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zoom RSS OLAF台東蝋燭能を見に行く (’11年8月2日 浅草公会堂)

<<   作成日時 : 2011/08/04 11:24   >>

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夏の風物詩ともいえる薪能。
浅草では毎年浅草寺で行われていた。
しかし3年前から浅草寺工事の為使用できなくなり、浅草公会堂にて本物の蝋燭を照明として使用して”蝋燭能”として行われる様になった。
今年で32回目とか。
32年も続いているのだ。
20歳の人が見始めていたら今年は52歳。
驚き!

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開演5時45分、開場は5時。
5時過ぎに浅草公会堂へ到着。
浅草公会堂は正月に浅草歌舞伎を見に来てから以来なので半年以上経っている。
幟も立っておらず歌舞伎の時とは違う雰囲気。
三々五々有名人の手形を見ている人が。
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入り口に薪能の提灯がついていた。
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能舞台はどうなっているのか興味があったが、舞台の上に能舞台がしつらえられていた。
しかし、屋根は吊られている。
一応松も立っている。
部隊の端を示す柱はやたら太い柱が立っていた。
面を付けているので視界は悪いので、能を舞う人はこの柱を目印にして舞台上での位置を確認しながら舞うと言う。
それにしても太い柱だ。

今日は1Fの前から3列目。
しかし柱が邪魔で見難い。
能劇場で言うと脇正面の位置になってしまっている。
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初めに山崎有一郎(横浜能楽堂館長)さんの今日の演目の解説。
司会者の紹介では山崎氏は98歳とか。
矍鑠とされていてとてもそんな歳とは見えない。
「今日の橋弁慶には子方が出てくる。
子方が大人になると大能役者になれないのが常だ。
ちやほやされるので技を磨かなくなる。
その結果だろう。
今日の子方はどうなるか?」
等長く能の世界におられる方ならではの話など聞けた。

その後「舞台浄め之儀」として浅草になじみの深い三番組、四番組の鳶頭連中による木遣り・纏振りが行われた。
良い声の響きわたる木遣りに感激!

最初の演目は能 橋弁慶(観世流)だ。
橋弁慶は一度見た事がある能だ。

’10年12月11日に国立能楽堂の普及公演で見た事がある。

(ブログ)

http://olaf-mama.at.webry.info/201012/article_3.html

内容は同じで
比叡山西搭の近くに住む武蔵坊弁慶は、ある願い事があって、北野の天神へ丑の刻詣をしています。
ちょうど今夜が満願なので出かけようとすると、従者は昨夜、五条の橋に十二、三歳の少年が出て、通行人を小太刀で斬って廻ったとのことだからと、今夜の参詣をやめるようにいいます。
弁慶が、大勢で捕まえればいいのにと言うと、従者は、目にもとまらぬ早業で、広い都にもあれ程の者はいない、多分、人間ではなく化生の者だとの事と答えるので、弁慶も一度は思いとどまります。
しかし、弁慶ほどの者が聞き逃げは無念と、かえって討ち取る決心を固めて、五条の橋へ向かいます。
<中入>
牛若は、母の命により、明日からは鞍馬山へ上ることとなっているので、今夜を名残りと五条橋へ行き、通る人を待っています。
そこへ大鎧に身をかため、大長刀を肩にした弁慶がやって来ます。
弁慶は、女装をしている牛若に気を緩めて、通り過ぎようとすると、牛若は大長刀の柄を蹴り上げます。
怒った弁慶が斬りかかりますが、散々に牛若にもてあそばれます。
弁慶は、牛若と聞いて降参し、主従の契りを結んで、九条の邸へお供します。

良くある弁慶が千人切りで義経に千人目を邪魔されて家来になるという物語ではなく、義経が千人切りで弁慶が邪魔をしたが負けて家来になると言う物語だった。

今年の5月に京都へ旅行した時に気が付いたが『牛若丸と弁慶』の像が牛若広場に立っていた。
昔は、五条大橋国道1号線中央分離帯の噴水公園に牛若丸と弁慶の石像が飾られていた。
何時引っ越したのか?
そう言えば水道工事が延々と行われていてそれに伴って引越しをしたのかな?

この石像は牛若丸は明らかに赤子の姿をしていて、弁慶も子供なだ。
御所人形と言われているがこの様な人形らしい。
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次の演目は狂言「土筆(どひつ)」だ。

ある男が友人を誘って早春の野遊びに行きました。
土筆が出ているのを見つけて、ふたりで土筆を取った後、「つくづくしの首しおれてぐんなり」と和歌を詠みます。
すると友人は、和歌に「ぐんなり」はおかしいと指摘しますが、男は「…風騒ぐんなり」という古い歌がある、と言い張ります。
(正しい歌は『新古今和歌集』にある慈円の和歌「我が恋は松を時雨の染めかねて 真葛が原に風騒ぐなり」。)
次に芍薬の芽を見て友人が「難波津にさくやこの花冬ごもり 今は春べと芍薬の花」と古歌を詠みますが、今度は逆に男のほうが、それは王仁の和歌で「…咲くやこの花」の間違いだと笑います。
(正しくは『古今集和歌集』仮名序に載っている「難波津にさくやこの花冬ごもり 今は春べとさくやこの花」)
すると、さっきの「…ぐんなり」のことを持ち出して笑う友人。
男は怒って友人に相撲を挑みますが、逆に打ち倒されてしまうのでした。
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印象的だったのはシテとアドの裃につくしの柄と芍薬の柄が書かれていた。
衣装もこの演目のために作られたものなのだ。


休憩の間に舞台に蝋燭が置かれ、開演と同時に灯がつけられた。
幽玄な能舞台が演出された。

先程まで邪魔だった太い柱はカバーを取ると蝋燭だった。
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演目は能「殺生石(せっしょうせき)-白頭」
この白頭というのは特別な演出をしていると言う事の様だ。

玄翁という高僧が、能力と奥州から都へ上る途中、下野国(栃木県)那須野の原へさしかかります。
空を飛ぶ鳥が、とある石の上を飛ぶと落ちるので、不審に思って見ていると、一人の里の女が現れ、その石は殺生石といい、人畜を害する恐ろしい石だから、近寄らないようにと注意します。
玄翁がその由来を尋ねると、女は次のような話をします。
昔、鳥羽院につかえていた玉藻ノ前は、才色兼備の女性で、帝もお気に入りであったが、実は化生の者であった。
帝を悩ませようと近づいたが、その正体を見破られたのでこの野に逃げたが、殺されたため、その魂が殺生石になったのだと詳しく語ります。
そして、実は白分はその石の魂であるとあかし、夜になれば懺悔のため姿を現すと言い残して、石の中に隠れます。

<中入>

玄翁が石に向かって仏事をなし、引導を与えると、石は二つに割れ、中から野干(狐)が現れます。
野干は、天竺(インド)では斑足太子の塚の神、大唐(中国)では幽王の后褒となって世を乱し、日本へ渡り、この国をも滅ぼそうと玉藻ノ前という美女に変じて宮廷に上ったが、安倍泰成の祈祷で都を追われ、その後、この野に隠れ住んだが、狩り出されて遂には射殺され、その執心が殺生石となっていたのでした。
しかし、野干(狐)は、今、あなたの供養を受けたので、以後、悪事はしないと誓って消え失せます。

石が割れて中から出てきた、後シテの狐は白頭という特別な演出のせいか直線的、激しい動きで魅了された。
能でもこの様な激しい動きがあるのだと思わされた。 

始めて見た蝋燭能であったが面白い。
特に演目殺生石は蝋燭能の幽玄な雰囲気にぴったりの演目だった気がした。
石に隠れ、割れた所から現れる等明るい舞台より妖艶な狐になっているのであろう。
ただ、蝋燭が燃えて出る煙はのどに宜しくない。
咳が出る。
仕方が無いのかな?
薪能ならば表なのでこの様な問題は起きないであろう。
今まで8月はハワイへ行ってしまってこの様なチャンスを作ることが出来なかったが、これからはチャンスを作って見ることにしよう。

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