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zoom RSS OLAFの江戸城外濠史跡ウォーキングツアー参加(’16年2月26日 牛込、市ヶ谷、四谷見附) 

<<   作成日時 : 2016/03/02 14:30   >>

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半日、4kmの江戸城外濠史跡ウオーキングツアーがあると、ネットで見つけ早速行ってみることにした。
江戸城の跡地は見て歩いたことは有ったが、あまり良く分らなかった。
(皇居東御苑散策のブログ)
http://olaf-mama.at.webry.info/201005/article_3.html
今回は歴史をよく知っている専門家が案内してくれると言う。


9時半に飯田橋駅集合。
合計11名が参加者だ。
男女半々ぐらいだった。

一緒に歩いてくれる専門家から説明が始まる。
「江戸城には三十六見附が有りました。
江戸城三十六見附とは、江戸城門に置かれた見附(見張り番所)のうちの目ぼしい36か所を挙げたものです。
見附とは、本来、街道の分岐点など交通の要所に置かれた見張り所に由来する言葉で、城門を警護する番兵が通行人を見張る場所のことを言い、とくに、枡形をもつ城門の監視場所を指しました。
現在も四谷見附・赤坂見附など、地名として残っています。」
との事。
知らなかった。
「今日は牛込見附門から赤坂御門跡まで、散策します。」
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配ってくれた地図。
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牛込見附石垣。
「JR飯田橋駅西口からすぐのところにある、牛込見附跡は江戸城内郭外郭の城門で、この牛込見附は寛永16年(1639年)に建造されました。
田安門から上州道への要衝にあたり、別名「楓の御門」とも呼ばれていたそうです。 2つの門を直角に配置したいわゆる枡形門でしたが、明治35年(1902年)に撤去されました。
現在は、わずかに石垣の一部が道路の両側に対の形で残されています。」
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(ネットより転載)
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「江戸城の外郭門は、敵の進入を発見し、防ぐために「見附」と呼ばれ、足元の図のように二つの門を直角に配置した「枡形門」という形式をとっています。」
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「正面とうしろの石垣は、江戸城外郭門のひとつである牛込見附の一部です。」
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「この牛込見附は外堀が完成した1636年に阿波徳島藩蜂須賀忠英(松平阿波守)によって石垣が建設されました。
これを示すように石垣の一部に「松平阿波守」と刻まれた石が発見され、向い側の石垣の脇に保存されています。」
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説明を聞いてから外濠に沿って歩き始めた。
「桜並木の間に松が生えています。
これは籠城した時に食料として使った様です。」
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次は市ヶ谷御門橋台です。
「この石垣石は、江戸城外堀跡の市ヶ谷御門橋台に築かれたいた石垣の一部です。
市ヶ谷御門の桝形は現存しておりませんが、橋台の石垣は、現在もその一部が外堀通りの下に保存されています。
この石垣石に刻まれている刻印は、江戸時代初期に御手伝普請で石垣を築いた大名家や職人の印と考えられています。」
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(ネットより転載)
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次は四谷御門跡です。
「甲州街道の玄関口。
防衛上の要地。
現在の新四谷見附橋が当時の城門に架かる橋で、今は左側城郭部分のみが残っている。
四谷門から大木戸へ続く「四谷大通」は、甲州街道、青梅街道へと繋がり、甲信地方との往来のほか、近郊農村から生活物資を運ぶための主要道路であった。
また地下には多摩川の水を引いた玉川上水の石樋(本菅)が埋設されており、四谷門の手前で三つに分水され、江戸城の本丸、吹上などに水が送られていたのである。」
(ネットより転載)
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四ツ谷駅。
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左側城郭部分。
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四ッ谷駅を跨ぐ四谷見附橋から喰違見附までの間が四谷濠(真田濠)ですが、この区間は完全に埋め立てられ、上智大学のグラウンドになっています。
ただ、外堀の形だけは残っているので、かつての風景を想像することはできます。
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ここから再び濠の内縁の土手上は遊歩道となり、次の喰違見附まで続きます。
この敷地は江戸時代には尾張徳川家の屋敷でした。
また、濠の対岸の高台は紀伊徳川家の上屋敷跡で今は迎賓館や赤坂御用地になっています。
土手の遊歩道の終点が喰違見附跡。江戸城の城門の中でも最高地点に位置する門です。
ここは枡形門ではなく、道がクランク状になっていたため喰違門と呼ばれたわけです。
現在はS字カーブになっています。
ここで濠は喰違橋の土手によって仕切られ、この先には再び水面が現われます。
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喰違門(くいちがいもん)は、江戸城外郭城門のひとつである。四谷門と赤坂門との間にあった。
清水坂から紀州家中屋敷に行く喰違土手の前に当たることからの名であるという。
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ホテルニューオータニ(井伊家中屋敷跡)でトイレストップ。
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イヌマキとカヤ。
「イヌマキ」と「カヤ」の2本は、ともに天明年間(1780年代)からこの地に生育していたものと考えられ、江戸時代から伝わる貴重な樹木として、千代田区の天然記念物に指定されています。
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清水谷公園。
清水谷公園は、 麹町区(現千代田区)清水谷に建てられていた大久保利通遭難記念敷地一帯が、同碑建設発起人から寄贈されたのを受け、当時の東京市が明治22年(1861)5月都市計画を決定し、 明治23年3月に開園しました。
公園のある辺り一帯は、江戸時代の紀伊家、井伊家の屋敷境にあり 、この境が谷であったことと、 紀伊家屋敷内に霊水(清水)が湧き出ていたことから、 清水谷と呼ばれていました。 「清水谷公園」の名は、 この地名から付けられました。開園当時は、 自然の地形を残した背景と、 藤、桜など四季折々の風情があり、 花見の時期は賑わったようです。
現在も、中央の大久保公の追悼碑を囲んで、多くの樹木が配置されています。
園内には、江戸時代の水道に使われていた玉川上水石枡が展示されていて、水にゆかりの深いところだったことが分かります。
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最後は赤坂御門跡です。
江戸時代のこの門は、現在の神奈川県の大山に参拝する大山道の重要な地点であり、当時は敵の侵入を見付ける為の門として設置されていた。
現在も残っている石垣は、江戸城外郭門のひとつである赤坂御門の一部で、この周辺は「江戸城外堀跡」として国の史跡にも指定されています。
「赤坂門は寛永13年(1636)筑前国福岡藩主の黒田忠之が築いた。
赤坂門は地盤の軟弱な低地を避けた高台にあり、西の弁慶濠と南の溜池との水位差を保つため土橋を築いたので枡形門に付属する橋はない。」
(ネットより転載)
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最後は日枝神社。
今年の干支は【申】。
日枝神社の神使は猿。
猿は「えん(縁)」とも読め、縁結びのご利益があると、近年では女性の参拝者も多く訪れています。
オフィス街のど真ん中にありながら大手企業の社用参拝も多く、東京有数の「パワースポット」としても知られています。
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仁王様ではなく猿。
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お参り。
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狛犬ではなく此処にも猿。
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紅梅、白梅。
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一万三千歩の散策終了。
専門家がいて良く分った。
こんな歴史が有ったのも初めて認識した。

まだまだ、見附散策は出来そうだ。

次回は一人で浅草見附辺りから歩いてみようかナ・・・

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