OLAF’S Diary in 京都 (’09/4/7 泉涌寺・東寺・上賀茂神社)

春らしい天候になった。
ポカポカの日。
今日は、洛南のお寺から洛北まで歩き廻る事とする。


本日は泉涌寺(せんにゅうじ)からスタート。
このお寺は、歴代皇族のご尊碑を祀り、我が国随一の皇室の香華院(菩提所にあたる)として“御寺(みてら)”と尊称される寺。
本尊は仏殿(本堂)の釈迦如来と楊貴妃観音堂の観世音菩薩。
観音像は第二世湛海が建長7年(1255)に宋から将来したもので、楊貴妃観音と称される。
楊貴妃は、唐の玄宗皇帝の妃であり、また世界三大美人のひとりとして名高い。

「泉涌寺道」のバス停から緩やかな上り坂を登りきったところに泉涌寺境内へ入る大門があった。 
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この大門をくぐると、今の京都とは思えないほど静寂に包まれている。
散策する人はちらほら。
左手に楊貴妃観音堂がある。
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手入れの行き届いた庭には楊貴妃桜が咲いていた。
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大門から下った所に仏殿(本堂)が見える。
緩やかな下り坂となっている。
参道を進むに従って、その仏殿が次第に大きく迫り、やがて見上げる大きな建物であることを実感する。
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桜越しに見える仏殿。
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仏殿の背後に舎利殿、本坊の順に並んでいる。
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本坊の御座所は見学可能となっていた。
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内部は写真撮影禁止となっていた。
現在の天皇陛下、秋篠宮が訪れた時の写真が飾られていた。
天皇の御座所から見た庭は池を中心とした美しい風景。
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次は東寺に行ってみる。
いつも新幹線から五重塔が見えるお寺だ。
東寺は延暦13年(794)桓武天皇が長岡京から平安京への遷都のとき、都の鎮護のために創建された歴史あるお寺。
平安京の大内裏(平安宮)から延びる幅員85mの朱雀大路の南端に都の出入口として羅城門が作られ、そこに王城鎮護のために東側に東寺(別名・西寺、左大寺)、西側に西寺(別名・右寺、右大寺。廃寺)が建設された随一の官寺。
平安京内の官寺はこの二つのみで、東寺は平安京の左京と東日本の守り寺とされた。
バス停そばの慶賀門から中に入る。
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入ると直ぐに校倉作りの宝蔵が建っている。
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桜に映える山燈籠
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桜と五重塔。
写生をしている人達がちらほら。
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御影堂に咲いていた美しい満開の桜。
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今日の最後は上賀茂神社
上賀茂神社は、上賀茂の賀茂川に架かる御薗橋の東にある。
(鴨川の上流を賀茂川と言う。カモの字が異なる。)
正式社名は賀茂別雷(かもわけいかづち)神社で、祭神は賀茂別雷神(かもわけいかづちのかみ)。
バス停から御薗橋を亘る時に見えた川岸の桜。
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一の鳥居を潜ると一面芝生の明るい広場が広がる。
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広場に斉王桜と呼ばれている紅枝垂桜が咲いていた。
美しい。
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その隣に、御所桜と呼ばれる対比的に白い枝垂桜が咲いていた。
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風流桜と呼ばれるこれも紅枝垂桜。
まだ、咲き始め。
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細殿
その前に円錐形の一対の立砂が作られていた。
この立砂は、神代の時代、神が降臨したと伝える神山(こうやま)を模したもので、神社の北2kmほどのところにある。
立砂の頂点には神が降臨するための目印として松葉が挿されている。
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御物忌川(おものいかわ)に架かる朱色の反り橋は玉橋と呼ばれる。
神事の際に神官がわたるだけで、一般の人は渡れない。
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一般の人が渡れる片岡橋と御物忌川。
上賀茂神社は平安時代には和歌の神として信仰を集めている。
4月12日には加茂曲水の宴が開かれると言う。
この小さな川の上流で行われるのかな~~~~?
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今日はポカポカ陽気の中満開の桜を見ながら洛南から洛北まで散策した。
祇園祭では下鴨神社へ行ってみたが、初めて上加茂神社へ行く事も出来た。
そろそろ、桜見物を終わりにするか~~?