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zoom RSS OLAFの水上バス隅田川岸お花見 A(’08/03)

<<   作成日時 : 2008/03/31 19:03   >>

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隅田川の水上バスでお花見を楽しんだ。下流へ。
(前のブログからの続き)


次は清洲橋。当時の深川区清澄町と日本橋中洲町を結ぶので清洲橋と命名されたそうです。
この橋ができるまでは 「中洲の渡し」があったそうです。
大震災後の復興事業で、当時、世界でも美しい橋として知られていたライン川に架かるドイツの ケルンの大吊橋をお手本に昭和3年(1927)に完成しました。

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次は隅田川大橋。箱崎の東京シティエアターミナルのほとりにある、首都高がすぐ上を走る 橋です。

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次は永代橋。元禄11年(1698)に「深川の大渡し」に代わって架けられたそうです。
当時はこの辺を永代島と呼ばれていたため永代橋と名づけられたそうです。
明治30年(1897)に現在の場所に移され、関東大震災で大破した後、昭和3年 に現在の橋に架け替えられたそうです。

リバーシティ21がその偉大な姿が良く見え始めました。

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佃島付近まで下ってきました。
昔、隅田川には川を往来する船のための灯台があったそうです。
沖を通る船のために1866年に築かれたのが「石川島灯台」、今はモニュメント建造物のみが残った石垣の上に建っています。
時代に貢献した史跡は大川端リバーシティのマンション群に埋もれていました。

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次は佃大橋。隅田川に最後まであった「佃の渡し」を引き継いで戦後隅田川に架設された最初の橋だそうです。

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スパー堤防に咲いている桜。これまた美しい。

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墨田川最後の橋、勝鬨橋。
東京湾へとつなぐ隅田川の玄関口で、築地と月島を結んでいます。
月島は明治25年に築島され急速に発展していきましたが、交通手段としては明治36年に開通した深川方面の相生橋しかなく、京橋方面からは渡船に頼っていました。
そのうちの一つである「勝鬨の渡し」は、明治38年に日露戦争の戦勝(勝ち鬨)を記念して名付けられたものですが、昭和15年に完成した橋にその名前が引き継がれました。
勝鬨橋は、大型船を通過させるため、時間を決めて中央部が 2つに分断されて跳ね上がるという開閉式で有名でした。
開通当初は一日5回開きましたが、戦後は一日3回となり、橋上の交通量が多くなり、また大型船が通過することもなくなったので開閉はされなくなり、昭和45年の11月29日を最後に、開くことはなくなりました。

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築地の魚市場が裏から見られた。

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いよいよ終点の浜離宮へ到着。

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水門をくぐって入り江に入る。ヨットを停泊させ、花見をしている人達が沢山いる。

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バーベキューをしているメンバーも。

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踊っているグループも。

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浜離宮の中は梅は終わってしまって、菜の花が盛り。大都会のビル群を背景に。

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一時間弱の船旅だったが、川から見る桜は格別だった。思い切り楽しんだお花見だった。

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