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zoom RSS OLAFの江戸吉原おいらん道中見物(’17年4月8日浅草観音うら)

<<   作成日時 : 2017/04/09 23:25   >>

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”一葉桜まつり・江戸吉原おいらん道中”が行われると言う記事をネットで見つけ早速見に行く事にした。
雨天順延と書いてあるので天候が気になった。


朝6時に起きると雨が降っている。
おいらん道中は1時半出発。
心配になって問い合わせ先の実行委員会の事務局へTELしてみる。
自動音声で「今日は行います。但し、天候の激変の場合には中止になる事も有ります。」との事。
心配しながらも傘を持って11時頃に出かける。

花魁道中とはネットによると
吉原風俗を代表する「花魁道中」は、もともと客に呼ばれて遊女が揚屋(あげや)入りすることをいい、 遊女が花魁と呼ばれる宝暦(1751〜64)以前からずっと行われていました。
揚屋とは、宝暦頃まで存在した客と遊女の遊びを取り持つ見世のことで宝暦以後は引手茶屋へとかわっていきます。
この「道中」という言葉について『吉原大全』は、「道中といふ事は、女郎揚屋又は中の町へ出るをいふ。
たとえば江戸丁の女郎京屋へ至り、 京丁の女郎江戸屋へ出るなど、 各々遠方へ旅立をする心持に比して、道中の名ここに起る」と記しており、遊女の一行が、江戸(町)からも京(町)からもやってくることを、東海道の上り下りに擬して「道中」と呼び慣わしたものだそうです。
自分専用の寝具や、着替え、客の接待用具などいってみれば、旅行に行くような大荷物を運びますので、 「道中」なんですね。
「道中」手形とか東海「道中」膝栗毛などにも見られるます。
吉原の場合、「おはぐろどぶ」という堀に囲まれた「たて245m・横328m、20,760坪」の世界です。
外八文字で這うように歩いてもたかが知れています。
中央通のすぐ右側にある七軒が高級な茶屋(揚屋)で、「七軒茶屋」と呼ばれていたそうです。
花魁道中はいわば、ファッションショーのようなものだったそうです。
手の届かない庶民に自分の美しさを誇る為に、今で言うモンローウォークで見せびらかすのです。
また、プライドの塊だったそうですし、気に入らない客は断ることもあるくらいですから、 呼ばれてホイホイ出かけていっては舐められてしまいます。
上客といえども、わざとゆっくり歩いて、 焦らすのも目的ではないでしょうか。
道中の時刻は点灯頃からで、 先頭に若い者が箱提灯を持って歩き、 次に二人の禿(花魁見習い雑用の稚児)が行き、 禿の次に主人公の花魁が外八文字(そとはちもんじ)を踏みながら歩を進め、そのあとに二人の新造がついて行きます。

との事。

(ネットより転載)
浮世絵による花魁。
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浮世絵による花魁道中。
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台東区浅草・一葉桜小松橋通りへ1時頃到着。
開始まで沿道で待つ。
桜が未だ2分咲程度かな・・・
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時間より少し遅れて道中は始まった。

行列の最初を歩くのは鳶。
町火消の墨田区を管轄していた4番組。
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スタートに当たり木遣を歌った。
副組頭が音頭を取っていた。
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吉原神社は、新吉原遊郭の四隅に祀られていた四稲荷社と、地主神である玄徳稲荷社を合祀して明治5年に創建、昭和10年吉原弁財天を合祀したといいます。

行列は「雅屋」さんが受け持っていた。
この「雅屋」さんは
日本の伝統芸能である歌舞伎を軸にしたアトラクションをご用意しております。
歌舞伎の面白いエッセンスを型から正しく凝縮し、より多くの皆様に喜んでいただけるように、
出張歌舞伎のスタイルで、ご希望の場所、会場へ伺います。
との事がネットで分りました。

歌舞伎をモチーフにした行列です。
連獅子の姿です。
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いよいよ本格的な花魁道中の行列が始まりました。
最初は金棒引き・露払いの男衆です。
花魁を先導する役割でありますが、もともとは夜の見回り、安全確認をしていた人だそう。
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さらにその後続くのが、手古舞(てこまい)と呼ばれる方々です。
明らかに女性なのですが、なんとなく男っぽい身なりにはちゃんと理由があります。
江戸時代に、山車(だし)を先導する芸者というのがおり、それが男装をしていたことがスタートなのだそう。
手古舞も、男衆同様に金属の棒を持っています。
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いよいよ花魁が出てきました。
「象潟」、「ぞうがた」ではなく「さきかた」と読みます。
花魁の名前が入った提灯も持ちあるくのが、「提灯持ち」。
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次は禿(かむろ)です。
太夫など上級遊女の身の回りの世話をした10歳以下の童女。
花魁道中の先導も勤めていました。
将来は遊女です。
太夫は禿の衣食住一切の費用を持つこととなり、上級遊女しか禿を持つことが出来ませんでした。
花魁よりも若々しく、可愛らしいイメージの2人です。
この「禿(かむろ)」は、花魁見習いである少女たち。
花魁の見習いとしてそばに付き、勉強中の身です。
手に持っているものはたばことキセル。あの細長いキセルをくわえ、「フー」っと煙をはくのは、実際の花魁の姿なのです。
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花魁が続きます。
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美しさだけでなく、教養や知性、さらに30キロもの衣装や装飾を身にまとう体力も必要としたという花魁。
半端ありません。
円を書く様な歩き方は外八文字といわれ、会得するのに三年かかるといわれているほど。
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二組目の花魁が出てきました。
「藤浪」です。
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傘持ちの男衆が大きな傘を後ろからさしかけています。
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肩貸の男衆の肩に手を置いて外八文字で歩きます。
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続いては振袖新造の行列です。
禿が15歳前後になると、振袖を着ていることからそのような呼ばれ方をしました。
遊女見習でまだお客は取りません。
「振袖新造」は禿の中でも将来太夫になれることを約束された女の子でいわばエリートです。
容姿が美しく、芸事など楼主からみっちり仕込まれます。
また、いつも太夫の近くにいて、太夫の仕草・お客とのやり取りなどを勉強しました。
また、姉太夫に馴染み客が重なった場合、「名代」として太夫の代わりにお客と添い寝をするのも大切な仕事でした。
お客は振袖新造には手を出してはいけませんでした。
また、お客は結局朝まで太夫が来なくても、料金はきちんと支払い、文句を言うのは野暮とされていました。
振袖新造は17歳で正式な遊女となり、将来は太夫となっていきます。
振袖新造のデビューは「突出し」と言います。
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番頭新造です。
マネージャー役をしてたようです。
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最後は「吉原の狐舞ひ」でした。
お狐様が信仰されていた吉原。
通常は獅子舞が舞う12月31日や元旦に、ここでは狐が舞っていたのだそう。
その文化を今に伝えるための社中である吉原狐社中です。
動きがコミカルで尚且つ美しいです。
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行列を見た後浅浅草寺まで歩いた。
ランチを食べていない。
チョットビールでも飲みながらランチとした。

面白いイベントだった。
でも、浅草寺まで歩いて行く途中雨が降り始めた。

ステージで花魁ショーを見せた後、又戻りの道中が有ると言う。
しかし、雨で中止のなったのではないかナ??

晴れている時に見られてラッキー!

浅草浅草寺界隈は何時もの様に外国人だらけ。
お花見も今日で終わりかな?

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