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zoom RSS OLAFの谷中七福神巡り’11年1月1日東覚寺・青雲寺・修性院・長安寺・天王寺・護国院・弁天堂

<<   作成日時 : 2011/01/02 17:06   >>

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江戸風俗総まくりに「谷中日暮里に春のあした七福神詣という事ありて今の天王寺の毘沙門天、護国院の大黒天、池之端の弁天、笠森脇の寿老人、田畑の恵比寿、西行庵の福禄寿、日暮里の布袋なり」とあります。
吉祥天などの福神まいりは古くからあり、参拝人で賑わう門前には歓楽街もあり、参拝は行楽でもありました。
谷中七福神は今の組み合わせが、江戸時代から限られていたわけではなく、大黒天、恵比寿は神田明神、清水観音堂、大黒天は経王寺、毘沙門天は谷中本通寺、弁財天は北町の養泉寺とする事もあったそうです。
歴史では最も古い七福神巡りといえます。


2011年1月1日

最も古い七福神といわれている、谷中七福神巡りをする。
山手線で、田端駅まで出かける。
予定ではここから2時間半程度で上野忍ばずの池「弁天堂」までの七福神巡り。
お正月の初詣として、今年が良いとしになりますようお参りをする。

(朱印を貰ってきた色紙。)
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七福神巡りは「東覚寺」(福禄寿)から始める。
地図に従って田端駅から歩いていくと、赤い紙がぺたぺたはってある塔のようなものが見えてきた。
これは、赤紙仁王像で、自分の体の悪いところと仁王の同じところに貼ると病気が治るという伝説があるものだ。
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仁王像の姿はまるで見えない。
説明板によると”歩き回って皆の身体を直すために、沢山歩き回れるように”ワラジが供えられている。
祈願して病気の回復したとする人々によって供えられたものだそうだ。
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「東覚寺」の門の所にお地蔵様が立っていた。
可愛らしい顔をしている。
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「東覚寺」は真言宗豊山派。
本尊は不動明王像。
北区史によれば源雅和尚が不動明王を勧請して本尊とし、神田筋違に一寺を建立、後に根岸に移転、更に慶長の初めごろ田端に移転したということです。
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福禄寿は寺務所の中に祭られていました。
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本堂の裏手に綺麗に整備された庭がありました。
色々な仏像が飾られ、一見の価値はありました。
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早咲きの梅が咲いていました。
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次は「青雲寺」(恵美寿)です。
「青雲寺」は禅宗臨済派京都妙心寺末、浄居山と号す。
開山は智光禅師。
宝暦年中掘田相模守正亮中興す。
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恵美寿様は、本殿の中に安置されていました。
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三番目は「修性院」(布袋尊)です。
壁に布袋尊が書かれていました。
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修性院同宗同末(法華宗下総国中山法華経寺末)運啓山純光寺と号す。
天正元年郡中田中村に草創ありしを寛文3年当所へ移転すと云。
又昔は谷中感応寺(現天王寺)の末なりしに、元禄11年彼寺改宗に因て身延の直末となれり。
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修性院の布袋は、谷中七福神の一つで、「日ぐらしの布袋」ともよばれる。
迫力満点だ。
谷中七福神めぐりは、江戸市中で最も古い歴史をもち、年初めにあたって江戸市民が行う年中行事の一つであった。
江戸時代の中期ごろから、このあたり一帯は俗に「ひぐらしの里」とよばれ、江戸近郊の行楽地として賑わった。
ことに修性院・妙隆寺(現、身延山関東別院玉川寺)・青雲寺は、境内に多数の花樹を植えて、「花見寺」の名にふさわしい庭園をつくり、四季折々の草花を楽しむことができたという。
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4番目は「長安寺」(寿老人)です。
日暮里駅から近いところです。
田端、西日暮里、日暮里と山手線で3つの駅を歩いてきたことになる。
「長安寺」は、長安軒として安藤右京亮屋敷内に創建した。
正徳2年(1712)大道山長安寺の寺号が認められ、当地移転しています。
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上の方に寿老人が供えられていました。
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5番目は「天王寺」(毘沙門天)です。
長安寺から谷中の墓地を、五重塔の跡をみながら5分ほど歩くと天王寺さんに着きました。
この毘沙門堂は、五重塔の焼け跡の木材で建てたそうです。
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小さな飾りが可愛らしかった。
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護国山天王寺は、もと長燿山感応寺尊重院という日蓮宗寺院として、鎌倉時代に創建され、9ヵ院を擁する本寺でしたが、不受不施派に対する禁令により天台宗に改宗しました。
享保年間には富くじ興行が許可されたことで賑い、湯島天満宮、目黒不動龍泉寺とともに江戸の三富と称されるほどに賑わっていましたが、上野戦争では、当寺に彰義隊の分営が置かれたことから、本坊と五重塔を残して堂宇を全て焼失、さらに昭和32年の放火心中事件で五重塔を焼失しました。
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毘沙門天が奉られていました。
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谷中大仏にも花が奉られていました。
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6番目は「護国院」(大黒天)です。
天王寺さんから谷中の墓地を抜け、谷中6丁目の交差点を渡ってまっすぐいったところが護国院さんです。
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護国院は寛永寺の子院で、寛永元年(1624)釈迦堂の別当寺として、現在の東京国立博物館の右手奥に開創しました。
承応2年(1653)・延宝8年(1680)に寺地を西方へ移転し、さらに宝永6年(1709)当地へ移転しました。
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大黒天も迫力満点でした。
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「水月ホテル鴎外壮」で一休みにしました。

この地は文豪・森鴎外との繋がりが深く、館内には鴎外の旧居が残っており、鴎外がその文壇処女作「舞姫」を執筆した部屋がありました。
日帰り温泉などもあり、上野ということを忘れそうです。
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最後7番目は「弁天堂」(弁財天)です。
不忍池の弁天堂です。
弁天堂は、寛永寺の伽藍の一つで、竜泉弁天院を開基した備中松山城主の水谷伊勢守により建設されました。
弁天堂に祀られている弁財天は、谷中七福神の一つ、上野王子駒込辺三十三ヶ所観音霊場30番札所です。
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滋賀県の琵琶湖に、竹生島(ちくぶしま)という、小さな島があります。
そして、そこには弁財天を祀る宝厳寺という、お寺があります。
上野弁天堂は上野不忍池の中央に浮かぶ中之島(弁天島)にあるのですが、この島は、その琵琶湖の竹生島になぞらえて造られた、人工の島で、同じように、弁財天を祀るために上野弁天堂が建立されました。
これは江戸が京都と対抗するための、江戸幕府の政策のひとつだったわけです。
当初のお堂は戦災で崩壊、昭和33年に再建されたものです。
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さすがに混雑していました。
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歩いた七福神の各お寺の地図と印です。
良い記念になりました。
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正月から良く歩きました。
11,800歩の散歩でした。
きっと良い事があるでしょう。

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