我が家のOLAF

アクセスカウンタ

zoom RSS OLAFの東京散歩 第8回 (’09年2月 梅の香に誘われて、小石川界隈 Aこんにゃく閻魔etc)

<<   作成日時 : 2009/02/07 10:11   >>

トラックバック 0 / コメント 0

(前ブログからの続き)
2月5日、小石川界隈の散歩に出かけた。
小石川後楽園を散策した後、都内で一番早く行われている北野神社牛天神の梅祭り、傳通院、浄土宗・常光山・源覚寺 (こんにゃくえんま)を巡る事にした。


小石川後楽園から地図を片手に歩く事10分程度で、北野神社牛天神に到着。
北野神社牛天神は縁起によると、源頼朝が1184年東征の際にここの入り江の松に船をつなぎ波風が静まるのを待つた。
この間、夢に菅神(道真)が牛に乗って現れ二つの吉事があると告げ、武運満足の後は社を営むべしとあり、夢から覚めると牛の形をした石があった。
その後、頼家が生まれ平氏を西に追うことができここに社殿を造営した。(HPより)

また、2月1日から梅祭りが開かれている。
都内で一番早い梅祭り。
画像

ビルの合間を通り、急な階段がを上っていく。
梅祭りの旗が目立つ。
階段の周りにも梅が綻んでいた。
画像

画像

上りきるとそこに境内が広がる。
思ったより、小さな神社だった。
おみくじを結ぶ板は、牛の形に切り抜かれていた。
画像

本殿の周りには梅が咲き大変に美しい。
紅梅、白梅が、綺麗だ。
未だ満開とはいえそうも無いが?梅祭りやってしまって良いの?
画像

画像

画像

画像

”撫で岩”が置かれている。
撫でると、願が叶うという。
誰かが、願いをかけ、お賽銭を置いて行ったのだろう。
お賽銭が岩の上に置かれていた。
画像

境内に太田神社があった。
かつて貧乏神といわれる黒闇天女を祀っていた。
小石川にある旗本が住んでいて、不幸はなくとも貧乏であったが、ある晩夢の中に貧乏神が現れ、「長い間居心地がいいのでこの家にいたが、このたびよそへ移ることにした。
赤飯と油揚げを供えて祀れば礼として福徳を授ける。」とあり、その通りにすると万事よいことづくめで豊かになった。
旗本は神像を彫り牛天神に納めたと伝わる。(HPより)

画像


更に歩いて、傳通院(でんづういん)へ。
この傳通院は、今から約600年程前の応永22年(1415)、浄土宗第七祖了誉聖冏上人が開山したお寺だそうだ。
当時は小石川極楽水の小さな草庵で、無量山寿経寺という名で開創された。
それから約200年後の慶長7年(1602)、徳川家康公のご生母於大の方が逝去され、この寿経寺を菩提寺と定められ、於大の方の法名「傳通院殿」から「傳通院」と呼ばれるようになった。
画像

伝通院の入り口に向かって右側に「日本指圧専門学校」という6階建ての建物がある。
伝通院内には指塚があった。
碑名には”指圧の心は母心、押せば命の泉湧く”で一世にを風靡した浪越徳次郎氏の名が刻まれていた。
画像

意外と新しそうな本院鐘楼
画像

画像

葵の門が付いた墓碑が沢山あったが、写真を撮るのは止めとこ〜〜〜。
(もし霊が写ったら困る・・・)
境内の一角に、中村素堂の如是我聞碑 (かくのごとくわれきけりの碑)が建てられていた。
中村素堂は、1901年(明治34年)静岡県に生まれ、15歳で西川春洞の高弟・武田霞洞に師事し、日本書道美術院、毎日書道展、東方書展の創設に参画し、書壇の再建に努めた近代日本を代表する書作家で、歌人でもあるそうだ。
その周りの梅に目を引かれた。
画像


次は、浄土宗・常光山・源覚寺 (こんにゃくえんま)へ。
閻魔通り商店街を歩いていくと、細い入り口に閻魔様は居られた。
画像

こんにゃくえんまの由来は、
宝暦の頃、信心深い老婆が三七日の祈願をし、その満願の日に閻魔様が枕元に現れ、「われの日月に等しい両目のうち、一つをえぐり取って汝に授くべし」と告げ、己の右眼を与えた。
老婆は感謝のしるしとして好物の“こんにゃく”絶ち、閻魔様に供えつづけたことから、眼病治癒の「こんにゃく閻魔」として庶民の信仰を集めた。

ということだ。
閻魔王は、冥界にあって死者の生前の罪業を裁断する十王のうち、最も良く知られている。
怖い顔をしているが、『生きている間に悪い事をするなよ!』との教えだと聞いた。
しかし、この様に自分の目を老婆に恵んだという話は、聞いた事が無かった。
京都で見てきた閻魔像には、総て目があった。

(京都千本ゑんま堂のブログ)
http://olaf-mama.at.webry.info/200807/article_36.html

閻魔像は、寛文12年(1672)作の高さ100cmのヒノキ材の寄木造りで、彩色を施し、玉眼が嵌入してある。
優れたできばえで運慶派の流れをくむ鎌倉時代の作といわれている。
お堂の左隅に今でも、こんにゃくが供えられていた。
画像

画像

鐘楼
画像

両国の回向院にも、塩地蔵が居られたが、此処にも塩地蔵が居られた。
お地蔵様のお参りには、塩を供えるものなのか?
画像


これで、今日の散歩は終了。
14,564歩の散歩だった。


テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

OLAFの東京散歩 第8回 (’09年2月 梅の香に誘われて、小石川界隈 Aこんにゃく閻魔etc)  我が家のOLAF/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる