OLAF’S Diary in 京都 (’09/4/3 奈良駆け巡り②法隆寺・薬師寺)

午後からは法隆寺・薬師寺を巡る。
平城京の中心部分。
午前中の奈良公園付近とは趣が異なるか?


まづは法隆寺へ。
こちらには、鹿はいない。
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長い参道が続きます。
落ち着いたたたずまい。
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中門です。
奥に大きな五重塔が見えます。
西院伽藍の本来の入口となる中門の深く覆いかぶさった軒、その下の組物や勾欄、それを支えるエンタシスの柱、いずれも飛鳥建築の粋を集めたものです。
重厚な扉と左右に立つ金剛力士像(奈良時代)は、日本に残っている最古のものです。
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回廊の桜が美しい。
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五重塔です。
桜越しに見る塔は何とも言えないものです。
塔は釈尊の遺骨を奉安するためのものであり、仏教寺院において最も重要な建物とされています。
高さは約31.5メートルで、わが国最古の五重塔として知られています。
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金堂です。
法隆寺のご本尊を安置する聖なる殿堂です。
威風堂々としたこの建物の中には、聖徳太子のために造られた金銅釈迦三尊像(飛鳥時代)、その左右には太子の父である用明天皇のために造られた金銅薬師如来座像(飛鳥時代)、母である穴穂部間人皇后のために造られた金銅阿弥陀如来座像(鎌倉時代)、それを守護するように樟で造られたわが国最古の四天王像(白鳳時代)が、邪鬼の背に静かに立っています。
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龍や邪鬼が彫られた柱が目立ちます。
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長い回廊が続いてそこに咲く桜が美しい。
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夢殿(国宝)を見に行きます。
旧一万円札の透かしに描かれている有名な建物です。
奈良時代の建立の八角円堂。
東院伽藍へ向かいます。
四脚門へ行く途中は桜が綺麗でした。
東院伽藍は聖徳太子一族の住居であった斑鳩宮の跡に建立されました。
回廊で囲まれた中に八角円堂の夢殿が建ち、回廊南面には礼堂、北面には絵殿及び舎利殿があり、絵殿及び舎利殿の北に接して伝法堂が建っています。
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夢殿です。
堂内に聖徳太子の等身像とされる救世観音像を安置されています。
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夢殿の周りの回廊には、桜が満開でした。
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午後の部、最後は薬師寺です。
薬師寺は「法相宗[ほっそうしゅう]」の大本山です。
天武天皇により発願(680)、持統天皇によって本尊開眼(697)、更に文武天皇の御代に至り、飛鳥の地において堂宇の完成を見ました。
その後、平城遷都(710)に伴い現在地に移されたものです。(718)
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中門です。
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金堂です。
修ニ会の最中でした。
修二会とは奈良の大寺が国家の繁栄と五穀豊穣、万民豊楽などを祈る春の行事です。修ニ会とある通り、この法要は2月に行われるのですが、薬師寺の場合は旧暦の2月末に行われていた事から、そのまま新暦に直して3月30日から4月5日にかけて行われています。
春先に東大寺に修二会お水取りという俗称がついたように薬師寺修二会には十種の造花がご本尊に供えられるところから「花会式」と呼ばれ、「奈良に春を告げる行事」として親しまれています。
赤い絨毯と旗が目立ちます。
金堂は享禄元年(1528)この地域の豪族の戦火に巻きこまれ、西塔などと共に焼け落ちてしまいました。
その後、豊臣家が金堂の仮堂を建て、その後本格的な金堂の再建に取りかかる筈でしたが、豊臣家滅亡などの事情で400年近く仮堂のままの状態でした。
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東塔です。
塔は本来お釈迦様のお墓を意味します。
インドで梵語のストゥーパが音訳されて卒塔婆[そとうば]となり、それが塔婆、更には塔と表現されるようになりました。
お釈迦様のご遺骨(仏舎利[ぶっしゃり])を埋葬して盛り土をしたものが原型です。
その塔婆を遠くからでも拝めるように、また尊敬の気持ちから、より高い台の上にお祀りするようになったのです。
薬師寺東塔は一見六重に見えますが、実は三重の塔です。
これは各層に裳階[もこし]と言われる小さい屋根があるためで、この大小の屋根の重なりが律動的な美しさをかもし出し「凍れる音楽」という愛称で親しまれています。
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西塔です。
西塔は昭和56年(1981)に復興されました。
東塔と比較すると、まずその鮮やかな色に目を奪われますが、またそれは奈良を表わす色使いでもあると言えます。
塔の連子窓[れんじまど]に使われている色を「青[あお]」色、扉や柱に使われている色を「丹[に]」色と呼び、万葉集の一節に

あおによし ならのみやこは さくはなの におうがごとく いまさかりなり
と歌われている事からも当時の平城京の華やかさを表現する意味もあったのではないかと思われます。
「青丹良し」とは奈良の枕ことばを意味するのです。
色はもちろん連子窓の有無や屋根の反り、基檀の高さ等、東塔との違いが多く見られまが、(例えば、東塔の連子窓は、度重なる修復時に白壁に変えられています。)まさにその違いこそが1300年という歴史の流れを表しているのです。
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大講堂は正面41m、奥行20m、高さは約17mあり伽藍最大の建造物です。
大講堂が金堂より大きいのは古代伽藍の通則で、これは南都仏教が教学を重んじ講堂に大勢の学僧が参集して経典を講讃したためです。
金堂の本尊薬師如来像が持統天皇の病気平癒の願いを込め天武天皇が発願されたのはよく知られるところで、いわば薬師寺白鳳伽藍は、天武・持統二代の天皇の夫婦愛が、それぞれ金堂と大講堂にこめられているのです。
大講堂は現在の建築基準法に合わせ現代の技法を取り入れながら伝統工法による復元建築で、最大級の建物です。
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鐘楼です。
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台座の模型が飾ってありました。
この台座には 色々な文様や四神、異人像が刻まれた見事な作品で、このようなユニー
クな台座は薬師寺以外ではお目に掛かれないでしょう。
上框にギリシャの葡萄唐草文、周囲にはペルシャの蓮華文、中框にインドのヤクシ
ャ像、下框には四方を鎮護する中国の四方神(東に青竜、南に朱雀、西に白虎、北に玄
武)で、ギリシャからペルシャ、インド、中国を経て薬師寺に到着、シルクロードの終
着地が「古都奈良」の証でしょう。
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塔の上層部を相輪[そうりん]といいます。
その更に上部に尊い塔が火災にあわぬようにとの願いをこめて、水煙が祀られています。
水煙に透かし彫りされた24人の飛天は笛を奏で、花を蒔き、衣を翻し、祈りを捧げる姿で、晴れ渡った大空にみ仏を讃えています。
この模型が飾ってありました。
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回廊には桜が咲いていてハッとさせられる。
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玄奘三蔵院伽藍が最後の見学場所です。
玄奘三蔵院[げんじょうさんぞう](600または602~664)は、『西遊記』で有名な中国唐時代の歴史上の僧侶です。
17年間にわたりインドでの勉学を終え、帰国後は持ち帰られた経典の翻訳に専念、その数1335巻に及びます。
薬師寺も玄奘三蔵と深いご縁のある事から、遺徳を顕彰するため全日本仏教会より昭和56年(1981)にご分骨を拝受し、平成3年(1991)玄奘三蔵院伽藍を建立しました。
平成12年(2000)12月31日に平山郁夫画伯が入魂された、玄奘三蔵求法の旅をたどる「大唐西域壁画」は、玄奘塔北側にある大唐西域壁画殿にお祀りしています。
大変に素晴らしいものでした。
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一日で奈良を走り回りました。
東大寺と言い、法隆寺と言い圧倒されました。
平城京の時代は、平安京の時代より雅さはないが、男性的で納得のいくものでした。