OLAF’S Diary in 京都 (’09/4/3 奈良駆け巡り①東大寺・春日大社・興福寺)

今日は平安京では無くもうひと昔前の平城京の奈良を駆け巡って来ることにした。
京都から奈良までは近鉄で50分程度。
ウイークデイなので通勤のサラリーマンさん等で電車は混雑。
この人たちに交じって、奈良へ。


朝、飛び起きて朝食も摂らず奈良へ。
幸い晴天。
午前中は奈良公園周辺のお寺を巡る。

最初は東大寺
聖武天皇が皇太子供養のため建立した金鐘寺が東大寺の始まりと言われている。
この辺は鹿だらけ。
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南大門 (国宝) の威容に圧倒される。
これは、東大寺の正門。
現在の門は鎌倉時代、東大寺を復興した重源上人(ちょうげんしょうにん)が再建したもの。
大仏殿にふさわしいわが国最大の山門だ。
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金剛力士立像(国宝)が両側から睨みをきかせている。
高さ8.4メートルの巨大な木像。
門の向かって右に吽形(うんぎょう、口を閉じた像)、左に阿形(あぎょう、口を開いた像)が安置されている。
これは一般的な仁王像の安置方法とは左右逆であるそうだ。
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また屋根裏まで達する大円柱18本は、21mにも及び、門の高さは基壇上25.46mもあるという。
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鏡池と中門
その奥に大仏殿がそびえ立っている。
「中門(ちゅうもん)」は南大門とは違って、江戸時代に再建された「和様建築」です。
南大門が仁王門で中門は二天門となり兜跋毘沙門天像と持国天像が安置されている。
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大仏殿 (国宝) は、東大寺の金堂で、創建は奈良時代。
現在の建物は、この当時のもので、その後兵火に遭うこともなく明治を迎えたが、痛みが激しく、軒は副柱で辛うじて支えられているという状態のため、明治39年(1906)から解体工事に着手し、6年をかけて内部に鉄骨を用いて補強するなど新しい工法が加えられている。
さらに昭和47年(1972)から昭和大修理が行なわれ、55年(1980)に落慶法要が盛大に営まれ、現在に至っている。
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回廊と桜。
桜がより美しく見える。
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大仏殿に入ると大仏の左右に脇侍として如意輪観音坐像・虚空蔵菩薩坐像(重文)が目に入って来る。
これらの像は大仏(銅造)とは異なり木造である。
京都の仏師山本順慶一門と、大坂の仏師椿井賢慶一門らにより、30数年をかけて制作されたもので、江戸時代の代表的な仏教彫刻である。
如意輪観音像は元文3年(1738年)頃の完成、虚空蔵菩薩像は遅れて宝暦2年(1752年)の完成。
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金銅八角燈籠(国宝) が大仏殿の正面に立っている。
たびたび修理されているが、基本的には奈良時代創建時のものだそうだ。
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次は春日大社を散策する。
春日大社は、平城京の守護の為に創建された御社で本殿向って右(東)から、第一殿 茨城県の鹿島神宮から迎えられた武甕槌命(タケミカヅチのミコト)、第二殿 千葉県の香取神宮から迎えられた経津主命(フツヌシのミコト)、第三殿 天児屋根命(アメノコヤネのミコト)と第四殿 比売神(ヒメガミ)は大阪府枚岡(ひらおか)神社から、それぞれ春日の地に迎えて祀られている。
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二の鳥居をくぐって本殿へ。
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階段の両側には色々な形の御間型灯籠(おあいがたとうろう)が寄進されている。
なんでも全部で三千本以上あるそうだ。
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南門のそばに桜が咲いていた。
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神楽殿で舞が奉納されていた。
雅楽隊の演奏で巫女さんが舞う。
洋楽には無い旋律と優雅な動き。
心洗われる思いだ。
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内侍殿から御廊をむすぶ渡り階段、古くは登廊と呼ばれていた建物です。
その周りには釣り灯籠が下がっています。
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ここでも御間型灯籠(おあいがたとうろう)が目立ちます。
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夫婦大國社に桜が咲いています。
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午前中最後は興福寺
710年、平城遷都の際に、藤原不比等(ふひと)が飛鳥にあった厩坂寺(うまやさかでら)を移築し、興福寺に改名。
法相宗の大本山。
五重塔と東金堂(共に国宝)が迎えてくれます。
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南円堂 (国宝) が立っています。
伽藍西方に建つ八角円堂で、わが国に現存する八角円堂のなかでは最もその姿が美しい。
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東金堂 (国宝) です。
五重塔の北にある建物。
神亀3年(726)に聖武天皇が叔母にあたる元正太上天皇の病気平癒を祈り、薬師を本尊として創建された。
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松と五重塔です。
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桜の木の下で鹿がポーズをとってました。
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午前中は奈良公園付近の有名な寺と神社を駆け巡りました。
やはり、東大寺が圧倒的存在感でした。
午後は法隆寺へ行ってみます。