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zoom RSS OLAFの初詣 (’17年1月2日 雑司ヶ谷鬼子母神)

<<   作成日時 : 2017/01/04 17:00   >>

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今年の初詣は東京にいるので1月1日に何時もの素盞雄大神へ行った。
午前中早かったので未だ空いていた。
今日2日は今まで初詣には行った事の無い雑司ケ谷の鬼子母神へ行く事にした。
昔、鬼子母神には行った事があるが、お正月はどんな雰囲気なのだろうか?


ネットによると
”鬼子母神堂は法明寺というお寺のお堂の一つです。
法明寺はこの鬼子母神堂よりも南にあり、少し場所が離れているところから、鬼子母神があるのは法明寺の「飛び地境内」です。
このお堂に祀られているご本尊は「鬼子母神」。
この鬼子母神が安産・子育ての神様として信仰されているのにはこのような言い伝えがあるからと言われています。
「鬼子母神はもともと500人(千人とも一万人とも言われる)の子供を産んでいた。
しかし、とても狂暴な性格で幼児を捕まえては食べていたりしていたので周りから恐れられていた。
お釈迦様はそんな鬼子母神を救うため、一番愛情を注いでいた末っ子を隠す。
鬼子母神は泣きながら世界を7周して探すも見つからなかった。
お釈迦様はそんな鬼子母神に「一人の子供を失う事がどれだけ苦しいことかわかったでしょう。
あなたが子供を食べる時、その親の気持ちを考えなさい」と言うと、鬼子母神は今までの過ちを認め、安産・子育ての神になることを誓って神となり、人々に信仰されるようになった。」”
と言うお寺のお堂と言う事だそうです。

都電の鬼子母神前駅で下車。
直ぐに参道に繋がっています。
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かなり初詣に行く人が多そうだ。
開創から数えると約1200年、現在の威光山法明寺に寺号を改めてからも約700年という長い歴史を持つこのお寺。
都電荒川線「鬼子母神前」駅から広がる参道のケヤキ並木は、古いもので樹齢400年。
東京都指定の天然記念物ですが、現在では若木を補いながら江戸の旧観維持を保っています。
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お堂へはかなりの長い人の列が出来ていた。
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入口の柱に鬼子母神由来のザクロの彫り物が付いていました。
ザクロの実をみると1つの実の中に又たくさんの小さな実があり、その一つひとつがそれぞれに小さな種を持っています。
それで、ザクロは古くから子孫繁栄をあらわす縁起のよい果物として「吉祥果」ともいわれています。
鬼子母神はこのザクロの枝を手に持つっています。
そのザクロが入口の柱に掘られていました。
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左右に石の仁王像がお堂を護っています。
この二像は丈と幅が同寸といわれる珍しいお姿で、もと、盛南山という寺の観音堂にあったものが寄進されたと伝えられています。
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手洗い場で手を浄めました。
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鬼子母尊神が祀られる本殿に近づいてきました。
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鬼子母神が刻まれています。
何か鬼の字が変です。
鬼子母神はお釈迦様とお会いになる前、まさに鬼のような事をしてきました。
しかし、お釈迦様の教えを受け、改心し鬼ではなくなったのです。
そのことをあらわすため、“鬼”の字の一画めの点すなわち「ツノ」を取った字を使うのです。

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境内の一角で名物の「すすきみみずく」を売っていました。
テントが出ています。
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「すすきみみずく」の由来はネットによると
”むかしあるところに、“おくめ”という女の子がいました
おくめは母親と2人暮らし。
とても貧しく、家の中には小さないろりと、粗末なうつわくらいしかありません。
しかし、お母さんはいつも、工夫をこらしたおいしいご飯を作ってくれました。
「お母さんのご飯を食べると、なんだか体がぽかぽかしてくるよ。」
そう言って目をかがやかせるおくめに、お母さんは優しくほほえみかけます。
貧しくても2人は幸せでした。
ところが、あるときお母さんの具合が急に悪くなり、
寝込んでしまったのです。
おくめはいっしょうけんめい看病しましたが、
いっこうによくなりません。
「お母さん、私が薬を買ってくるから、待っててね。」
そう言って飛び出してきたものの、おくめの小さな手には、ほんの数枚の小銭があるばかり。
とても薬なんて買えません。
薬草をさがして、あたりのやぶに分け入ってみても、おいしげったススキのするどい葉に、手足を切きつけられるだけ。
病気に効きそうな薬草は見当たりません。
途方にくれて、ふらふらと歩き続けたおくめは、気がつくと、鬼子母神堂の前にきていました。
夕日に染まって赤くかがやく鬼子母神の石像を眺めていると、とめどもなく、涙があふれてきました。
「どうか、お母さんを助けて下さい。」
その日から毎日、おくめは鬼子母神堂にお参りするようになりました。
参道入口の百度石とお堂との間を、一日に百回往復しながら、おくめはひたすら、お母さんの病気がよくなるようにと祈りつづけました。
雨の日も、風の日も、おくめのお参りは続きました。
それから、ちょうど百日目。
空は高く、はだざむい風も吹き始め、季節はいつしか秋になっていました。
連日のお参りで、まめだらけになった足を引きずりながら、おくめはその日も百度のお参りを終えました。
よほど疲れていたのでしょう。
あたりのものがだんだんぼんやりとしてきたかと思うと、その場に座りこんでしまいました。
ふと気がつくと、目の前に美しいチョウが舞っています。
不思議なことに、そのチョウが話しかけてくるではありませんか。
「このお堂のまわりを見てごらん。」
言われるままに見回しても、
ただ、ススキが風に吹かれてゆれているだけ。
「何があるの?」
いぶかるおくめに「ススキだよ。」と答えると、チョウは、「それを一束かりとってごらん。」
と言いました。
おくめが言われるままに、ススキをかりとってくると、チョウは、「その穂をたばねて、こうして曲げて?。」
おくめはチョウが言うとおり、ススキを曲げたり、折ったり、結んだりしていきました。
するとどうでしょう。
かわいらしいススキのミミズクができあがったのです。
「さあ、これをたくさん作って、お参りの人たちに分けておあげなさい。
みんな、きっと喜んでくれるでしょう。」
「分かりました。」
できあがったススキミミズクにみとれながら、おくめが応えると、そこにはもうチョウの姿はありませんでした。
不思議な感覚におそわれながらも、おくめはさっそく、ススキでミミズクを作りました。
ススキミミズクは、参詣の人々にたいそう喜ばれました。
「このミミズクは、鬼子母神様のお守りだ。」
いつの間にか、そんな話が広がって、ススキミミズクは飛ぶように売れていきました。
おくめはそのお金で薬を買い、お母さんのところへ飛んで帰りました。
薬を飲んだお母さんは、日に日に顔色がよくなっていきました。
「きっと鬼子母神様が私たちを助けて下さったのよ。
お母さん、今度一緒にお礼を言いに行こうね。」
やがてお母さんの病気もすっかり治り、以前のような暮らしができるようになりました。
ある晴れた日、おくめはお母さんの手を引いて、再び鬼子母神堂を訪れました。
暖かい日差しが2人をつつみ、空は青く澄みわたっていました。
こうして2人は、いつまでも仲よく幸せに暮らしたのです。”

とこんな由来の話です。
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大黒堂の前で「おせん団子」を売っていました。
この汚染団子は”鬼子母神に千人の子供がいたことにあやかり、たくさんの子宝に恵まれるようにという願いに由来しています。
江戸時代には参詣の人々が境内で休むとき、また鬼子母神詣での土産として親しまれました。”
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金剛不動尊を安置した法不動(のりふどう)堂。
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上川口屋さん。
日本最古の駄菓子屋さんです。
境内に有りました。
若い人が面白がって買っていました。
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境内の大公孫樹(おおいちょう)は樹齢約700年といわれ、今も樹勢は止まることを知りません。
東京都の指定天然記念物となっています。
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お守りとして、魔除けの土鈴を頂いてきました。
やはり、ザクロが印刷されていました。
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初詣で行ったのは初めてだったが、なかなか面白い所だった。

土鈴は音を選んで頂いてきたので、良い音がする。
手作りなのか、土鈴によって音が少しづつ違う。

鬼子母神の由来なども今回色々知ることが出来た。

「ザクロは人肉の味がする。」と言われていて、鬼子母神は改心してもその味が忘れられなくザクロがシンボルになっていると聞いた事があったがそうでは無かった。
鬼子母神の子育て守りの他、子孫繁栄のお守りであった。

節分の種まきは「福は内」のみで「鬼は外。」は言わないと聞いた事が有るが今度は節分に来てみたい。

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