OLAF in 青もみじの京都 (’11年5月21日 京都南山城の名刹巡り日帰りバスツアー)

青もみじを訪ねた今回の京都ステイも今日で終わり。
最後に”隠れた名所を訪ねて京都南山城の名刹巡り”の日帰りバスツアーに参加した。
青もみじを十分に楽しんでおきたい。

スケジュールは以下の通り。

JR京都駅八条西口 団体バスのりば集合
9:00  出発 ⇒ 浄瑠璃寺 ⇒ 岩船寺 ⇒ 京都吉兆 松花堂店にて『松花堂弁当』の昼食
⇒松花堂庭園 ⇒ 観音寺 ⇒17:00頃 JR京都駅八条口 到着。

パンフレットによると
【浄瑠璃寺】
平安期の九体阿弥陀如来像が現存する日本で唯一の寺です。
【岩船寺】
関西花の寺「あじさい寺」で知られる他、桜・みつまた・つつじ等も美しいです。
【松花堂庭園】
寛永の三筆の一人、松花堂昭乗をしのぶ庭園です。
【観音寺】
本尊の国宝十一面観音菩薩立像は、七体しか国宝に指定されていない十一面観音の一つです。
となっている。


今日も良い天気。
ラッキーだ。
明日からは崩れて雨になるという天気予報になっている。

時間通り出発。

高速を走り、奈良に近いエリアまで。
最初の”浄瑠璃寺”へ到着。

説明によると
”浄瑠璃寺は、薬師仏とそれをまつる三重塔、阿弥陀仏九体とその本堂、宝池を中心とした庭園が平安時代のまま揃っている唯一の寺です。 

国宝の数々が現存。

浄瑠璃寺本堂
浄瑠璃寺三重塔
九体阿弥陀如来像
四天王像(※多聞天、広目天)”

山門まで緑に囲まれた参道を歩いていく。
画像

ひなびた山門を潜る。
画像

本堂が見える。
横に長い本堂だ。
九体阿弥陀仏をまつるための堂で、現存する唯一のもの。(正面十一間、側面4間)
太陽の沈む西方浄土へ迎えてくれる阿弥陀仏を西に向って拝めるよう東向きにし前に浄土の池をおき、その対岸から文字通り彼岸に来迎仏を拝ませる形にしたものである。
一体一体の如来が堂前に板扉を持つ。
真ん中の大きな扉は九体の真ん中の大きな阿弥陀如来様の前にある扉だ。

何でも九体あるのは、未熟な私達を理想の未来へ迎えてくれる如来で、九品往生、人間の努力や心がけなど、いろいろな条件で下品下生からはじまり、下の中、下の上と上品上生まで九つの往生の段階があるという考えから、九つの如来をまつった。
中尊は丈六像で来迎印(下生印)、他の八体は半丈六像で定印(上生印)を結んでいる。
画像

画像

(内部は撮影禁止となっている。小冊子「南山城の古寺」500円から転載)
画像

この辺には石仏群が多く存在していると言う。
浄瑠璃寺の境内にも多く残っていた。
画像

池の反対側に国宝の浄瑠璃寺三重塔が見える。
画像

青もみじに映える三重塔。
画像

灯篭の窓越しに本堂が綺麗に見えた。
画像


更に細い道をくねくねと山頂のほうへ登る。
二番目のお寺”岩船寺”へ到着。

「花の寺」と書かれた山門を潜る。
岩船寺の始まりは説明によると
”729年(天平元年)聖武天皇の勅願で行基が建立したのが始まりで、806年(大同元年)智泉大徳が報恩院を建立しました。
813年(弘仁四年)嵯峨天皇が皇子誕生を感謝し、堂塔伽藍が整備され
岩船寺となりました。
最盛期には39の坊舎をもつ大寺院となりました。
1221年(承久三年)承久の変により大半が焼失してしまいました。
それ以後、再興された堂塔も再度の兵火により次第に衰え、現在は本堂と三重の塔のみとなりました。
本堂は江戸時代のものが老朽化し、1988年(昭和六十三年)に、再建されたものが、現在にも至っています。
三重の塔は834~847(承和年間)仁明天皇が智泉大徳を偲んで、建立されたものです。”
となっている。
画像

本堂だ。
先程見てきた浄瑠璃寺とは違う創りになっている。
画像

(上記と同じ小冊子から転載。)
本尊の弥陀如来様。
画像

此処も池があり反対側に三重塔がある。
画像

鎌倉時代に再建された三重塔。
画像

画像

三重の塔隅垂木をささえる木彫”天邪鬼(あまのじゃく)”が付いている。
”あまのじゃくとは、わざと他人の言行に逆らうひねくれ者。 天の邪鬼。”
画像

鐘楼があった。
そばに”おおでまり”の花が咲いていた。
画像

コデマリは桜の頃良く見た花だが”おおでまり”の花は始めてみた。
画像

此処にも石仏が。
画像

駐車場の近くにお土産屋さんが。
何でも吊り下げて売っている。
生野菜から漬物、焼餅まで。
農村のお婆ちゃんのこずかい稼ぎ?
画像

松花堂庭園は平成十四年(2002)四月五日に新装オープンした。
名実共に洛南随一の名園となっている。
美術館が開設され、有名料亭『吉兆』が『吉兆・松花堂店』を出店、「懐石」や「松花堂弁当」が有名です。
そこで、昼食。
画像

「松花堂弁当」は松花堂昭乗が作ったと言われている。
松花堂昭乗は寛永の三筆(近衛信伊・本阿弥光悦・松花堂昭乗)の一人とされ書画や茶の湯に優れていた。
京都と大阪の中間にあった石清水八幡宮、滝本坊の住持でしたが、晩年には、 隠居所としての松花堂を構え、風流な詫び住まいで生涯を送ったそうです。
昭和8年、湯木貞一が松花堂昭乗の旧跡での茶会に出向いた折、 ある部屋の片隅に置いてある四角い器を見つけました。
高さが3,5cmで田の字型の仕切りがあり、茶色で3ヶ所に墨絵が描いてあって、四方に金具が付いていました。
種子や薬入れ、また小物入れ、たばこ盆に使われていた、と聞きました。
吉兆の「湯木貞一」は、これを料理の器としたらどうかと考え、その1つを譲り受けて持ち帰り、工夫を重ねました。
辺の寸法を縮め、高さを高く やや深めにして元になかった蓋を付けて、四つのそれぞれの升に違う料理をバランス良く盛り込み、大寄せの茶会の点心などに用いたところ 大変な好評を得ました。
戦後には徐々に広まり、現在では知らない人がいないくらい一般的になりました。
中々の美味。
画像

庭に鯛を釣っている石造りの恵比寿が置かれていた。
画像


昼食後に松花堂庭園を散策する。
庭園は、約22000平方メートルと広く、内園と外園に分かれていて、内園は昭乗が晩年に隠棲するためたてた草庵「松花堂(茶室)」や書院などの建物を苔庭や枯山水の築山で囲っている。
庭石や灯篭など露地庭園としても細かい心遣いがなされていて、昭乗が生きていた時代の庭園の風情が偲ばれる。
外園は、小堀遠州が建てた茶室を再現した茶室および宗旦好みの茶室などを持つ茶の庭園としても有名で、珍しい竹40種、茶花として珍重される椿200種を植栽しており、春・夏の深緑、秋の紅葉など四季を通じて雅趣ある景観が見られる。
色々な竹が見られる竹の庭。
画像

クロチク。
画像

キッコウチク。
画像

水琴窟があった。
画像

ボランティアガイドさん。
細かく説明してくれる。
画像

キンンメイチクと金閣寺垣。
画像

それに続く庭。
画像

竹枝木垣。
垣根の展覧会のように色々な垣根が見られる。
『松花堂の竹垣』によれば、「昭乗垣や双竜垣などを代表に18種、日本庭園で見ることのできる代表的な竹垣がすべて松花堂庭園で御覧いただけます。」とあります。
画像

「松花堂(茶室)」の前の松の庭。
画像

「松花堂(茶室)」。
画像


最後の「観音寺」へ到着。
創建は奈良時代初期、天平年間(729~748年)に良弁僧正が伽藍を増築したという。
そのとき造立された本尊の十一面観音像は国宝で大御堂(本堂)に安置されている。
もともと普賢寺という大きな寺だったが、大御堂以外はほとんど残っていない。
今も付近一帯の地名は普賢寺というだけに往時の繁栄が偲ばれる。
画像

本堂。
画像

鬼瓦。
画像

修理したときの鬼瓦が置かれていた。
画像

(上記小冊子から転載。)
国宝十一面観音像。
画像

境内には青もみじが美しかった。
画像


ひなびた、山村にある国宝のお寺の数々。
そこに国宝の仏像がひっそりと置かれている。
昔は大きなお寺だったものが、本堂しか残っていないお寺なども多数あるらしい。
そこの住職は代々その仏像を守りながら毎日お経を上げ生活しているんだろう。
冬は寒く、夏は暑そうだ。
その様な人々の生き様に驚かされる。

これからも頑張って守っていって下さい。

京都の青もみじを満喫したツアーだった。
今が一番良い季節だ。