OLAF in 京都 (’09/8/2 千本釈迦堂)

正式な寺名は大報恩寺。
鎌倉時代中期、求法義空上人が釈迦念仏の道場として釈迦如来像、十大弟子像を安置したのがその始まりと伝わります。
千本釈迦堂は「おかめ塚」の話が伝わるお寺としても知られます。
義空上人が大報恩寺の本堂を建立するにあたり、当時名大工として名声を馳せていた長井飛騨守高次を総棟梁として選びます。
高次は数百という大工の頭として采配を揮いますが、ある日のこと何を勘違いしたのか、本堂を支える親柱の四本の内の一本を短く切り落としてしまいます。
途方に暮れる高次に妻の阿亀は「もはや切ってしまったことは仕方ないじゃぁないの、柱を短く揃え桝組(ますぐみ)を入れて高さを合わせればどうでしょう」と進言したのでした。
そのアイデアもあって今に見る端正な本堂は完成しますが、阿亀は「女の知恵を借りて完成させたと云われては主人の恥となる」と自害して果てます。
この話は大工達に受け継がれ、江戸時代の半ばには三条の大工、池永勘兵衛が本堂の脇に「おかめ供養塔」を建立します。
この頃から京都では棟上げに際して「おかめ御幣」を飾り祀ることが生まれ、今でも偶に見ることが出来るようです。


釘抜地蔵にお参りをした後、傍にある千本釈迦堂に行きました。
この「本堂」は創建当時のままのものといわれ、応仁の乱(1467~77年)の戦火をはじめ、数度に及ぶ大火からも焼失を免れ、旧京都市内で最古の建物とされています。
ここでも六道参りが翌日から始まるようです。
参道には提灯が下がっていました。
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「本堂」は檜皮葺き、和風の寝殿造りです。
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拝観料を払って、霊宝殿と本堂の内部を見学。
霊宝殿の内部には国宝・重文が所狭しと展示されている。
本尊厨子と天蓋。
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六観音像。
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釈迦十大弟子像。
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霊宝殿を出て国宝の本堂へ。
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「本堂」は創建当時のままのものといわれ、応仁の乱(1467~77年)の戦火をはじめ、数度に及ぶ大火からも焼失を免れ、旧京都市内で最古の建物とされている。
内陣と外陣とを区切っている隔壁は鎌倉時代初期の遺構をとどめているという。
内陣には本尊の「釈迦如来」が祀られているが、秘仏であり直接の拝観はできない
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内陣と外陣の隔壁にある柱には多くのキズがついている。
応仁の乱の時、この付近は西軍の中心部であったが、西軍と東軍の特別のはからいから庇護を受け、本堂が残されたといわれている。
柱に残されたキズはその時の刀や槍によってつけられた痕らしい。
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おかめ人形が飾ってある部屋へ移動。
この柱にも刀や槍によってつけられた痕が残っていた。
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色々なおかめさんが飾られていた。
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民家の中に何気無く建っている千本釈迦堂。
国宝の本堂、彫刻など多くの日本の宝が飾られている。
京都の町の懐の深さを感じるのはOLAFだけであろうか?
「歴史の中心はやはり京都だったのだ。」と思わざるを得ない。
東京は逆立ちしても敵わないスゴサ。
この辺が京都の魅力だナ~~~~~。