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zoom RSS OLAFの東京散歩 第27回 (’09年10月30日 千住・橋場・隅田川秋月)

<<   作成日時 : 2009/11/01 08:36   >>

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今回は南千住の歴史を巡り、十三夜を眺めるウォーク・ツアーに参加した。
地元の歴史家がツアーの案内をしてくれる。
歴史家の話によると

『南千住地域は、江戸の頃より江戸から日光に通ずる日光道中最初の宿駅として、また水陸交通の主要拠点として早くから開けたところです。
古くは源頼朝が奥州藤原氏討伐で祈願した神社があり、また江戸の二大刑場のひとつ小塚原刑場もあり、また杉田玄白らが腑分けを実見して「解体新書」の出版のきっかけの場所があったり、松尾芭蕉の「奥の細道」旅立ちの地として千住は有名です。』

とのこと。
どんなツアーになるのか楽しみ。


最後に十三夜の観月と句会があると言う事で、出発は夕方の3時。
出発地点の素盞雄神社に集合。
今まで何回か来ているが歴史家の話が聞けるのでより理解が深まるだろう。

天王社の大銀杏
素歴史家曰く
盞雄神社境内は、古代より「あすかの森」と呼ばれ、銀杏など大木が林立していた。
『江戸名所図会』にも、境内に樹木が生い茂っている様が描かれている。
この大銀杏は、幹の周囲約3.3メートル、高さ30メートルである。
この木の皮を煎じて飲むと、乳の出が良くなるという伝承をもつことから、絵馬を奉納祈願する習わしがあり、現在も続いている。
との事。
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松尾芭蕉の碑
曰く
「奥の細道」の千住矢立て初めの一節と、芭蕉坐像を刻んだこの碑は、文政3年(1820)10月12日の芭蕉忌に際し、俳聖を偲んで千住周辺の文化人たちが建立したものである。
この碑から、当時の千住宿を中心とする文化人たちの交流と盛んな活動ぶりをうかがい知ることができる。
 ”行くはるや鳥啼き魚の目はなみだ”
との事。
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富士塚
曰く
幕末に造られた「お富士様」。
盞雄神社の祭神が翁に姿をかえて降臨した奇岩上に造られている。
浅間社、小御岳、石尊、人穴などを設け溶岩を配した典型的な富士塚。
富士山信仰の象徴。
との事。
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次は熊野神社

曰く
千住大橋のたもとの路地を入ってすぐの住宅地のなかにひっそり残る神社で、鳥居が昔の栄華の名残を残す。
1050年に八幡太郎源義家が千住に滞陣したときその後陣を隅田川南岸に残したといわれる位置に祭られた。
大橋を荒川に架けるとき、奉行伊奈備前守は熊野神社成就を祈願し、文禄3年橋の完成にその残材で社殿の修理を行った。
以後大橋の賭けかえ事の祈願と社殿修理が慣習となった。
ちょうど橋戸稲荷神社の対岸になります。

江戸時代この地域が荒川上流からくる商品の船着場になり特に材木等の輸送量が大きかったのでこの付近には材木商が大変数多く営業していた。
弘化2年(1845)に材木商が寄進した手水鉢(荒川区文化財)等が残ってる。
との事。
通常は鍵が掛かっていて中に入ることは出来ないが、今日は歴史家のお陰で中まで見ることが出来た。
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次は日枝神社
曰く
江戸時代、日枝神社は山王社と呼ばれた。
旧中村町(千住宿)の鎮守で、正和5年(1316)に建てられたと伝える。
いずれかの藩士清兵衛が、参勤交代の途中千住まできたが虫歯の痛みに耐えかねて、”これ以上の任官はできない!事を悲観し、この地で切腹し、遺言によってその霊を祀ったという伝承がある。
俗に山王清兵衛と呼ばれ、歯痛に悩む者が祈願して効き目があれば、錨(いかり)をくわえた図の絵馬を奉納する習わしであった。
千住の歯神として有名であった。
との事。
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次は胡録神社
再開発をされたマンション群の一角にこの神社はあった。
曰く
汐入の地は、戦国時代に上杉謙信の家臣高田嘉左衛門らが、川中島の合戦の際に落ちのびて開発したと伝えられるところ。
明治以前「第六天」と呼ばれた胡録神社は、汐入の境である当地を守護するために祀られたと言われている。
との事。
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この神社には、奉納された襖絵があり、それを見せてもらうことが出来た。
江戸時代の千住大橋が書かれている。
千住大橋は日光街道の荒川に掛かる橋。
徳川家康が奥州へ道を開くことを目的として、奉行伊奈備前守忠次により文禄3年に「大橋」として架橋、その後何度も架け替えられている。
当時の村の様子や人の行きかう姿が生き生きと描かれている。
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この地は明治の中頃まで人形の上塗り顔料の胡粉(ごふん)の製造が盛んだった。
胡粉とは、牡蠣や蛤の貝殻を砕いて作られたもので、質の良い物は、イタボガキを何年も野積みにし、風化させて作られている。
その牡蠣殻を磨り潰すのに使われた石臼が飾られていた。
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此処からは、街中の散策から隅田川の川岸の沿っての散策に変わる。
夕暮れの中、隅田川の堤防上の歩道を歩く。
昔渡しがあった汐入の渡し水神の渡しを歩いていく。
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最後の訪問場所石浜神社へ到着。
此処は暗く写真は撮れなかった。
この神社の集会所を借りての観月会。
十三夜の月が霞んで見えた。
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十五夜はサトイモなどを供えることが多いため「芋名月」と呼ばれている。
十三夜は「栗名月」とか「豆名月」と呼ばれている。
これはお供えとして栗や豆を、神棚などに供えるからだそうだ。
栗ご飯が美味しい。
お弁当を食べながらの句会が始まった。
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久し振りに一句ひねってみた。

”吉原の 夢が漂う 十三夜”

すこし下流には遊郭の吉原が有ったのでこの句と相成った。
(芭蕉の句と何と違うことか!)

歴史家と一緒に廻ることによって歴史が少し理解できた。
かなり歴史のある町だった様だ。
面白いウオーキングツアーだった。

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