OLAF思い出のアルバム(’87/7 北九州の旅)

ちょうど20年前、OLAF一家は夏休みを利用して、2泊3日の北九州ツアーに出かけた。これは、その時の思い出の写真集。
7月21日の朝7時の便で羽田を出発。
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福岡空港から観光バスで、水前寺公園へ行く。

水前寺公園

水前寺成趣園(すいぜんじじょうじゅえん)は細川御歴代を祀る出水神社の敷地内に、おおよそ360年前に造られた庭園である。
細川忠利、光尚、綱利の3代にわたって造園された庭園で桃山式池泉回遊庭園です。
阿蘇の湧水で作られた池を中心にして、東海道五十三次を模したみごとな庭園であり、国の名勝、史跡に指定されています。
筑山、浮石、松の木が巧みに配され、池のほとりには京都から移築した茶屋「古今伝授の間」がある。
「長寿の水」は石の水盤に流水されていますが、この水盤はもともとは朝鮮の京城城門の柱の礎石であったといい、「袈裟」の銘が残っています。
細川忠興公が大いに愛され庭に置き日夕賞玩されていたという貴重なものです。

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ツアーお馴染みの集合記念写真。
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OLAF陰になって顔が見えないヨ!

熊本城
日本三名城の一つに数えられる熊本城は、天正16年(1588)、肥後半国の領主として熊本に本拠を置いた加藤清正によって築かれました。
築城は慶長6年(1601)に始まり、同12年(1607)に完成したといわれています。
城郭は周囲9Km(築城当時)、広さ約98万平方メートルで、その中に天守3、櫓49、櫓門18、城門29を持つ豪壮雄大な構えです。
なかでも「武者返し」と呼ばれる美しい曲線を描く石垣は有名です。
また自然の地形を巧みに利用した独特の築城技術がみられます。
この城は以後、加藤家2代(44年)、細川家11代(239年)の居城となりました。
明治10年(1877)の西南の役に際しては、薩軍を相手に50日余も籠城し、難攻不落の城として真価を発揮しました。
しかし薩軍総攻撃の2日前、原因不明の出火により天守閣など主要な建物を焼失。現在の天守閣は昭和35年(1960)、熊本市によって再建されたものです。


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阿蘇山
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これで今日の観光終了。阿蘇白雲山荘が今日の宿泊ホテル。
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翌日の朝。ホテルを出発。一日バス観光。

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宇土から天草五橋を通って鬼池へ。

三角ノ瀬戸に架かる天草五橋の中では最大の支間300mの天草五橋1号橋(天門橋)
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天草四郎の銅像
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寛永14年(1637年)10月の幕府のキリシタン禁止令により多くの殉教者がでた。ここ天草や島原でも農民がキリシタン弾圧と過酷な年貢のとりたてに蜂起し戦いをおこした。これが「天草・島原の戦い」である。大矢野島で生まれた天草四郎は、「天草・島原の戦い」で農民側の盟主として幕府軍と戦った。このとき四郎はわずか16歳の美少年であった。

鬼池からフェリーで長崎へ。

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カステラのお土産屋さん。
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長崎市内のチンチン電車。
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タクシーで眼鏡橋を見に行く。
昭和35年(1960)に国指定重要文化財に指定されている石造りの二連アーチは、確かに古さを感じさせます。日本最古の眼鏡橋となっていて、寛永11年(1634)に架設されました。これまでの洪水に耐え、修復されて現在まで保存されてきました。
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夕食はホテルで卓袱料理。
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平和公園
原爆落下の中心地とその北側に世界平和を願って造られた公園である。
公園中央に立つブロンズ像は高さ9.7m重さ30t 天を指す右手は原爆の脅威を水平に伸ばした左手は平和を示し、閉じた目は原爆犠牲者の冥福を祈る姿という。
公園内には水を求めてさまよった少女の手記がきざまれた「平和の泉」や世界各国から贈られた平和の像建ちならび、世界恒久平和を願う長崎市のシンボルゾーンとなっている。
毎年8月9日には、平和祈念像の前で原爆で亡くなった約7万5000人の人々の慰霊祭と平和記念式典が行われる。

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大浦天主堂
慶応元年(1865)に大浦天主堂が完成し、ここ浦上の潜伏キリシタンはプチジャン神父に「私どももあなたと同じ信仰をもつ者です」と打ち明け「潜伏信徒発見」という歴史的な事件となりました。
しかし、まだキリシタン禁制中のできごとであり、浦上の信徒3400人ばかりは流罪となりました。
この事件は外交問題となり明治政府は明治6年(1873)にキリシタン禁制を解くことになりました。
信仰の自由を得た浦上の信者たちの33年に及ぶ奉仕で大正15年に立派な天主堂が完成しました。
赤レンガ造りのロマネスク式の教会は当時東洋一と言われていましたが、昭和20年の原爆で8500人の信者とともに失われてしまいました。
現在の天主堂は昭和34年、往時のものと同じロマネスク式で再建されたもので、天主堂に上る道の両側には原爆で焼かれた天使像が並んでいます。

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グラバー園
その昔、グラバー園一帯(南山手)は、出島や東山手とともに外国人の居留地だったところで、園内には当時からの洋館や、市中から移築復元された由緒ある洋館が点在し、ありし日のおもかげを今に伝えています。
このグラバー邸は文久3年(1863)に建てられた日本で最も古い木造洋風建築物です。
江戸末期には長州藩は幕府から睨まれており武器を購入することができなかった。
坂本竜馬は自分のつくった日本最初の株式会社と言われている亀山社中を通して薩摩藩名義で武器を購入し長州藩に横流しする方法を思いつき、最新銃4300丁と旧式銃3000丁をこのグラバー商会から購入した。
この銃が第二次長州征伐である四境戦争などで大活躍し長州藩を勝利に導き明治維新を成し遂げる大きな原動力となったのです。このグラバー邸は坂本龍馬や伊藤俊輔、井上聞多などが出入りした記念すべき建物なのです。

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ボーリング日本発祥の地

長崎・大浦の居留地では、かれこれ140年も前に、外国人がボウリングを楽しんでいた。
わが国で初めてボウリング場ができ、ボウリングが始まったのは長崎である。
長崎シッピング・リスト&アドバタイザーという1861年(文久元)の英字新聞に、ボウリング場の広告がある。
インターナショナル・ボウリング・サロンが広馬場ストリートにオープンしました、最高級ワインなど酒いろいろを格安で提供しますという、ヘンリー・ギブソン名の広告。
オランダ通り商店街から弁天橋の電車通りに出る右角辺りがその跡になる。
日本ボウリング場協会はこの広告の日付、6月22日をボウリングの日と定め、居留地の一角の松が枝町に平成2年(1990)「わが国ボウリング発祥の地」の碑を建てた。

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西海橋を通って有田へ。
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大村湾の入り口に架る西海橋。日本三大急流で有名な伊ノ浦(針尾)瀬戸に大きなアーチを描いて架かる橋。
この西海橋の建設は古く1955年(昭和30年)である。
当時の日本最先端の技術を投入して建設され、建設当時は東洋一、世界第三位のアーチ橋であった。
この橋を造るにあたり、数々の新工法が開発され、日本の橋梁技術の水準を高めるのに大きく貢献した。これらの技術で自信を付けた技術陣は1962年に 若戸大橋、1973年に関門大橋、本四架橋と次々に長大橋を架設していった。
そういう意味では長大橋建設の一つのモデルとなった橋であり日本長大橋の元祖と言える橋です。


有田焼きの窯元で
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後は福岡空港から、羽田へ。
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この当時は飛行機は未だ喫煙席が有ったのだ。今はもう無い!残念。

色々盛り沢山のツアーでした。でも、2泊3日でこんなに一杯見られるのはツアーだからこそ。
楽しかったナ~~~~。