我が家のOLAF

アクセスカウンタ

zoom RSS OLAFの東京散歩 第9回 (’09年2月 梅の香に誘われて、池上界隈)

<<   作成日時 : 2009/02/09 20:29   >>

トラックバック 0 / コメント 0

2月7日、晴天。
OLAFは池上界隈を散策する事にした。
池上梅園、池上本文寺と未だ行った事の無い場所を歩き回ってこよう。


最初は、池上梅園
西馬込の駅からスタート。
画像

この池上梅園は、丘陵斜面等を利用した閑静な庭園。
園内には、太田区の花であるウメが約370本、30種類あり、紅白の梅と枝垂れ梅が有名。
今、5〜6分咲きの開花状況と言われていた。
もと伊東深水邸があったが、戦災で焼失。
そのあと築地の料亭経営者小倉氏が拡張して別邸とした。
没後 大田区に寄贈。
茶室、和室の施設もあり、茶会に貸し出されていた。
石灯籠があちこちに配置され、梅と石灯籠がより趣きのある風景をかもし出していた。
単なる、梅林ではなかった。
入り口付近に”玉垣枝垂”という白梅の枝垂梅が咲いていた。
枝垂桜は良く見るが、枝垂梅は初めて。
画像

画像

脇に”春日灯籠”が配置され、梅の美しさがより引き立てられていた。
画像

春日灯籠と紅梅。
画像

画像

遊歩道脇に”織部灯籠”が、置かれていた。
画像

画像

庭の一角に”水琴窟”が有った。
大田区の民家から寄贈された物だという。
水琴窟は、日本庭園の蹲踞(つくばい)や縁先の水鉢からあふれでた水を利用する、日本独自の音響装置。
底に小さな穴を開けた甕(かめ)が伏せてあり、底に溜まった水面に滴が落ちて、甕中に反響します。
柄杓で水をかけ、竹の筒でその音を楽しみます。
その音色が琴に似ていることから、いつしか『水琴窟』と呼ばれている。
良い音が、聞こえました。
画像

茶室の脇に”層塔”が建っていました。
石塔は、仏教の緒仏に対する供養として、主として寺院に棒げられていたものです。
それが桃山時代になって茶人が注目するところとなり、茶庭に用いられるようになったとされています。
画像

”玉光枝垂””山灯籠”
自然石を使った灯籠で、趣があって好きな灯籠だ。
美しい眺めだ。
画像

メジロが、梅の蜜を求めて飛んできた。
鶯ではない。
メジロと白梅。
画像

メジロと紅梅。
画像

茶室の傍の池の、”雪見灯籠”が美しい。
白梅がより引き立つ。
雪見とは「浮見」が変化した語である。
竿と中台が無い為、高さが低い。
主に水面を照らすために用いられるので笠の部分が大きく水際に設置される事が多い灯籠だ。
画像

茶室の脇の”善導寺燈籠”が美しい。
この灯籠は、京都の善導寺にある燈篭を真似て、造られている。
画像

紅梅の”紅千鳥”
未だ1部咲き程度。
画像

八重の真っ赤な梅が咲いていた。
名前は解らない。
画像

”座倫梅”という梅があった。
未だ、綻び始めたばかり。
満開になったら美しいだろう。
画像

画像


次は、OLAF初めての池上本門寺散策。
日蓮聖人が今から約七百十数年前、61歳で入滅(臨終)された霊跡。
日蓮聖人は、弘安5年9月8日9年間棲みなれた身延山に別れを告げ、病気療養のため常陸の湯に向かわれ、その途中、武蔵国池上(現在の東京都大田区池上)の郷主・池上宗仲公の館で亡くなられた。
長栄山本門寺という名前の由来は、「法華経の道場として長く栄えるように」という祈りを込めて日蓮聖人が名付けられたもの。
以来「池上本門寺」と呼びならわされている。
初めに仁王門(三門) をくぐる。
画像

大堂(祖師堂) が聳え立つ。
旧大堂は、昭和20年4月15日の空襲で焼けてしまい、戦後は仮堂でしのいでいたが、第79世伊藤日定聖人が精力的に各地を行脚し、全国の檀信徒ならびに関係寺院等からの浄財寄進を得て、昭和39年、ようやく鉄筋コンクリート造の大堂の再建にこぎつけた。
なお、旧大堂だが、第14世日詔聖人代の慶長11年(1606)、熱心な法華信者として有名な加藤清正公が、慈母の七回忌追善供養のために建立、間口25間の堂々たる大建築であった。
清正公が兜をかぶったまま縁の下を通ることができたと伝える。
その壮観さを江戸の人々は「池上の大堂」と称し、これに対して、上野(寛永寺)は中堂、芝(増上寺)は小堂と呼んだという。
画像

画像

大きな鐘楼だった。
画像

何の絵だろう?
どんな意味があるのだろう?
画像

日蓮聖人像(説法像)が建っていた。
宗祖七百遠忌記念のとして昭和58年富山県新湊市の黒谷美術株式会社より奉納されたものだと言う。
画像

五重塔 が、聳え立つ。
関東に4基現存する幕末以前の五重塔のうち、一番古い塔である。
本塔のそもそもの発願は、のちに徳川2代将軍となる秀忠公の病気平癒祈願にあった。
文禄2年(1593)のこと、15歳の秀忠公が悪性の疱瘡にかかり、一命も危うい容態におちいってしまった。
そこで、熱心な法華信者であった乳母岡部の局(のち正心院)が、大奥より池上へ日参し、あつく帰依していた第12世日惺聖人に病気平癒の祈願を託され、「心願が成就したあかつきには御礼に仏塔を寄進する」との念でひたすら祈った。
その甲斐あって快癒し、将軍となった後、その御礼と、あわせて武運長久を祈り、慶長12年(1607)に建立〔露盤銘〕、翌13年に上棟式を厳修した。
画像

画像

そこから、山を下り本坊へ向かう。
途中に多宝塔があるが、楽しみにしていたが、工事中で見られなかった。
残念!
本堂へ到着。
鎌倉時代の臣・池上右衛門大夫宗仲が、大聖人後入滅の後、その邸を寄進し一寺を建立、長宗山本行寺と称した。
従って、池上本文寺の本坊だが、別のお寺になっている。
立派な本堂だった。
画像

本業寺が由緒寺院に顕彰された記念行事として建設された宝物殿がある。
屋根がモダンでお寺らしくない。
内には都重要文化財の法華経板木、宗門最古の板碑、他にも先師の本尊、書状類等五十三幅が奉安されているという。
そこに、白梅が咲いていた。
画像

日蓮大聖人ご入滅の後、ご遺体を荼毘(だび)に付した際の御灰(中にご真骨を蔵す)を収取し、安置してある御灰堂があった。
現在のお堂は、昭和五十四年三月、本門寺より大聖人旧御廟所の建物を移築したもの。
鳳凰の飾りと屋根の瓦に特徴があった。
画像

画像

画像


初めての場所を散策した。
池上梅園の枝垂梅と石灯籠が特に印象的だった。
10,461歩の散歩終了。

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

OLAFの東京散歩 第9回 (’09年2月 梅の香に誘われて、池上界隈) 我が家のOLAF/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる