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zoom RSS OLAF 旧東海道 品川宿界隈散策 (’10/11/19 京急北馬場駅付近)

<<   作成日時 : 2010/11/22 21:15   >>

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品川宿は、江戸からでる東海道の1番目の宿だ。
宿内の家々は1600軒、住む人7000という活気ある地であった。
また、北の吉原に対して品川は南といわれ遊興の場所としても有名。
今でも、江戸時代と同じ道幅でひっそりと宿場まちは活きている。
そんな宿場町を散策してみた。


京浜急行で新馬場駅へ。
京急新馬場駅を降りて京浜国道を渡ったところに品川神社がある。
石段の前に建つ「品川神社」の文字は清浦奎吾によるもの。
後鳥羽天皇の御世、文治三年(1187年)に、源頼朝が海上交通安全と、祈願成就の守護神として、安房国の洲崎明神である、天比理乃命(あめのひりのめのみこと)を勧請して、品川大明神と称し、今は社名を品川神社と改めた。
徳川家光が東海道の鎮守と定めた。
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一の鳥居には思わず目を奪う龍が巻きついている。
双龍鳥居と呼ばれるそうだ。

昇龍・降龍の鳥居 鳥居は、神社の象徴であり、門の一種として神域と俗域の境界を示すものとされている。
鳥居の中には昇龍・降龍を刻んだものもあるが、これらは多分に仏教的色彩の濃い鳥居で、神仏習合したともいえる。
龍は寺社の柱、欄間、天井、門扉などでもよく見かけるが、「鳥居に刻まれた龍」は、神域を守護するものとして、山門の仁王像や獅子、狛犬と同様の役割を担っている。
昇龍・降龍は、「上求菩薩、下化衆生」という仏教の教義を意味するとされる。
上求菩薩とは、悟りを求めて厳しい修行に励むこと、下化衆生とは、慈悲を持って他の衆生に救済の手を差し伸べることを意味し、これら両方を合わせて修得すべきこととされている。
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鳥居に龍が彫られているのははじめて見た。
でも、門に龍が飾られている姿を思い出した!

日光東照宮の唐門に「唐門の昇竜降竜」がいた。

上野の東照宮の門柱にも不忍池の水を飲みにいったという左甚五郎作の昇竜・降竜の高彫が彫られていた。

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登った左側には富士塚の入口があった。
そして、その近くの富士塚は、ちゃんと山になっていて、1合目、2合目と書いてある。
5合目が踊り場で、そこから急な階段になっていた。

境内の案内板によると
冨士塚は、冨士信仰の集団、冨士講の人々が、富士山の遥拝場所として、あるいは実際の登山に代わる山として造った築山である。

この冨士塚は、明治二年(一八六九)、北品川宿の丸嘉講講中三百人によって造られた。
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頂上からは、意外と広く京急が良く見えた。
今は望むらくも無いが、昔はここから海が良く見えたのであろう。
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階段を上りきった所に富士山浅間神社があった。
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包丁塚。
古くからこの一帯は品川宿として栄え多くの包丁が使われたことから、昭和五十一年に品川区鮨商組合の手によって包丁が納められ、またその包丁によって調理された鳥獣魚介類を慰霊するために建立されたもの。
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新しい彫り物だったが七福神が奉られている。
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品川神社本殿。
昭和三十九年の創建。
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品川、大井、大森、蒲田はその昔は半農半漁で栄えてきた村や町であったがこの辺りで収穫された野菜を、農家の人が自分で大八車、牛車、馬車を使って、青物横丁に持ってきて取引をしていた。
遠くは馬込や千束の方からも運んでいたようだ。
江戸時代から「青物の市場」があり、大きな八百屋が軒を並べて、たいそうな人出であったようだ。
今でも京浜急行に青物横丁と言う駅がある。
江戸野菜は今では、品川ネギ、品川カブが有名で、品川カブにちなんだお饅頭が売られていた。
このお饅頭はこの店のご主人が最近開発した商品だそうだ。
NHKのTVでも紹介されたとか・・・
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買い込んで食べてみた。
カブの刻んだ葉が入っているが、何故小豆のアンにカブが・・・・
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旧東海道は商店街になっている。
昔を思い出させるものはあまり残っていない。
活性化策の一環として、幟が飾られている。
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品川宿 本陣跡・聖蹟公園。 
江戸時代の本陣は、宿場で大名や旗本、公家などが休息や宿泊するところで品川宿には 初め南北品川宿に一軒ずつあったが、江戸中期には北品川宿のみとなった。
大名などが宿泊する宿泊すると本陣には大名の名を記した関札を立て、門の入った幕をめぐらせた。 
現存するものは何も無く、この標識のみであるが、この本陣跡が聖跡公園として残されているだけでも救いである。
明治元年、明治天皇の行幸の際の行在所(あんざいしょ)となったことを記念して聖跡公園と命名された。
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一心寺。 
安政二年(西暦一八五四年)日本開国之機運高まり国運の境目に接面し時、大老職にある井伊直弼公が縁起に依り江戸台場の沿革東海道第一の品川宿にて鎮護日本、開国条約、宿場町民の繁栄安泰の願へとの霊験を悟り開山され、時の町民代表一同に依って建立されたと伝えられている。
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品海公園。
本来なら一里塚のあったあたりである。
ここに公園が作られ、「日本橋より2里」との道標が立てられている。
日本橋より8km、一日8km程度しか歩かなかったのかナ?
それとも更に川崎宿まで行ったのかナ?
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品川カブの漬物。
現物を初めて見た。
こんなに長細いカブなのだ。
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品川ガブが栽培されていた。
地元の名産品を作ろうとの地元の頑張りが感じられる。
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北品川商店街に入った所に、掘わりがあり船だまりがあった。
船宿は昼間は閑散としている。
出番を待つ屋形船が沢山係留されている。
屋形船と近代的ビルの対比が面白い。
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品川と言う近場にこんな面白そうな所が在る事を発見した。
昔の建物はほとんど残っていないが、古い文献などと対比してみると面白そうだ。
まだ見ていない所があるので今度また来てみよう!

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