでは吹いた様だ。
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大国主大神が玉に祈っている銅像が立っていた。
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銅鳥居。
この碧銅の鳥居は、寛文六(1666)年六月毛利輝元の孫綱広の寄進になるものです。
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御本殿(ごほんでん)は、大国主大神さまがお鎮まりになっておられ、大国主大神さまの御事蹟に対して建てられた宮です。
高さ約24メ-トルの偉容は、御神徳(ごしんとく)にふさわしく比類のない大規模な木造建築の本殿です。
「大社造り」と呼ばれる日本最古の神社建築様式の御本殿は、現在国宝に指定されています。御本殿をつつむかのようにそびえる八雲山(やくもやま)を背景にした姿は、たくましい生命力を感じさせ、見るものに感動を与えます。
現在は平成の大遷宮中の為、拝殿は御仮殿となっていた。
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凄いしめ縄。
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本来なら奥の本殿で行われている神官の神事が仮拝殿と言う事で目の前に見えた。
御簾越しに神官のお祈りの様子がわかる。
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平成の大遷宮中で屋根の葺き替え工事が行われているがシートも昨日の風で飛ばされた様で修理中だった。
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御祭神の大國主大神様のお住まいの御本殿は古くより「天下無双の大廈(たいか)」と称えられていた。
平成12年の境内の八足門(やつあしもん)前での巨大な御柱の顕現によって、語り継がれた往昔の高さ16丈の〝天下無双〟の御本殿が明らかとなった。
その柱は3本で上部の神殿を支える方式となっていた。
その柱の跡が残されていた。
「パワースポットです。」とガイドさんの説明。
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西の十九社。
全国から神様が集合される時、西からの神様が其々此処で休まれるそうだ。
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境内を西の門から出て川を渡ったところに神楽殿があります。
本殿と同じように朝夕のおまつりの他、御神楽や御祈祷が奉仕されます。
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ここに掛かる注連縄(しめなわ)は長さ13メートル、重さ5トンの巨大なもの。
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出雲大社教祖霊社。
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桜が咲き始めていた。
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出雲大社の参拝が終わった後、一路倉敷へ。
米子自動車道を通って瀬戸内側へ。
途中、バスの窓から大山の雄姿が見える。
頂上の方はまだ雪におおわれている。
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この角度から見るとまさに「伯耆富士」と言うだけあって富士山にそっくりだ。
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蒜山高原(ひるぜんこうげん)に差し掛かると一面の雪の世界に!
寒い訳だ。
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蒜山高原(ひるぜんこうげん)サービスエリアも雪に囲まれていた。
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約100万年前頃、火山の活動により蒜山三座が誕生した。
それまで川は中国山地から北へ流れていた。蒜山三座の出現により、流れは西に方向を変え、上蒜山の西側より日本海側へ流れ込むようになった。
更に約35万年前、大山の噴火によって西側がせき止められ、蒜山原湖が誕生した。
この蒜山三座が綺麗に見えた。
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ようやく倉敷に到着。
大原美術館の前の駐車場にバスは停まった。
大原美術館の前を通って倉敷美観地区へ急ぐ。
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倉敷川の辺から散策開始。
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此処の桜も咲き始めていた。
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白壁の町、文化の町として有名な倉敷は、江戸時代、天領として栄えた商人の町でもありました。
その中でも美観地区、本町・東町の町並みは、古き情緒を今も色濃く受け継いでいます。
白壁の屋敷、町の建築様式に息づく江戸の風情、倉敷川沿いの柳並木…そんな倉敷の象徴的な風景は、いつの季節もそぞろ歩きがよく似合います。
「ひやさい」と呼ばれる裏路地に数多く点在する隠れた名店…そんな自分だけの「倉敷」を探しに出かけるのもまた一興。
何度訪れても新しい発見がある、いろいろな顔を持つ魅力ある町。
それが倉敷なのです。


・・・こんな宣伝文句通りの街だ。

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倉敷アイビースクエア 。
白壁のイメージが強い美観地区も産業観光の舞台です。
綿花や米の集散地として栄えた天領の町倉敷でしたが、明治になると紡績業で再興が図られ、代官所跡に倉敷紡績所が建設されました。
その工場を再開発し、複合交流施設として再生したのがアイビースクエア。
ツタ(=アイビー)のからまる赤いレンガが目をひく敷地内には、陶芸が体験できる工房やホテルなどがあり、創業当時の原綿倉庫を利用した倉紡記念館は、当時の産業の歩みを現代に伝えています。
ツタが絡まった建物は独特の雰囲気を醸し出している。
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このツアー最後の鷲羽山からの瀬戸大橋見物だ。
瀬戸大橋は本州と四国を結ぶ世界最大級の橋。
岡山県と香川県を直結する本州四国連絡橋のひとつで、本州四国連絡橋3ルートの先陣をきり、昭和63年4月10日に開通した。
多くの島が連なる瀬戸内海の真ん中に架かる、道路・鉄道の併用橋です。
ルートは道路37.3㎞、鉄道32.4㎞で、海峡部9.4㎞に架かる6つの橋梁からなりたっており、吊橋、斜張橋、トラス橋など世界最大級の橋梁が連なる姿は壮観。

橋の下を船が通って行く。
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端の下側を列車が通過する。
昨日は強風のためこの列車が7時間も立ち往生したとニュースでやっていた。
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島をつないで四国まで。
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この橋が出来るまでは鷲羽から丸亀までフェリーがつないでいた。
今はこの橋で坂出へ繋がっている。
坂出側の工業団地から煙が立ち上っていた。
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岡山空港から羽田に帰る。
空港内に大きな鯉のぼりが泳いでいた。
そう言った季節になったのだ。
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夜の10時に我が家へ到着。
かなり強行軍のツアーだったが主だった所は総て見つくしたか・・・
今年の春の京都は京都をスタートに中国地方を走り回った。
たまにはこんな春も良いかナ?