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zoom RSS OLAFの能楽鑑賞(’11年9月7日 定例公園 狂言:真奪(しんばい) 能:芭蕉(ばしょう))

<<   作成日時 : 2011/09/07 21:06   >>

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大型台風12号の大きな被害の爪あとが生々しく、未だ全容解明も終わっていない今日でしたが、東京は秋晴れの良い天気。
8月は親子能楽教室等で面白いプログラムが無かったので国立能楽堂へ能楽鑑賞には行かなかった。
9月から通常のプログラムに戻ったので早速予約してあった定例公演に行ってきた。


12時開演。
久し振りに国立能楽堂へ。
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ネットでプリントアウトした予約票をチケット売り場で入場チケットに交換。
早速能楽堂の中に入る。
既に何人か入場の準備をしていた。
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何時もの様にプログラム売り場は混んでいる。
歌舞伎と違って9月分の公演総てが載っている。
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今日は正面席で前から2列目。
良い座席が取れている。
面の表情も良く見える席で見やすい。
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9月のパンフレット。
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今日の演目は初めは、狂言の真奪(しんばい)

あらすじは

主従「立花の流行ることおびただしい」が、近く会があるので真を探しに東山へ行くことにします。
(いけばなの 一種、立花で中心となる 枝を真と言うそうです)
二人が歩いているとちょうどその真を持った男がやって来るという幸運。
男は立花の真として良いものを持ってきてくれと頼まれ、届けに行く途中です。
太郎冠者はこれを見つけて早速に手に入れようとします。
主人はいったんは止めるものの、太郎冠者は早速のところ男に真を譲ってくれと交渉を始めます。
「主人は見ての通り立派な人物なので礼は存分に」などと言いますが、約束のある男は真を譲ろうとはしません。
結局、真を巡って奪い合いになり、太郎冠者は男から真を奪い取りますが、持っていた主人の太刀は男の手に残ってしまいます。
太郎冠者は真を得たことを主人に報告。
主人も喜びますが「太刀はどうした」と冠者に問いかけます。
ここで太刀を男に渡してしまったことに気付きますが、既に男は太刀を持って行ってしまった後。
主従は男を捜すことにします。
男は太刀を持ってやって来ます。
これに主人が組み付いて後から羽交い締め。
まんまと太刀を取り返し、さらに太郎冠者に男を痛め付けるよう命じますが、太郎冠者は口ばかりでなかなかうまくいきません。
男を縛れと命ぜられ、縄をなう始末。泥縄の言葉どおりを演じてみせる次第。
ドタバタの末に、縄をない終えた太郎冠者は主人の後から縄を掛けようとして、主人を縛ってしまい、男はまんまと逃げ果せたという形になっています。

同じ様な筋書きの狂言を見たことを思い出しました。

嵯峨清涼寺大念仏でした。

歴史的には、この狂言は鎌倉時代に円覚上人が見るだけでわかりやすく庶民に仏法を説く手段として始まったとされる。
大念仏狂言(だいねんぶつきょうげん)とは、融通念仏(大念仏)の中興者である円覚上人による念仏の教えを無言劇としたものです。

(そのブログ)
http://olaf-mama.at.webry.info/201104/article_4.html

演目は「花盗人」。
あらすじは、説明書によると以下の様なものだ。
旦那とお供が花を眺め、花を切って帰ろうとするが、切った花を泥棒に取られてしまう。
旦那が考えて、お供に縄をなわし、自分が泥棒を捕まえる。
お供は泥棒を縛ろうとするが、間違って旦那を縛り、泥棒を逃がしてしまう。
旦那が怒って横づちを振り上げお供を追い立てて退場する。「泥縄」と言い、ドジで「間違って主人を縛ってしまう」ようなところは同じでした。


短い狂言「真奪(しんばい)」でしたが面白く笑える演目でした。

ここで、20分の休憩。
今日は展示室は閉っていて展示は無かった。(残念!!)

中庭は未だ夏の景色。
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次は能 「芭蕉(ばしょう)」。

あらすじは、
楚国(中国)の小水という所の山中に住んで修行する僧が、夜読経する時に庵室のあたりで人の気配がするので、今夜は名を尋ねようと思い、読経を始めると、女が月下に現れ、仏法結縁のために庵をお借りしたいと言います。
女は女人成仏、草木成仏の功徳を語り、僧は薬草喩品を読誦します。
女は自分が芭蕉の精であることをほのめかして去っていきます。

<中入>

僧は土地の者から、鹿を射て芭蕉で覆い隠したが、その場所を忘れてしまい夢と思って諦めたという芭蕉の故事を聞きます。
僧が先ほどの女の話をすると、土地の者は法華経の読誦を勧めます。僧が月の光の下、読経をしていると芭蕉の精が現れて、女体に化身していることを不審に思い尋ねる僧に芭蕉の精が女体である謂れを話します。
芭蕉の精は非情草木の成仏を説き、諸法実相を詠嘆して舞を舞います。
そして、風の前の芭蕉の姿を見せたと思うと、夢のように消えてしまいました。

芭蕉という植物は中国原産のバショウ科の多年草で姿はバナナに似ています。
中国南部から渡来し、平安朝から親しまれていたようです。
夏には長く大きな葉を広げ、秋にはその葉がバサっと落ちるのが特徴です。
喜多流ではクセの「芭蕉葉の脆くも落つる…」のところに習之拍子「もろくも拍子」があります。重量感をもちながら軽やかに踏む一つの足拍子は、芭蕉の葉がどっと落ちる様を表しているようですが、なかなかの至難の型です。
芭蕉の茎は大木のように成長しますが辣韮(らっきょう)と同様、剥くと中身がなくなってしまいます。
(芭蕉の木 、ネットより転載)
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能『芭蕉』は芭蕉の精が「曲見」(しゃくみ)の女姿にて法味を得た報謝の舞(序之舞)を舞うという特異な二時間を越える大曲です。
(ネットより転載)
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作者は金春善竹。
世阿弥の娘婿であるが、その作風は能の幽玄美をいっそう追求したもので、物語性よりも思想的な内容を重視した。
仏教的な思想性を作品の中にとりこんでいるのが特徴である。

この作品にも、金春善竹の仏教観が草木の成仏という形で現れている。
有情の人間ではなく、非情の草木について成仏を論ずることは一見奇異に思われるが、善竹は法華経の薬草喩品を取り上げながら、仏の慈悲は有情非情をとわずあまねくいきわたっているのだと主張している。

作品は劇的な変化に乏しく、私には面白く感じられなかったが、謡曲としては優れたものがあり、また芭蕉の精が舞う序の舞は非情に優雅なものである。
まさに舞を楽しむ、幽玄美を楽しむ能であった。

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