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zoom RSS OLAFの能楽鑑賞(’10年12月17日 狂言:伊文字(いもじ) 能:忠信(ただのぶ))

<<   作成日時 : 2010/12/20 10:06   >>

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今月はネットで予約を取ることが出来たので、2回目の能楽鑑賞となった。
定例公演で能は「忠信」・狂言は「伊文字」だ。
開演時間は昼間ではなく午後6時30分。
さて、また能を楽しんで来る事にします。


6時頃に千駄ヶ谷駅に到着。
駅前の国立競技場のイルミネーションが美しい。
クリスマス近しを感じさせる。
今日はアリーナでは何にも講演会など無さそう。
人通りも少ない。
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ちょっと寄り道をしてイルミネーションを眺めてから、国立能楽堂へ急ぐ。
夜の能楽堂は昼間とはちょっと違う雰囲気だ。
しっとりしていて、なかなかいい雰囲気だ。
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夜の部開始前の劇場内。
今日はプログラムは買わない。
歌舞伎と違って一ヶ月の総ての演目が載っている。
前回買ったのでそれを持ってきた。
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お土産売り場も変わらない。
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今日は一番お安い中正面席ではなく、脇正面の席を買ってあった。
やはり景色が違う。
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初めは何時ものように狂言だ。
演目は伊文字(いもじ)。

あらすじは、
妻がいない主人が家来の太郎冠者を供にして、清水の観音に”妻を求めるための願掛け”に行く。
すると夢の中で、観音堂の西門に立つ女を妻にせよ、と言われる。
二人がお告げに従って西門に行くと一人の女が立っており、その女は

「恋しくば 問ふても来ませ 伊勢の国
 伊勢寺本に 住むぞわれらは」

と一首の歌を詠んで消えてしまう。

二人は上の句までは聴き取ったものの、肝心の下の句を忘れてしまう。
しかたないので、その場に歌関という新関を設け、
通行人に下の歌を詠ませることにする。

ちょうど通りかかった通りすがりの人になんとか、「伊勢の国」「伊勢寺本」という地名を見つけてもらい、一件落着。
と言うものだ。

「歌関」の設置という趣向が、ちょっと変わっていて、風流。
お金を取るのでは無く、歌を歌わせる「関」等、ほんとにあったの?

清水寺に願掛け等当時あったのかな?
光源氏のようなモテモテ男もいたのに・・・
今で言う「婚活」。
それも清水寺とは。

改めて清水寺を調べてみると、
”清水寺は京都東山にある音羽山に古代から霊験あらたかな霊水(湧き水)の地に、延鎮上人が手彫りの観音像を祀ったことが起源です。”とある。
この観世音菩薩に願掛けをしたらしい。

(朝早くお参りに行った時の清水寺。
人がいない、舞台などはめったに眺められない)
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この狂言を知ったときこの地主神社のことかと思った!
京都ステイの時によく行った清水寺の境内にある地主神社。
しかし違う様だ。

地主神社は清水寺本殿のすぐ北側にある、縁結びの神として有名な神社です。
地主神社の主祭神は大国主命(おおくにぬしのみこと)で良縁の神様とされています。
また大国主命の父母神である素戔嗚命(すさのおのみこと)と奇稲田姫命(くしなだひめ)、さらにその父母神の足摩乳命(あしなずちのみこと)と手摩乳命(てなずちのみこと)を祭神として正殿に祀られています。
地主神社は大国主命にその父母、さらにその父母と3代に渡る建国の神様をお祀りしていることで縁を大切にする「えんむすびの神社」と言われるようになったのでしょう。
地主神社は古くからえんむすびの神とされ、文献では江戸時代にも「恋占いの石」で恋を占う若い男女が大勢つめかけたと書かれています。


この神社はこの物語と直接関係は無いようだ。
てっきりこの神社に願掛けをしにいったのかと思ったが?
縁結びが有名になったのはそれは江戸時代以降の事のようだ。

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休憩時間は20分。
中庭もライトアップされていて昼間見るより美しい。
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次は能だ。
忠信(ただのぶ)。
主人公は、吉野山に忍ぶ主君義経から、防ぎ矢の命を受けて敵方と戦う 忠信。
義経主従が頼朝に追われて、吉野の衆徒を便りに都落ちしたが、衆徒変身の報に忠信を防戦のために残し、一行は山を落ちのびる。
上演時間30分ほどの小曲で、単純な斬組物 (チャンバラ) の能である。
江戸時代一度廃曲となり、宝生・観世流のみ復曲された曲。
あまり上演されない曲だ。

これも、京都の吉野山を舞台にした能だ。

前回、桜を見に吉野山に行った。
そこが、舞台だと知ってすごく身近に感じられる能だ。

奥千本からだらだらと続く坂道を下り、水分神社を過ぎると急に見晴らしが良くなってくる。
そこにが、吉野の義経逃亡の際し、自ら義経の格好をし、「我は義経なり」と追いすがる敵を引きつけ、敵の大将である横川覚範という豪傑を倒した舞台なのだ。

花矢倉展望台。
上千本、中千本、金峯山寺の蔵王堂まで望める絶好の展望台だった。
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歌舞伎で、義経千本桜を見て吉野が見たいと思った。
まさに歌舞伎のバックの絵のような風景を見て吉野山の素晴らしさを感じた。

能の方が歌舞伎より早い時期に作られている。
次回行ったときには能の舞台となった吉野をもっとじっくり見てこようと思う。
やっぱり、京都の歴史は凄い。
厚みを感じる。

能の凄さが感じられるようになってきた。
あの狭い、飾りもろく似ない舞台が大きく感じられる。
能役者の動きも洗練されている。
歌舞伎のような”ミエ”も無く、バックも無い。

やはり歴史が作ってきた能の凄さなのだろう。
来月の能鑑賞が楽しみになってきた。

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