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zoom RSS OLAFの春の瀬戸内紀行ツアーF(’17年4月20〜23日小豆島、道後温泉)

<<   作成日時 : 2017/04/27 16:08   >>

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(前ブログからの続き)
今日は松山城を見学し、しまなみ海道を渡り岡山から新幹線で東京へ戻る。
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天気は良さそうだ。


昨日バスガイドさんが
「営業しながら」10年工事で、道後温泉本館耐震補強工事をする方針が確定した。
と説明してくれた。
”道後温泉本館の耐震補強工事などを検討する松山市道後温泉活性化計画審議会(柏谷増男会長)は4日、入浴客を受け入れながら工事を進める工事計画基本方針を野志克仁松山市長に答申した。
審議会は、工事期間中の観光客や入浴客減少を防ぐ観点から、本館の一部営業を続けながら耐震補強工事などを進める方式を答申。
文化財的価値を損なわない耐震工事とし、工事期間中の交通規制と作業効率性を勘案しながら工事計画を策定するよう要望した。
工期について、柏谷会長は「(観光業者らの)利害関係のなかで進めていくため、10年前後(7〜13年)」と話した。
作業スペースの広さによっては周辺の交通渋滞が発生したり、そのために工期の延長につながるおそれもあるという。
工事着手時期は、えひめ国体終了後の来年10月以降で、新たな温泉施設(椿の湯別館)の整備が完了した後が望ましいとしている。
市は今年度中に、工事計画や工期、事業費など基本設計をとりまとめ、工事実施計画を策定する。
国指定重要文化財の道後温泉本館は、初代道後湯之町町長の伊佐庭(いさにわ)如矢(ゆきや)が明治27(1894)年に木造三層楼に改築。
その後122年が経過している。

周囲は目隠しをされてしまうので入るなら今が最後のチャンスだと思うので朝6時に入りに行く。
ホテルの湯籠と下駄で出発。
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Gの道後温泉本館前に並ぶ。
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6時に開場の太鼓がならされる。
それを合図に温泉へ。
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なにも珍しい温泉では無かったが、掛け流し、無加水、無加温で入り易く温まった。
ボチャンと入るからぼっちゃん温泉の名前が付いたとも・・・

帰って朝食。
ブッフェスタイル。
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ロビーのお土産屋。
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ロビー。
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H松山城見学。
松山城は、日本で最後の完全な城郭建築(桃山文化様式)として、層塔型天守の完成した構造形式を示していると言われています。
城郭建築は桃山文化の象徴です。
武家諸法度により新たな(天守の)築城や増改築が禁止されたため、江戸時代を通じて作事(建築)技術は衰えていったと考えられています。
しかしながら、幕末に落成した松山城天守は見る方向によって意匠が異なる複雑かつ厳重な連立式の構成となっており、本壇の石垣部分の普請(土木)技術を含め完全な桃山文化様式の技法といえます。
江戸幕府の武家諸法度は、天守の新築はもとより増改築も厳しく取り締まっていたため、天災などで失った天守の再建を断念した城郭もありました。
しかも、将軍家の居城であった江戸城や大坂城の天守も再建されることがなかったため、何とか再建の許しを得ても幕府に遠慮して「御三階櫓」と名乗ったりするご時世でした。
このような中、落雷で焼失した天守を幕末に松山城が再建できたのは不思議ともいえます

平山城。
丘や山の上部に本丸を置き、その周辺の平地を利用して二之丸などを築き、城郭として一体化したものをいいます。
山城の特徴である守りの堅固さと平城の特徴である居館・政庁としての利便性を併せ持つ手法と言われています。
現存12天守では、備中松山城が山城、松本城が平城で、それ以外はすべて平山城となっています(松山城は二之丸から本丸までの比高でも約90mもあることから、江戸時代には山城と分類されていたようです)。

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ロープウエー・リフト東雲駅から乗車。
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上りは皆同時に到着の必要があるのでロープウエーで行く。
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長者ヶ平(山頂)駅で降りて、筒井門跡を歩いて天守閣方面へ歩く。
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武者返しが素晴らしい筒井門東続櫓。
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戸無門。
松山城の本丸広場への南側からの順路にあたる、江戸時代に建造された重要文化財の門です。
この門は築城当時から門扉がなく、敵を防備の要である筒井門へ誘いこむための戦略的な意味合いで設置されたとみられています。
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筒井門と隠門。
城の防備を固める上で、最も重要堅固な意味合いを持つのが筒井門と隠門です。
戸無門を通過して、目に付くのは筒井門で、その奥にある隠門は分かり難くしています。
これは、侵入者の注意を筒井門に向けさせ、そこを破ろうとする敵を隠門から打ち出て、背後から襲う戦略とみられています。
これら門の上には続櫓があり、松山城の守りの堅牢さを象徴するものとなっています(隠門とその続櫓は江戸時代の建造で、重要文化財の指定を受けています)。
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太鼓門・太鼓櫓。
太鼓門・同南北続櫓・太鼓櫓・巽櫓は1つの防御単位を構成し、高さ約5mの石垣に一線に構築され、筒井門から本丸南腰郭に侵入してくる敵に備えています。
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天守(重要文化財)・小天守。
天守は三重三階地下一階の層塔型天守で、黒船来航の翌年落成した江戸時代最後の完全な城郭建築です。
小天守は、二重櫓、小天守東櫓とも呼ばれ、大手(正面)の二之丸・三之丸方面を監視防衛する重要な位置にあります。
天守、小天守、隅櫓を渡櫓で互いに結び、武備に徹したこの天守建造物群は、わが国の代表的な連立式天守を備えた城郭といわれています。
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天神櫓。
卯歳櫓、東隅櫓とも呼ばれ具足櫓でありましたが、後に本壇の鬼門(東北隅)にあたるため、城の安泰を祈り久松松平氏の祖先神である天神(菅原道真)を祭ったのでこの名称です。
全国的にあまり例のない寺社建築の正面扉(しとみど)を有する櫓となっています。
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石落とし(いしおとし)は、日本の城の建築に設置された防御用開口部のこと。
下方に開口し、おもに真下方向にいる標的を攻撃する用途で使われる。
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一ノ門・一ノ門南櫓(重要文化財)。
一ノ門は天守に通じる本壇入口を守る門で、木割も大きく豪放な構えとなっています。
形式は上方からの攻撃が容易な高麗門で、二ノ門との間は枡形という方形空間となっていて小天守・一ノ門南櫓・二ノ門南櫓・三ノ門南櫓の四方から攻撃できます。
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三の門。
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筋鉄門。
筋鉄門は櫓門で、天守玄関がある中庭を防衛する重要な門です。
この門の櫓は小天守と天守のをつなぎ、三ノ門から侵入する敵の正面を射撃する構えとなっています。
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狭間。
狭間(さま)とは、おもに日本の城の天守や櫓の壁面、塀などに開けてある防御用の穴や窓のこと。銃眼、砲門とも。内側から外側に向かって円形・三角形・正角形・長方形などの穴が開けられており、戦闘の際はそこから弓矢や鉄砲などで攻撃した。
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南隅櫓。
申酉小天守とも呼ばれ、 天守に次ぐ格式をもつ櫓です。
十間廊下は天守の搦手(裏手)にあたる西側の乾門方面 を防衛する重要な櫓であって、北隅櫓と南隅櫓を連結する渡櫓でもあります。
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天守閣内に入る。
色々な展示物が見られる。
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各種鎧が飾られていた。
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刀、槍等が飾られていた。
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天守鯱雛型。
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侍の似顔絵。
平成16年10月から平成18年11月まで、松山城の重要文化財である天守などを保全するための大規模な修復工事が行われました。
これは、白ありによる被害の拡大や年数経過による瓦や壁などの傷みが大きくなったためで「平成の大改修」とも言われました。
この工事の過程で発見されたのが、江戸時代に下見板の裏面へ墨で描いたと思われる侍の似顔絵です。
この板が使われていた場所(天守の2階)から推測すると、焼失後の天守本壇の再建時(1848年〜1854年)の落書きだと考えられています。
また、ここに描かれているのは誰なのかは分かりませんが、上から見た侍が紋の付いた「かみしも」を着用していることから、工事の指揮・監督をしていた作事奉行かもしれません。
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狭間。
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上棟式に使った弓矢。
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天守閣から今まで歩いてきた広場を眺める。
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記念写真を撮れる場所で記念写真をパチリ。
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天守閣からシャチホコが眺められた。
重要文化財である天守は、平成16年から平成18年にかけて大改修を行いました。
松山城の「しゃちほこ」の材質は瓦ですが、標高約160mの位置で風雨や寒暖にさらされているため、81年目で交替しました。現存天守の築城が1854年であることを考え合わせると、今回の「しゃちほこ」は3〜4代目といったところでしょうか。
新調されたしゃちほこの愛称を平成18年に全国へ公募したところ、南側(一ノ門から見える方)のしゃちほこが「天丸」、北側のしゃちほこが「まつ姫」と命名されました。
この一対のしゃちほこが松山城のてっぺんから松山を見守っています。
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筋鉄門。
筋鉄門は櫓門で、天守玄関がある中庭を防衛する重要な門です。
この門の櫓は小天守と天守のをつなぎ、三ノ門から侵入する敵の正面を射撃する構えとなっています。
此処からロープウエー・リフト乗り場まで戻る。
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帰りはゴンドラで下りる。
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なかなか見どころの多い松山城見学だった。
いよいよこれからしまなみ海道を渡って帰路につく。
(次ブログへ続く)

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