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zoom RSS OLAFの深川七福神巡り (’13年1月6日 )

<<   作成日時 : 2013/01/07 16:43   >>

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七福神巡りとは、大黒天、恵比寿神、毘沙門天、寿老神、福禄寿、布袋尊、弁財天の七つの神様を祀っている寺社をめぐってお参りすることです。
江戸時代から続いている風習なのだ。
七福神巡りができる所は日本各地に数多くあるのですが、その中から東京の下町の雰囲気がたっぷり残っている深川の七福神巡りをしてこよう。


1月6日は冬休み最後の日曜日なので混雑しているかもしれない。
でも、今日は昼間は昨日より暖かくなりそうだと言う。
京都では初詣を何か所もしたので、東京では七福神巡りをすることにした。
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地下鉄で門前仲町へ。
そこから七福神巡り開始。

富岡八幡宮から出発。
富岡八幡宮は江戸最大の八幡さまとして親しまれており、江戸相撲発祥の地として、境内には横綱力士碑、大関力士碑が建立されています。
まだ初詣の人達で混雑していた。
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参道にはやはり両側に露店が並んでいた。
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行列が出来ていた。
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富岡八幡宮境内の西側に恵比須神があります。
恵比須宮に奉祀されています。
エビス神は烏帽子をかぶり、狩衣を着て、右手に釣竿を持ち、左手に鯛を抱き、岩の上に座った姿をしておられます。
最初は、航海安全の神として信仰されてきましたが、のちに商売繁盛の神として、ひろく信仰されるようになりました。
エビス顔といわれるように、笑顔愛敬、和顔愛語の福徳を人に授け、かつ富財の神として、信仰されてきました。また釣り関係の人々の信仰もさかんであります。
一月十日を初えびす、十日戎ともいい、九日を宵戎、十一日を残り戎といって、西宮神社を中心として、関西にさかんであります。
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富岡八幡宮を後にして、首都高速9号深川線の下をくぐります。
そのまま歩いて冬木交差点から葛西橋通りをちょっと歩いた所にあるのが、冬木弁天堂です。
富岡八幡宮とは違って、とても小さなお寺です。
ここは七福神の中ではインドの神様で、唯一の女神である弁財天を祀っています。

冬木弁天堂は、江戸時代の木場の材木商、冬木弥平次が深川周辺に屋敷を建てる際に弁財天を安置するお堂を建てたのが始まりと言われています。
お堂の周辺すべてが冬木家の屋敷だったことから、今でも冬木という地名が残っているのだとか。
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葛西橋通りを歩いて心行寺へ向かうのですが、途中の深川一丁目交差点を曲がった所に面白いお寺があるので、ちょっと立ち寄ってみましょう。
七福神巡りはちょっと一休み。

お寺の名前は法乗院。
別の名を深川えんま堂と言い、名前のとおり地獄の大王である閻魔(えんま)大王を祀るお寺です。

参拝の方法もユニークで、日本最大の閻魔大王座像が鎮座している前には賽銭箱があるのですが、お賽銭を納める口が19個に分かれています。
1個ごとに家内安全やぼけ封じなど目的別になっていて、お賽銭を納めると目的にあわせた説法が聞けるという不思議なお寺なのでした
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また七福神巡りに戻ります。
深川一丁目交差点から清澄通りを歩き、3番目の七福神がいる心行寺(しんぎょうじ)に到着です。
冬木弁天堂からは歩いて約5分の距離です。
ここにいらっしゃる七福神は中国の神様である長寿の神様、福禄寿です。
福禄寿は境内にある六角堂の中に安置されています。
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福禄寿は、背たけが低く、頭がきわめて長く、白髪童顔の姿をし、年齢数千年といわれ長寿をつかさどる福神、杖を右手に、左に長命の鳥、鶴を従え長命と円満な人格を人々に授ける福神であります。
また福(幸福)と禄(財)と寿(長命)の三つの福徳を授ける神ともいわれてきました。
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次は大黒天が祀られている円珠院(えんしゅいん)へ。
心行寺からは清澄通りを清澄白河に向かって歩きます。

清澄通りが少し左にカーブするあたりから、右手の細い道にに入っていきます。
このあたりにはたくさんの寺社がありますが、その中の一つが円珠院。
心行寺からは約10分の距離です。

円珠院に祀られている大黒天は、インドの神様で財宝糧食の神様です。
にこやかに微笑まれている大黒天のお顔を見ているとホッとしますね。
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円珠院から次の七福神が祀られている龍光院までは、約10分の距離。平野二丁目交差点を左折し、三好三丁目交差点を左折したすぐ先にあります。
龍光院に祀られている七福神は、毘沙門天。
毘沙門天はわが国では仏教守護から転じて、国土守護の武神として、とくに武将の間に信仰されるようになりましたが、中でも上杉謙信が毘沙門天を守護神としてあがめ「毘沙門の申し子」といわれたことや、志貴山の毘沙門天に祈願してうまれた楠正茂が、幼名を多聞丸と名づけられたことなどは、あまりにも有名です。
勇気と授福の神様です。
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ジュウガツサクラが咲いていた。
花が4月上旬頃と10月頃の年2回開花する。
花は十数枚で、花弁の縁が薄く紅色になる。
また萼筒が紅色でつぼ型である。
春は開花期に新芽も見られる。
また、春のほうが花は大きい。
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布袋尊を祀る深川稲荷神社。
交差点の角にあるとても小さな神社です。
龍光院からは少し離れていて15分ほど歩きます。

清澄通りを横断し、途中で右折して清洲橋通りも横断し、街の中へ。
もうすぐ小名木川という小さな交差点の角に深川稲荷神社があります。とても小さなお社ですね。
祀られているのは布袋尊。中国の実在する高僧と言われていて、清廉潔白、大気度量を授けて下さるとのことです。
布袋尊は、中国五代のころ、浙江省奉化県に実在した契此という高僧といわれています。
大きな袋を持ち、これに食べ物や日常品を入れ、杖をたずさえ、大きな団扇を手にし、身体は低いが、腹は太鼓腹、半裸身、粗衣をまとい、常に笑顔、清貧にあまんじ、諸国を遊行し、子供と遊び、酒脱、楽天的な和尚として親しまれてきました。また人の吉凶、時の晴雨を予知したといわれました。後梁貞明二年(916年)三月三日、高齢をもって寂したが、年齢は不詳とされています。
中国において、布袋尊を弥勒菩薩の化身として、一般に信仰せられ、画像に描き、彫塑に刻まれ、あるいは置物として、ひろく親しまれるようになり、わが国に伝来し、清廉潔白、大気度量を人々に授ける福神として、禅画や置物までなって親しまれ、信仰されるようになりました
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いよいよ七福神巡りも大詰め。最後は深川神明宮です。
深川稲荷神社からは、小名木川を萬年橋で渡って芭蕉記念館の手前を右折し、徒歩約10分です。

深川神明宮は、深川において創立の最も古い神社であります。
大阪摂津の深川八郎右衛門が、この付近に、深川村を開拓し、その鎮守の宮として、慶長元年(一五九六年)伊勢皇大神宮の御分霊をまつって創建しました。
徳川家康が、この村に来て、村名を尋ねたがないので、深川八郎右衛門の姓をとって、深川村と命名せよといわれた由以来深川村が発展し、深川地区の各町に冠せられたりし、深川の地名のもとになりました。

7番目の七福神となる寿老神は、深川神明宮の境内にある寿老神社に祀られています。

寿老神は、寿老人とも書き、中国道教の神であります。
また中国の老子の化身の神ともいわれています。
寿老神は、白髪長寿の老人の姿をして、杖を手にし、杖には人命の長寿を記した巻物を吊し、鹿を伴っています。鹿は、長寿を司る寿老神の神使とされています。
寿老神は、人に延命長寿の福徳を授ける福神として、信仰されてきました。

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今から二百八十余年前の享保年間、徳川幕府八代将軍吉宗の時代、時の町奉公大岡越前守忠相が施策として打ち出した「江戸の町は、江戸庶民の力で守らせる」という自衛・自治の精神に根ざした「いろは四十八組」
など、六十四組の町火消が創設されたと言われています。
その後明治維新によって「市部消防組」と名を改め
るなど、幾たびか所属を移しながら「江戸火消」の実働隊である消防組の組織も、昭和十四年に警防団の発足
と共に解散し、その長い歴史に幕を閉じました。江戸火消の「意気」と「いなせ」、さらには纏振り、梯子乗
りの技術、木遣りなど火消文化が同時に消えてしまうことを危惧し、昭和二十九年に社団法人江戸消防記念会
が発足されました。
江戸火消から承継されている技術文化には、木遣り・纏振り・梯子乗りなどがあります。

新年祭がおこわれ、三番組による木遣り と 纏振りの奉納がありました。
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三本締めで終了。
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今日は確か出初式だった。
それを終わって、三番組は此処へ来たのであろう。

タイミングが最高だった。

無事に七福神巡りが終了した。

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