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zoom RSS OLAFの能楽鑑賞 (’11年11月18日 定例公演 狂言:宗論 能:通小町)

<<   作成日時 : 2011/11/19 15:52   >>

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今月は能楽鑑賞は2回目だ。
11月3日に”国民文化祭in京都”のイベントの一つに能楽の祭典があった。
今まで京都の能楽堂で能を見た事は無かった。
人生で初めて京都の金剛能楽堂での能楽を鑑賞してきた。
(ブログ)
http://olaf-mama.at.webry.info/201111/article_6.html


今日は何時もの国立能楽堂の定例公演だ。
6時半開演。
何時ものようにプログラム売り場は人が沢山。
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やはり、国立能楽堂は京都の金剛能楽堂より数段広い。
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初めの狂言は宗論(しゅうろん)。

あらすじ
身延山へ参詣した本国寺の法華憎と善光寺へ参詣した黒谷の浄土憎とが婦りに道連れになり、互いに宗旨換えをせまります。
宿に入って宗論をしますが、いずれも法文をでたらめに説き、相手を論破することができません。
ひと寝入りしたあと、2人は競り合って読経をし、はては踊念仏・踊り題目をするうち、念仏と題目を取り違え、法華も浄土も変りはなく、釈迦の教えに隔てはないと悟ります。

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(Netより転載)
当時の民衆のイメージからか、法華僧は一本気で強情な直情型(浄土僧は「情強者」といっています)、 浄土僧は陰性で理屈っぽい分別型として描かれています。
法華僧は浄土僧のことを「黒豆数え」といっていますが、これは「南無阿弥陀仏」の六字を唯一絶対の文字としてあがめているのをからかったものか、または黒玉の数珠を爪繰っているのをあざけっていったものでしょう。
法華僧をいたぶる浄土僧のいやらしさ,寝るときのしぐさ、宗論で床を打つ扇の強さ、読経のリズムなどに現れるキャラクターの対比がとても面白い狂言でした。

20分の中休みです。
中庭のモミジは未だ紅葉していません。
もう少しでライトアップされた紅葉が見られるでしょう。
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能 は通小町(かよいこまち)替装束(かえしょうぞく)です。

あらすじは、八瀬の里で修行する僧のもとへ毎日木の実や薪を持って来る女がいました。
今日もいつものように女が来て木の実づくしの物語などをしますが、僧に素性を問われると「小野とはいはじ薄(すすき)生ひけり」とだけ口ずさみ、姿を消してしまいます。
僧は小野小町の幽霊だろうと察し、市原野に出掛け、小町の亡き跡を弔います。
すると薄(すすき)の中から小町の亡霊が現れ、受戒を請います。
すると続いて深草少将の亡霊が現れ、小町の成仏を妨げ、共に愛欲の地獄に留まろうと小町の成仏を妨げます。
少将は生前小町に百夜通いを求められ、雨の夜も雪の夜も小町の指示通りに身をやつした姿で小町を慕って通い続けたが、九十九夜目に思いを果たせぬまま死んでしまったのでした。
そこで僧は二人に受戒を勧め、懺悔としてかつての百夜通いの有様を再現するように説きます。
少将は百夜通いの様子を狂おしく再現して見せ、やがて二人とも一念の悟りによって共に成仏します。

(写真はNetより転載)
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かたじけなきおん喩えなれどもいかなれば悉達太子は。
浄飯王の都を出で。檀特山のさがしき道。
菜摘み水汲み.薪とりどり。様様におん身をやつし。
仙人に仕え給いしぞかし。
いわんやこれは賎の女の。
摘みならいたる根芹若菜。
わが身をだにも知らぬほど。
賎しくかろきこの身なれば。
重しとは持たぬ.薪なり。
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小町は、熱心に求愛してくる深草の少将を諦めさせようと「百夜続けて自分の屋敷の榻(牛車を立てかける台)に通うことができれば思いを叶える」と大変な条件を告げる。
少将はそれを本気に取って毎晩通い続け、小町が「牛車は人目につくから、姿をやつして来て下さい」と言えば、馬にも乗らず裸足で蓑笠を着け、竹の杖を持って歩いて通った。
月の夜は道も明るいが、雪には袖を打ち払い、雨の夜は目に見えない鬼に一口に喰われるのではと恐れ、曇らぬときにも我が身一人に涙の雨が降る。
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「痩男」といわれる面を使用します
「痩男」も面によって多少の違いはありますが、基本的にはこの写真の面のように、眼がくぼみ、頬の筋肉は落ちて頬骨は高く突き出し、眉もひげの毛髪もとても弱々しく、憔悴しきった死相ただよう顔立ちをしています。
また眼球に金具がはめられた眼の表情からは、死後の世界までも苦しみから解放されない、そんな様子が感じられます。
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小野小町と言うと京都へ行ったときに小野小町住居跡のお寺、随心院へ”はねず踊り”を見に行ったことを思い出した。
その時のパンフによると

昔、深草少将がこの地に住まっていた小野小町を慕うあまりに、百夜通いの悲願を込めて通い続けた。
それにもかかわらず九十九日目の大雪の夜についに代人を仕立てたのが運のつきで、少将にはもはや小町の姿を求めることは出来なくなった。
その後の小町は、毎年「はねず」(薄紅色のことを古くは「はねず」といい、 このお寺の梅も同じ名で呼ばれていた。)の咲く頃を老いの身も忘れたように里の子供たちと楽しい日々を過ごしたという。
はねず踊りは、この隨心院に伝わる小野小町の伝説を主題としたものであるが、童謡や民謡の性質上、これがいつの頃から歌われ踊られたかを知る由もない。
なにかこの能に表現されたような幽霊になる様な感じではない?

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(思い出の京都のブログ)
http://olaf-mama.at.webry.info/200904/article_1.html

また「深草少将の邸宅」址の欣浄寺(ごんじょうじ)へ行った事もある。
場所は伏見。
ここから山科の小野小町の住居、随心院まで通ったとは凄い話だ。
境内には「小町姿見の池」があり、池の畔には少将と小野小町の供養塔や、深草少将遺愛の墨染井があった。

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(思い出の京都のブログ)
http://olaf-mama.at.webry.info/201004/article_7.html

能を見ていると京都の散策で行った場所が思い出され、京都の凄さを益々感じてくる。

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