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zoom RSS OLAF 初代吉右衛門映画祭を見に行く。(’11年7月13日 早稲田大学小野記念講堂)

<<   作成日時 : 2011/07/14 09:58   >>

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初代中村吉右衛門展が 2011年7月2日(土)〜2011年8月7日(日)まで早稲田大学演劇博物館で行われている。
OLAFは工業大学卒業なので早稲田大学にこの様な博物館がある事など想像もしたことがなかった。
早稲田大学へは国際会議場など何回か出入りしたことがあったが、この様な博物館は分野外なのでまるで知らない。
中村吉右衛門さんは大好きな歌舞伎役者さんだ。
男の色気を感じさせられる。
13日には初代吉右衛門映画祭で「熊谷陣屋」(昭和25年)が上映されると言う。
初代はどんな役者さんなのか興味深い。
猛暑の中、都電で出かけることにした。


凄い猛暑!
汗ダラダラ。
熱中症にならないように氷を入れたペットボトルを持ってのお出かけ。
都電の終点で降りてキャンパスへ歩いていく。
未だ夏休みでは無いらしい。
学生さんが大勢いる。
若い人の中を歩いていくのは何か違和感・・・
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早稲田大学小野記念講堂の道を学生さんに聞きながらキャンパス内を歩いていく。
早稲田らしい時計台が見えてくる。
この傍だと言う。
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その傍の緑色の屋根の建物の地下が早稲田大学小野記念講堂だ。
2時開演だが、未だ1時過ぎということで人はそれほど居ない。
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看板が立っている。
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地下へ降りていくと入り口の看板。
早く中に入ろう!
中の方が涼しいだろう。
中には結構な人数が椅子に座ったり列を作ったりしていた。
学生さんではない様子。
おじさん、おばさん、おじいさん、おばあさんが沢山。
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1時半開場ということでほとんどの人が入り口に並んだ。
予定通り1時半オープン。
なだれ込む人々。
かなり混みそうだ。
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児玉竜一早稲田大学教授の解説から始まる。
この様なことを研究している教授がいるなんて、驚き!
(技術系学生だったOLAFには信じられない。)
この頃になると立ち見のお客さんが沢山。
人気が有るのだ!
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白黒の映画をビデオ化したものをスクリーンに映し始める。
昔の映画だ。
ガーガー雑音も凄い!
昭和25年の作品だそうだ。
(OLAFが生まれて数年後?)
その映画が見られるとは!
感激。

有名な『一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)』の「熊谷陣屋(くまがいじんや)」のストーリーは
平家の若武者、無官大夫敦盛(むかんのたゆうあつもり)と、源氏の武将・熊谷次郎直実が、須磨の浦で一騎討ちとなり、熊谷は自分の息子・小次郎(こじろう)と同じ年である16歳の若者の首を打つ。
敦盛の首を打った熊谷が陣屋に戻り、妻・相模(さがみ)と敦盛の母・藤の方(ふじのかた)に話をする。
藤の方は息子の敵である熊谷を討とうとするが、熊谷は敦盛の最期を詳しく物語り、敦盛の首を大将である源義経(みなもとのよしつね)の前で実検する。
間違いなくその首は敦盛であると義経は断言する。
熊谷は元は平家筋の人間で後白河院(ごしらかわいん)に仕えたことがあった。
当時、相模と密通し罪に問われるところ、院の寵愛を受けていた藤の方の取り成しにより、一命を取りとめ武蔵国へ赴くこととなった。
その藤の方と相模とがほぼ同じ頃に懐妊し、それが敦盛と小次郎であった。
義経は熊谷に「身代わりを作り敦盛を助けよ」と暗黙に命じていた。
熊谷は敦盛の代わりに小次郎の首を打ち、義経に差し出した。
義経はそれを理解して「敦盛の首」と認めたのである。
忠義は尽くしたが息子をなくした熊谷は、無情と絶望にうちひしがれ法然上人を師事し出家する。

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撮影秘話等も交え色々な話が聞けた。
映画も今の歌舞伎との違いが随所に見えて面白い。
花道から役者さんが退場していくスタイルは今とはまるで違った。
幕が閉ってから三味線等が面に現れその音に合わせ役者さんが退場していく。
面白いスタイルだ。
見得を切りながら花道を退場するより趣がある。

最近は能を多く見ているが能にも”敦盛(あつもり)”という同じ題材で作られている物があるという。
今度探して見てみたい。

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