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zoom RSS OLAFの日本橋川クルーズA (’11年10月9日 お手軽な”ぽけかる倶楽部”のツアー参加)

<<   作成日時 : 2011/10/11 10:57   >>

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(前ブログからの続き)
お手軽日帰りツアーを手掛けている「ぽけかる倶楽部」の「日本橋川クルーズ&榮太樓總本舗にてのご昼食」ツアーの記録です。
前ブログでは、榮太樓總本舗で「お赤飯お重」(金鍔(きんつば)のデザート付き)のお昼ご飯を食べ、その後、日本橋を中心に歴史散策、日本橋南詰めの船着場から船に乗り、日本橋川を下り、一旦、霊岸橋付近で、亀島川に少しだけ入りUターンした記録を載せました。
今回はその続きです。


また日本橋川に戻り、川下へ船は進みます。
湊  橋( Rアーチ橋 昭和03年)です。
帆船のマークが付いていました。
なんでも、橋が作られた時点、では両岸ともに他の陸地とは川を隔てた島であり、湊橋はいうなれば、2つの「江戸のウォーターフロントの最前線に位置する島」を結ぶ橋だったそうです。
上方から酒樽が運び込まれる前線だった様です。
その帆船がマークになっていました。
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日本橋川の最後の豊海橋です。
この先は隅田川です。
日本橋川の第一橋梁である豊海橋は、梯子を横にしたような構造はフィーレンディール橋と呼ばれ、永代橋との景観上のバランスを考慮してレトロなデザインと白とブルー(欄干部分)の組み合わせで設計されたそうです。
シンプルなデザインのなかに鋲止形式という古い形態を残し、重量感のある鉄骨橋梁の代表例として貴重です。
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隅田川に出ると東京スカイツリーが見えました。
川幅も広がり波も高いです。
直ぐに日本橋川へ戻り今度は上って行きます。


日本橋まで戻ってくると三越が川から良く見えます。
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更に上ると東京証券所のマークが良く見えます。
川から見る姿は初めてです。
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現在、常盤橋は「常盤橋」「旧常磐橋」「新常盤橋」の3つあります。
歩行者専用の旧常磐橋 (石造アーチ橋 明治10年)です。
その前に新しい常盤橋がありました。
”ときわ”の字が違います。
”皿”では割れやすいと言うことで”石”になっていました。
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その上にはJRの常盤橋が架かっています。
新幹線、中央線、京浜東北線の三本が架かっています。
京浜東北線が通って行きました。
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国鉄のマークが残っていました。
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一ツ橋 (S単純鈑桁橋 大正14年)手前です。
内堀川に架かる見附橋です。
徳川家康が江戸城に入った頃は、大きな丸木が一本架けられていて、その名で呼ばれていたといいます。
一ツ橋付近はもともと日本橋川と小石川(現在の白山通り)の合流地点であり、合流点をあらわす「ひとつ」がこの地点に架かる橋の名称、さらにこの付近の地名になったとも。
日本橋川の石垣が数少なくなってきていますが、この石垣に江戸の名残を見ることができます。
錦橋から一ツ橋からキジ橋の間は乱積と言われる石組みが残されている。
江戸時代の初期に日本橋川の整備を担当した大名家の印が残っている石垣も見らるそうです。
(判りませんでした・・・)
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クルーズ最後の雉子橋(Sアーチ橋 大正14年)です。
毎日新聞社の裏手で地下鉄竹橋駅の南側にかかる橋です。
流れは外堀、神田川に向けて北上します。
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ここでユーターン。
日本橋へ戻ります。

日本橋の下です。
関東大震災のときの船火災の跡です。
橋の下をくぐったからこそわかりました。
それでも持ちこたえた唯一の橋だったということでした。

橋の真ん中についていた名盤が取れていました。
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此処にも獅子が付いていました。
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このクルーズで東京オリンピックに向け突貫工事で作った高速道路が東京の掘割の上に作られていることが良く理解できた。

日本橋川の上は高速道路の下側であった。
太陽が当たないクルーズ。
これはこれでまた趣があって良い。

一時間のクルーズであったが面白かった。
最近他のクルーズも企画されている様なのでまた参加してみようかな・・・

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