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zoom RSS 駒込界隈、旧染井村の桜に誘われて (’11年4月11日 染井吉野櫻記念公園・本妙寺)

<<   作成日時 : 2011/04/12 21:57   >>

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東京の桜も満開から散り始めへ。
京都の桜は散々見てきたが東京の桜は未だ見ていない。
そこで、東京の桜を見に行こう。

桜を代表する染井吉野は、いっせいに咲きそろい散り際が見事だ。
この日本を代表する染井吉野は、駒込の地域でつくりだされた。
そこで、駒込、旧染井村をブラブラして来よう。


JRで駒込駅へ。
降りると直ぐに「染井吉野櫻記念公園」がある。

今までだと、駒込付近と言うと「六義園」や「旧古河庭園」へ行っていたが今日はそこには行かないで桜、染井吉野に関するところをブラブラしよう。

ソメイヨシノ(染井吉野)とはエドヒガン系の桜とオオシマザクラの交配で生まれたサクラの園芸品種だそうだ。
江戸末期から明治初期に、江戸の染井村(現在の東京都豊島区駒込)に集落を作っていた造園師や植木職人達によって育成され「吉野桜」として売り出されていたと言う。
駒込の駅前広場を整備した時に、このことを記念して「桜の里」の碑が建てられたそうだ。
その碑の後ろはなぜか”ハナカイドウ”の赤い花が綺麗に咲いていた。
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園内はソメイヨシノの原種と言われるエドヒガンザクラとオオシマザクラが植えられ、サクラ同士比較ができる工夫がしてあった。
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公園の隅の碑には、こんなことが書かれていた。

駒込の一部は江戸時代染井と呼ばれ、巣鴨と共に花卉・植木の一大生産地であった。
この地で江戸時代以後多くの優れた園芸品種が誕生したが、中でも染井吉野は、当地の地名から名付けられ、世界を代表する桜の品種となった。


そこには、当時の絵も紹介されている。
当時の代表的な庭師である伊藤伊兵衛の屋敷を描いたものだ。
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ハナカイドウ。
桜よりピンクで目立つ。
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ここから、地図を見ながら進みました。
細い道を入っていくと妙義神社がありました。
勝負の神・縁結びの神。
日本武尊が東征の折、陣営を構えた処と伝えられる豊島区最古の神社です。
太田道灌も何度も戦勝祈願をしました。
「戦勝かちいくさの宮」や「勝守り」とも呼ばれました。
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境内の桜は満開でした。
何人かお花見をしていました。
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側に”染井よしの桜の里公園”が有りました。
看板には”門と蔵のある広場”と書かれていました。
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「染井坂」という細い坂道に出てきました。
「ソメイヨシノ」の桜並木になっていました。
桜の花びらが道路に散って、桜吹雪が舞い起きます。
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「染井稲荷神社」がありました。
染井の村の頃からの鎮守だそうです。
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手水舎に桜の花びらが散っていました。
これまた美しい風景です。
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染井霊園です。
都立霊園の中で最も規模が小さい霊園。
面積は6.7ヘクタール、地形もほぼ平坦。
しかし、霊園内には幹線道路が通っていないので、園内は静かです。

谷中霊園はお花見で騒がしいところですが、こちらは静かでした。
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霊園を通り越すと、本妙寺(山号を徳栄山と称す)が有りました。
此処は”明暦の大火供養塔”があることで有名です。

明暦の大火は通称振袖火事とも 呼ばれ、 史上最大の火事で歴史上では本妙寺が火元と されている。
この火事により十万八千人の命が 失われた。

しかし、本当は本妙寺は火元ではない。
真相は、本妙寺に隣接して風上にあった阿部家が火元でした。
老中の屋敷が火元とあっては幕府の威信失墜、江戸復興政策への支障をきたすため、幕府の要請により本妙寺が火元の汚名を引受けたのである。 
そして、その結果として阿部家を失火の責任から救うということになったそうです。
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本堂です。
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名奉行 遠山左衛門尉景元の墓がありました。
テレビの時代劇で人気者遠山金四郎こと通称遠山の金さん。
江戸後期の北町奉行、他に大目付、南町奉行等つとめている。
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剣豪 千葉周作の墓 もありました。
江戸後期の剣豪、北辰一刀流開祖、神田お玉ヶ池、千葉道場(玄武館)主です。  
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東京にも色々面白いところがあるものだ。
1万歩以上の散歩を終了しました。

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