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zoom RSS OLAF初めての能楽鑑賞 (’10年7月10日 国立能楽堂:能「夕顔」と狂言「蚊相撲」)

<<   作成日時 : 2010/07/11 15:19   >>

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生まれて初めて、能を見に行った。
歌舞伎は好きでちょくちょく見に行くが、能は何となく敷居が高く見に行く事を躊躇していた。
そこで”初めての能楽鑑賞”と言う講座に参加し、参加者全員で国立能楽堂で能を見て卒業となった。
能を見に行く前に、教室で二時間の講座が三回有り能の歴史、舞台、衣装、見に行く能の内容紹介等を学んだ。
能は「夕顔」で狂言は「蚊相撲」だ。
この能は源氏物語、夕顔の巻を典拠にした世阿弥の作品だそうだ。


国立能楽堂の普及公演で開演時間は午後1時。
暑いさなか総武線で千駄ヶ谷駅へ。
駅からは歩く事5分程度で能楽堂へ着く。

能楽堂は思ったより小さく、高層ビルではない。
そうか、歌舞伎座などとは違うのだ。
能楽堂の看板が掲げられた入り口。
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玄関前には松が立ちそれなりの雰囲気を出している。
日本の伝統芸能を感じさせられる。
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玄関から中に入ると休憩場所があった。
何人かが待ち合わせなのか、ゆっくりしている。
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切符を切って貰って中へ入っていく事にする。
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ビルの中は、木造で内装が施されている。
壁が布製で綺麗で面白い創りだ。
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舞台がしつらえられているホールに入る。
ビルの中に屋根がついた能の舞台が出来ている。
能の舞台は、修善寺の”あさば”等で見たが、外部ばかっりで能楽堂の中で見るのは初めてだ。
こんな状態になっているのだ。
舞台、鏡板、橋掛かり、松等が習ったとおり配置されている。
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席はお安い中正面。
”日付柱”が邪魔だそうだがそれ程のことはなさそうだ。
座ってみるとこの様な目線になった。
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座席の背にTVが付いていて説明文が流れるそうだ。
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普及公演だからだろか、解説・能楽案内があった。
三田村 雅子さんが夕顔の説明をしてくれた。

初めは狂言の蚊相撲だ。
筋は、大名が相撲の者を抱えようと言うので、太郎冠者は上下の街道へ出て、異様な顔をした男を連れて帰る。
大名は自ら相手をして相撲を取る。
取り組むやいなや、大名は刺されてふらふらとする。
男が江州(今の滋賀県)守山の者というところから、相手は蚊の精であろうと気づいた大名は、太郎冠者に扇であおがせ、よろよろとする蚊の精のくちばしを抜いて打ち倒す。
なんと言うことの無い筋だが中味は良く分かる。
狂言は取っ付き易い。

狂言が終了すると休み時間となる。
中庭に出てみる。
木が植わっていて、涼しげな雰囲気を漂わせている。
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着物を着た女性が沢山見に来ていた。
やはり、日本の伝統文化に触れる時は着物と言う女性が多いんだろう。
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20分の休憩も終わり皆さん席に戻ってくる。
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これからいよいよ夕顔が始まる。
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笛、つつみ、謡曲の調べ。
ユッタリとした踊りの動き。
美しい衣装。
これが能なのだ・・・・
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(HPよりの転載)

あらすじは
八幡宮参詣のため都に上った豊後国の僧が、五条の辺りを通りかかると、あるあばら家から歌を吟ずる女の声が聞こえる。
それは夕顔の歌で、昔を懐かし今も執心の残っている様子である。
僧の問いにその女は「ここは何某の院。もと融大臣の住まれた河原で、後に夕顔が物の怪に命をとられた所」と答えた。
さらに、光源氏と夕顔の出逢いや、物の怪に憑かれ、露と消えた儚い夕顔の身の上を語り、なお夢の中にて昔語りをしようと告げて消え去る。

(中入り)

僧の問いに答えて、夕顔の事を物語り、五条あたりの男が重ねて弔いを勧めるので、僧は法華経を読誦する。
すると夕顔の霊が在りし日の姿で現れ、なおも弔いを願う。
荒れ果てた旧跡に昔を偲び舞を舞い、僧の回向により、迷いの雲の晴れたことを喜び、東雲の空のほのぼの明ける中に、やがて姿を消す。
といったものだ。

これは、源氏物語の「夕顔の巻」の後日談のような話になっている。
夕顔の心情を世阿弥が解釈し能に作り上げた物だろう。

「夕顔」は源氏物語において空蝉に続く第2番目の物語だ。
あらすじは、
源氏17歳の夏から初秋。
その頃、源氏は六条の御息所のもとへ通っていました。
その道すがらみすぼらしい家の板壁に蔓草が這い上がり白い花が咲いているのを目に留めます。
御随身に命じて一枝折らせます。
家の中から少女が出てきて風情のない花なので、これに載せて差し上げて下さいと白い扇を差し出します。
扇には歌が添えてありました。
『心あてにそれかどぞ見る白露の光そへたる夕顔の花』
(あて推量ですが、源氏の君かと存じます。光は光源氏をさす)
源氏の反歌
『寄りてこそそれかとも見めたそがれにほのぼの見つる花の夕顔』
源氏は興味をつのらせ、女に近づきます。
源氏は身分を隠し顔も見せないようにして深夜通いつめます。
女は不安げな様子でしたが、身分を明かすことを求めません。
源氏はこの女の内気で頼りなげな子供のような風情にすっかり耽溺します。


八月十五夜、源氏は夕顔の家に泊まります。
隣家からは卑しい人達の生活の声や物音が聞こえ、源氏を驚かせます。
その夕方、源氏は夕顔を連れ出し某の院に行きます。
荒れ果てた庭園や人気のない邸内の奥深さは不気味です。
次の宵過ぎ夕顔は物の怪に襲われ取り殺されます。
と言った物です。

「夕顔」は私の好きな巻で夕顔の「可愛い女」が何ともいえない。
光源氏の数々の浮名の中で、空蝉という女性はたった一度だけの契りである。
倫理意識を強く持っている女性である。
それとは対称的に、夕顔という女性は夫も子供もいたにもかかわらず、光源氏と恋に落ちてしまう。
その点において空蝉とは対称的である。
光源氏と夕顔の二人は「倫理・道徳」を忘れてしまって恋に夢中になってしまう。
このままにしておくと夕顔は他の誰かについって行ってしまうのではないか?と源氏を心配にさせるほど、源氏の心を掴んでしまう。
瀬戸内寂聴さんによると、「女の娼婦性」と解釈するのではなく、まったく自我の無い幼児性の「俺がついていてあげなければ。」と思わせる「可愛い女」だろうと言う事の様だ。
私もそうだと思う。


そこで、夕顔を連れ出すがそこで、二人の燃え上がる恋、幸せの絶頂という時に「こんな女のどこがよいのですか?」という生霊が夕顔を取り殺してしまう。

夕顔にしてみれば幸せの絶頂だったはずなのに、死んでしまって無念である、というところが能「夕顔」の芯になっている。
この無念が能「夕顔」の見所の様だ。



室町時代の金閣、銀閣が建てられた頃に足利義満等に支援をされて完成をしていったと言われる能。
織田信長、豊臣秀吉も愛好家だった能。
謡曲の詞章にも源氏物語が原点になっていたり、紫式部の名が出てきたりする能。

どんな気持ちで当時の将軍達は見ていたのだろう?

今回の能は読んだことがある源氏物語が原点になっていたが他の平家物語などが原点だったらどうなるのだろう?
もう少し能を追いかけてみよう。

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