我が家のOLAF

アクセスカウンタ

zoom RSS OLAFの東京散歩 第12回 (’09年2月 梅の香に誘われて、亀戸天神)

<<   作成日時 : 2009/02/15 19:57   >>

トラックバック 0 / コメント 0

2月14日、春を通り越して、初夏の様な暑い日だった。
2月9日(土)〜3月2日(日)に”梅祭り”が行われているという事を聞き、早速散歩に出かけた。
約200本(紅梅 50本 白梅 150本)があり、早咲きの梅はもう終わってしまったが、全体的には今が盛りという。
亀戸天神は、藤が有名で、藤を見に行った事はあったが梅は知らなかった。


亀戸の商店街を歩いていくと、歩道の手摺に鷽が立っていた。
さすが、亀戸。
亀戸天神の鷽替え神事が有名で、その鷽が迎えてくれるところが面白い。
画像

入り口の大鳥居から、太鼓橋、本殿の屋根まで見通せる。
かなり、観梅の人が出ている。
画像

境内の心字池には、三つの橋が架かっている。
この橋は、人の一生に見立てた”三世一念の理”を表しているそうだ。
最初の太鼓橋は男橋といって、生きてきた過去をあらわし、次の平橋は現在をあらわし、最後の太鼓橋は女橋といい希望の将来を表していると言う。
この三つの橋を渡る毎に心が清められ神殿に進むという。
画像

橋の上からまだ咲いていない藤棚と満開の梅が見渡せる。
なかなか、美しい眺めだ。
画像

藤棚と紅梅、白梅の眺めは、今まで観梅に歩き回った所には無かった。
画像

画像

心字池と女橋の所に琴柱灯籠(ことじとうろう)が飾られている。
この灯籠は、琴の弦を支える琴柱の形に似ていることから、この名前が付いたと言う。
金沢兼六園の有名な琴柱灯籠より、この灯籠の方が大きい。
画像

橋を渡り終わった神殿の前で、結婚式の記念写真を撮っているカップルがいた。
お似合いのカップル。
お幸せに!
画像

画像

弁天社がある。
菅原道真公の奥様、宣来子の方と十四方のお子様が祀られている。
周りの梅が美しい。
画像

心字池の亀が日向ぼっこをしていた。
まさに、親亀の背中に子亀、孫亀といった姿が可愛らしい。
画像

白梅と”雪見灯籠”
灯籠が映える。
画像

紅梅の”鹿児島紅”が咲いていた。
今満開。
画像

画像

画像

十代目の岩井半四郎さんが献木した紅白梅が綺麗に咲いていた。
ナント、ナ〜〜〜ント、一本の木に紅梅と白梅が咲いている。
こんな梅ノ木見たこと無い!
驚き!
画像

画像

五歳菅公像があった。
これは、菅原道真公が五歳の頃の像。
五歳の時に梅の花を見て詠んだ歌。
うつくしや紅の色なる梅の花あこが顔にもつけたくぞある
が刻まれていた。
さすが、神童と言われた道真公。
画像

鷽の碑。
画像

枝垂れ梅の”呉服枝垂”が綺麗だ。
この枝垂れ梅が多く咲いている。
今満開。
画像

画像

紅梅殿が建っている。
この社は、道真公が京の都を追われ、太宰府に行かれる時、自宅の紅梅殿でよまれた
東風(こち)吹かば匂いおこせよ梅の花あるじなしとて春な忘れそ
の名歌の中の梅の木が、道真公を慕って一夜のうちに太宰府に飛来したと伝えられる”飛梅伝説”(とびうめでんせつ)から出来ているものだ。
その飛梅の実生を祀った社です。
画像

神牛がいた。
どこの、天神様にも置いてある。
これは、
延喜3年(903)2月25日、菅公は謫居(たっきょ)の地、南館(榎寺)において清らかな御生涯を終えられました。
その後、御遺骸を牛車に乗せて進んだところ、間もなくその牛が伏して動かなくなりました。
これは、菅公の御心によるものであろうとその聖地に御遺骸を葬り、そこに太宰府天満宮を建てました。

この様な言い伝えから、どこの天神様も牛を神使(みつかわしめ)として祀っているようだ。
今では、触れると病を治し、知恵を授かるとの言い伝えから、みんな触るので光っている。
画像

亀戸天神のお参りも終了。
亀戸といえば、亀戸餃子が有名。
藤を見に来たときに、食べた事がある。
今回も、行ってみた。
昼食時を外したつもりだが、混んでいた。
よくTVで紹介されているので、人気店なのだろう。
画像

画像

席は、円形カウンターの周りと、上がり座敷があるだけ。
店内には飾りも、美しさも何も無い。
焼き餃子のみ。
一皿に小振りの餃子が5個。250円。
お一人”二皿以上でお願いします。”との張り紙。
高いのか?安いのか?
座るとオバチャンが、「飲み物は?」とくる。
即、「ビール」と答える。
ひたすら、ビールを飲みながら、食べる。
周りは、三皿、四皿は当たり前のように食べている。
待つこと10分。食べる事15分で終了。
何処か他で、もっとゆっくり食事を楽しめば良かった〜〜〜〜。
画像


あちこち歩き回って、OLAFの中では天神様の歴史がつながった。
天神様は、日本各地で菅原道真公を祀っている社だ。

菅原道真は、古代豪族の土師氏の出身で、文道をもって朝廷に仕える家柄だった。
わずか5歳で和歌を詠み、10歳を過ぎて漢詩を創作し、神童と称された。
18歳で文章生、23歳で文章得業生、26歳でついに方略式に合格し、30歳の頃、島田宣来子を妻に迎え、33歳で式部少輔、文章博士となり、学者としては最高の栄進を続けた。
55歳で右大臣、そして、ついに、延喜元年1月7日、藤原時平とともに従二位に叙せられたが、その直後、急転して大宰府左遷となってしまった。
大宰府では、左遷というより配流に近い窮迫の日々を送りながらも、天を怨まず国家の安泰と天皇さまの御平安をお祈りし、ひたすら謹慎され、配所から一歩も出ることはなかった。
劣悪の環境のなかで健康を損ない、道真公を京で待っているはずの夫人の死去の知らせが届くと、ますます病は重くなり、延喜3年(903)2月25日、白梅の花びらが散るように亡くなった。
京より追従した、門弟味酒安行(うまさけのやすゆき)は延喜5年ここに祠廟(しびょう)を創建。
次いで左大臣藤原仲平は勅を奉じて大宰府に下って造営を進め、延喜19年(919)に太宰府天満宮御社殿を建立した。

従って、死後16年経って、最初の天満宮が建てられた事になる。

その70年後、京都では災いが多発し、『これは菅原道真公の祟り』と恐ろしがられられ、永延元年(987)一条天皇は道真公に対し『北野天満宮天神』の神号を授けた。
従って、北野天満宮は太宰府天満宮より遅れる事約70年後に建てられた。

京と異界伝説を訪ねた観光バスのHP
http://olaf-mama.at.webry.info/200807/article_36.html

湯島にある湯島天神は、文明三年(1478)十月に、太田道灌が建立した。
天正十八年(1595)徳川家康公が江戸城に入るに及び、特に当社を崇敬すること厚く、翌十九年十一月(1596)豊島郡湯島郷の内五石の朱印地を寄進し、泰平永き世が続き、文教大いに賑わうようにと菅公の遺風を仰ぎ奉ったのが湯島天神だ。

湯島天神鷽替え神事のHP
http://olaf-mama.at.webry.info/200901/article_16.html

湯島天神祭のHP
http://olaf-mama.at.webry.info/200805/article_9.html

正保三年(1646)九州太宰府天満宮の神官であった菅原大鳥居信祐公(道真公の末裔・亀戸天神社初代別当)は神のお告げにより、公ゆかりの飛び梅の枝で天神像を刻み、天神信仰を広めるため社殿建立の志をもって、遠くは日光または盛岡などの諸国を巡り歩き 、そして江戸の本所亀戸村にたどり着いた。
村に元々あった天神 の小さなほこらにご神像をお祀りした。
当時徳川幕府は、本所の町を、江戸の大半を焼き尽くした明暦大火の被害による復興開発事業の土地とさだめ、天神様を篤く信仰していた四代将軍家綱公はその鎮守の神様としてお祀りするように現在の社地を寄進された。
寛文二年(1662)10月25日に太宰府の社にならい、社殿、回廊、心字池、太鼓橋などを営み、今の亀戸天神となった。

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

OLAFの東京散歩 第12回 (’09年2月 梅の香に誘われて、亀戸天神)  我が家のOLAF/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる