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zoom RSS OLAFの東京散歩 第20回 (’09年6月2日 江戸川沿いを歩く A柴又の帝釈天)

<<   作成日時 : 2009/06/05 06:36   >>

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梅雨の様な天気が続いていたが、久し振りに快晴。
そこで、小岩菖蒲園を見てから江戸川沿いを歩き柴又まで散策する事にした。
小岩菖蒲園を散策した後、江戸川土手を柴又まで歩いてきた。
寅さんがよく休んでいた荒川土手。
矢切の渡し、寅さん記念館、山本亭を見た後、いよいよ柴又帝釈天に。


対象ロマンの山本亭から歩く事数分。
帝釈天に到着。
帝釈天と言えば京都東寺の講堂で見た帝釈天は、甲冑をまとい象に乗ってた。
金剛杵(ヴァジュラ)をとって毒龍と戦い、 阿修羅に勝利し仏門に帰依させた英雄とされていた。
此処も同じ帝釈天を祭ってあるんだろうか?
寅さんが御前様に良く怒られていた二天門前。
彫刻がもの凄い。
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これも寅さんでおなじみの大鐘楼
夕方になると夕日をバックに時を刻んでいた。
昭和30年、名匠、林亥助棟梁によって完成された総欅の大鐘楼。
高さ約15m、四手先の豪壮な桝組と木彫を施し、関東一の鐘楼と言われる。
梵鐘は、雅楽「黄鐘調(おうしきちょう)」と言われ、昭和の銘鐘の名が高い。
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境内に入ると帝釈堂が目の前に。
日蓮大聖人が衆生(しゅじょう)の病を無くさんと、願いをかけて刻まれた板本尊を祀る帝釈堂は、名人、坂田留吉棟梁が仕上げた総欅造り。
特に堂の周囲を法華経説話に取題した彫刻をめぐらして、山号である経栄山にふさわしい工夫は、入念の彫刻作品とともに文化財となっている。
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映画寅さんでは出てこなかった帝釈堂の法華経説話彫刻(彫刻ギャラリー)を見ることが出来た。
見事な彫刻。
彫刻の周りはガラスの塀で囲われている。
雨風を防ぐためであろう。
当代の名匠、加藤寅之助師が大正11年に最初の1枚を彫り上げ、翌年にあった大震災にもかかわらず名人たちの入念な精進の末に、彫りあげて昭和9年に完成された。
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次は大客殿へ。
名匠、鈴木源治郎氏の手によって昭和四年に落成。
百五十坪。
用材は全て桧で、数百の材木の中から一本の材料と云うほど、材料を厳選して造営したものだそうである。
北側はガラス障子の広縁を巡らし、中央には物見台が設けられ名庭邃溪園と対坐する。
先ほど見た縦巾1.27m、横巾2.27mの彫刻の下絵にあたる彫刻原型が大客殿に飾られていた。
これを基に拡大していったらしい。
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頂経の間には「日本一の大きさ」を誇る大南天の床柱があった。
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大客殿からは回廊が邃渓園を囲んでいた。
邃渓園の名は,庭園の滝の風情が幽邃でもの静かであることによる。
昭和40年、関東の高名な造園師、永井楽山翁によって完成された。
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帝釈天を出て参道を柴又駅まで歩く事にする。
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途中に草団子屋”とらや”さんがあった。
寅さんの実家の草団子屋”くるまや”として”男は辛いよ”のロケに4作目まで使われた。
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その後ロケに使われた”高木屋”さんは、混んでいた。
人気抜群のようである。
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柴又駅まで来た。
駅前に映画の一シーンをほうふつとさせる寅さんの銅像が立っている。
”おいちゃん””おばちゃん”とうまくいかなくなったり、マドンナとの恋に破れ傷心の旅立ち姿だ。
雪駄を履き、カバンを持ち、帽子をかぶり足は柴又駅に向いているが、心は”くるまや”を振り返っている姿だ。
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小岩菖蒲園で花菖蒲を楽しみ、フーテンの寅さんの思い出に浸った散策だった。
13,251歩の東京散歩。
久し振りに良く歩いた。

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