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zoom RSS OLAFの東京散歩 第11回 (’09年2月 身近な江戸時代 千住界隈)

<<   作成日時 : 2009/02/13 23:37   >>

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OLAFは今日、梅の花ではなく江戸時代を身近に感じられる千住界隈の散歩に出かけた。
1601年(慶長6年)、徳川家康は全国支配のために江戸と各地を結ぶ五街道の整備を始めた。
1604年(慶長9年)に日本橋が五街道の起点として定められた。
整備として一里ごとに一里塚を設けたほか、一定間隔ごとに宿場を用意した。
その五街道は
東海道 -1624年( 寛政元年)完成
中山道 (中仙道) -1694年( 元禄7年)完成
甲州街道 (甲州道中) - 1772年(明和9年)完成
奥州街道 (奥州道中) - 1649年(正保3年)完成
日光街道 (日光道中) - 1639年(寛政13年)頃完成
で、日光街道は東照宮詣での道でもあり早く完成している。
東海道品川宿、中山道板橋宿、甲州街道内藤新宿と並んで、1625年(寛永2年)三代将軍家光のときに、千住宿が日光街道・奥州街道の初宿に指定された。
その千住を歩いてみた。


千住大橋から散歩をスタート。
1594年(文禄3年)、隅田川で最初の橋が架けられた。
「大橋」と呼ばれたが、後に両国に「大橋」が出来たので、この橋を「千住大橋」、両国の橋を「両国橋」と呼ばれる様になった。
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当時の橋の様子の広重、葛飾北斎の浮世絵が、川岸に描かれていた。
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現在の千住大橋は、交通量の多い日光街道に掛かっている。
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道端に道標が立っていた。
旧日光街道への入り口だ。
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狭い日光街道へ入っていくとそこは、”やっちゃ場”の跡になる。
時は戦国、このあたりには、後にやっちゃ場と呼ばれる青物市場があった。
道端に並べられた野菜が、「やっちゃいやっちゃい」の掛け声とともに売り買いされ、町は活気と熱気にあふれていた。
当時の江戸には、江戸三大市場があった。
神田および駒込と共に、江戸三大市場の一つであり、幕府の御用市場であった。
今の足立青果市場、神田青果市場、駒込青果市場の前進だ。
どこも、水田が多い農村地帯だった。
水運を利用して河岸から荷揚げされた青物が、江戸の青果を賄っていたようだ。
街道に入ってまもなくの所が”南詰め”だった。
此処からやっちゃ場が始まっていたようだ。
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両側に三十数軒の青果問屋が並んでいた様だ。
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今の日光街道。
民家が立ち並んでいるが、やっちゃ場時代の屋号、商売の内容が掲載されていた。
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投師と呼ばれた出仲買商。
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青物問屋
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「千住宿歴史プチテラス」という表示の門構えがあり、その奥まったところに白壁の蔵が見えた。
この蔵は千住4丁目の元地漉紙問屋の横山家の蔵を移築したもので、区民ギャラリーとして利用されていた。
中には当時の貴重な写真も展示されていた。
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車茶や
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青物問屋
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この後、北詰となってやっちゃ場は終わるようだ。
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1617年(元和3年)4月17日二代将軍秀忠公をはじめ公武参列のもと東照宮詣でが行われたのを初めとして、参勤交代が武家諸法度で定められ、始まっている。
この狭い道を、大名行列が通ったかと思うと、感無量だ。
ここから、千住宿の名残がある。
千住宿 問屋場 貫目改所跡
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4丁目に吉田・横山という2軒の旧家がある。
右手にあるのが横山家。
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左手にあるのが千住絵馬屋、吉田家でガラス戸越しに見える看板が江戸の風情を残している。
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水戸街道への分岐点に槍かけだんご屋があった。
餡と蜜の団子。
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水戸街道への道標。
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水戸街道を歩き始めると、そこに初めてのお寺、久榮山 清亮寺(せいりょうじ)がある。
この清亮寺には、街道一杯にはりだした名松があった。
樹齢350年を数えた名松は、昭和20年頃枯れてしまった。
今では、碑が残っているだけ。
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参勤交代の大名行列で賑わう水戸街道。 
槍持ちはいかなる理由でも槍を横に倒すことは許されない。
しかし、清亮寺の松は街道いっぱいににはりだし、一度は槍を倒さなければ通れない。
そこで、街道に張り出した松を切ろうとしたとき、見事な枝振りをご覧になった、後の水戸黄門、水戸藩主の徳川光圀公は名松を切るのは惜しい。
ではここで、この松に槍を立て掛けて休み出立の時に槍もち松の向こう側に行ってから槍を取り直せば、槍を倒したことにはならないと、粋な計らいをしたとのこと。
以来、この松は「槍かけの松」と称えられ、ここを通る大名行列は、門前で松に槍を立て掛けて休むようになったとか。
ここを通って小石川後楽園まで行ったのか!
歴史が繋がった。

 http://olaf-mama.at.webry.info/200902/article_3.html

その名残が先ほどの槍かけだんごだ。
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千住宿には本陣、遊郭等も有ったのだろうが分からなかった。
今度は、歴史跡の地図でも探して、散策に来るか・・・


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